クリスティーナ嬢と下町で別れ、ぼくは王都のタウンハウスに戻った。
部屋で着替えて、執事に紅茶を入れてもらいながらぼくは考える。
リアは魅了のアイテムを手に入れたと思い込んでいる。
あの後警備兵に店を調べさせたが、怪しいものは何も出てこなかった。魅了のアイテムは偽物で間違いないようだ。
それでも、ゲームの強制力がどう働くか分からないので、警戒はしておかなければならない。
リアが渡してきた違法の魅了のアイテムを渡してきたとき。
そのときにぼくは、これまでの記録を全て見せて、リアを断罪することができる。
しかし、それにはいくつか問題があった。
魅了のアイテムがゲームの強制力でぼくに作用してしまう可能性があるということだ。
ゲームの強制力は魅了のアイテムが存在しないということからないようにも思えるが、課外事業のグループ分けのことを考えると油断はできない。
魅了のアイテムでリアに操られてしまえば、ぼくの意思は関係なくぼくであるアンドレアスルートが攻略できてしまう。それは絶対に避けたかった。
クリスティーナ嬢に記録してもらった魔法石を机の上に並べて、紅茶を飲みながらぼくは考えていた。
魅了のアイテムを無効にする方法があったような気がするのだ。
リアがぼくに魅了のアイテムを渡してくる前に、魅了のアイテムを無効にする方法を考えなければいけない。
翌日学園に行って、午前中の授業とお昼を挟んで午後の授業を終えて、ぼくはお茶の時間にサロンに向かった。
サロンでクラウス殿下にお話ししたいことがあったのだ。
紅茶とお茶菓子が用意されたサロンで、ぼくはクラウス殿下に聞いてみた。
「クラウス殿下、仮に魅了の魔法具があったとして、それを無効化できるようなものはあるのでしょうか?」
「魅了の魔法具はないと話したが、どうした? 何かあったのか?」
魅了の魔法具を無効化する魔法具について聞いてきたぼくに対して、クラウス殿下は怪訝そうにしている。
それもそのはずだ。この国では違法になっている魅了の魔法具を使おうなどという愚か者がいるはずがない。そもそもこの国に魅了の魔法具は存在しない。開発すら許されていない。それがあるわけがないのだが、リアに関しては常識が通用しない。
この世界を『星恋』のゲームの中だと思っているし、事実その通りなのだが、『星恋』のように主人公補正があるご都合主義ではいかない、世界だということもぼくは理解しているが、リアは理解していない。
だから、ゲームの攻略に拘って、自分の思う通りに行かないと妙なことを口走って場を混乱させるのだ。
テーブルの上にぼくは昨日クリスティーナ嬢が記録してくれた魔法石を置いて、手を翳した。
店の中でリアが暴れている様子が立体映像で映し出される。
「実は平民の特待生は魅了の魔法具を欲しがって店を壊すとまで言って暴れて、どうしようもなくなった店の主人が魅了の魔法具と偽って何の変哲もない普通のブローチを平民の特待生に渡したのです」
「この平民の特待生は正気なのか?」
店であったことを見せるぼくに、クラウス殿下が歪んだ顔になってきている。せっかくの美麗な顔がもったいない。
「正気だとは思えませんよね。ぼくもそう思います。この店を警備兵に調べさせましたが、魅了の魔法具どころか、怪しいものは一切売っていませんでした」
「それならば問題はないのではないか?」
「平民の特待生は店主から奪った魔法具を使おうとしているのかもしれません。作用するわけないのですが」
「偽物とはいえ魅了の魔法具を使うということは、それはこの国の転覆を諮ろうとしているのか」
「その可能性はかなり低いかと。どちらかと言えば、大貴族や殿下の妻の座について贅沢をしたい、見目のいい男性に傅かれたいくらいの話かと。ただ正気でない人間ですから、やることが、その……正気でないやり方なのかと。ぼくを狙って失敗したら、平民の特待生はクラウス殿下を狙って来るかもしれません。クラウス殿下の王太子という地位よりも、クラウス殿下が見目麗しくて立派な姿をしていて、お金があるという理由だけで」
ぼくのルートが攻略できれば、リアは次にクラウス殿下のルートを狙ってもおかしくはない。ユリアン殿のルートを狙っていたがユリアン殿が謹慎になるとすぐにルートを変えてきた。結果としてユリアン殿は貴族の位を剥奪されて修道院に入れられるという結末になったが、ぼくも攻略されたらどうなるかは分からない。
国家転覆は狙っていないと思うのだが、リアがぼくを攻略した後にクラウス殿下ルートに切り替えることはありえることだった。
『星恋』の中でも、魅了のアイテムの効果は永遠に続くものではなかったし、それが切れる前にリアに何かされてしまうかもしれない。お義姉様を侮辱したリアと交際をするようなことになったら、両親に見限られる可能性もないとは限らないのだ。
そうなれば当然、リアは次の攻略相手を探すだろう。
その攻略相手として一番に上げられるのは王太子であるクラウス殿下だ。
「魅了の魔法具は開発することすら違法で、この国には存在しない。万が一入手したとしても、使ったものも厳罰に処せられる。使ったとすれば確実に死罪になるだろう。それを分かっていているのか?」
「あの平民の特待生はそれがよく理解できないのではないでしょうか」
正気ではないという雰囲気で問いかけるクラウス殿下に、ぼくは沈痛な面持ちでため息をつきつつ答える。
とはいえ、リアが国家転覆まで狙っているとはぼくには思えなかった。
ユリアン殿を最初に狙ったのは、ユリアン殿がとても整った顔をしていて、リアにとって好みだったからだろう。リアは金持ちで顔のいい男にちやほやされたい、その妻になって贅沢したいというような浅い考えしかなさそうだった。
「アンドレアスに魅了の魔法具を使うというだけでも許されないのに、わたしまで狙ってこようとする可能性があるとは……。魅了の魔法具が偽物であっても、平民の特待生がすることは重罪にあたるだろう」
「何もないとは思うのですが、正気でない人間の考えることは、正気の人間には理解の及ばないことがあります。万が一を考えて、魅了の魔法に対策できる魔法具をお借りできないかとお願いいたしたく思っています」
「何もないことが一番だが、ならば万が一の備えに父上に相談してみよう」
「お願いできますか?」
「父上は義理の甥であるアンドレアスを可愛がっている。国宝の魔法無効化の魔法具を貸してくれるだろう」
そうだった。
すっかりと忘れてしまっていたが、クラウス殿下に魅了のアイテムを使う場合には、国宝の魔法無効化のアイテムを使われないようにする攻略方法も必要だったとぼくは思い出した。
稀少な魔法無効化の魔法具は、王家にしか存在しないのだ。
「すぐに父上に連絡するが、アンドレアス、それまでに平民の特待生が接触して来ても絶対に近付くんじゃないぞ」
「はい、ありがとうございます、クラウス殿下」
小さいころは兄のように慕っていたクラウス殿下は、ぼくにとても親しげに話しかけてくれる。クラウス殿下は兄弟がいないので、お義姉様を実の姉のように慕い、ぼくを実の弟のように可愛がってくれていたのだ。
王宮にも何度も遊びに行ったことがあるし、国王陛下ともぼくとお義姉様は親しくさせていただいていた。
魅了のアイテムが偽物だとしても、ゲームの強制力は働くかもしれないので、国王陛下が魔法無効化の魔法具を貸してくださるならば心強い。
ぼくはクラウス殿下に、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
次の学園の休みの日、お義姉様が領地から王都にやってきた。お義姉様は心の傷も癒えてきたのと、ユリアン殿が学園を退学したので、学園復帰に向けて王都のタウンハウスで暮らし始めることになった。
両親も王都のタウンハウスに来ていた。
この週末、王都のタウンハウスにベルツ家の一家が揃ったのは、国王陛下からの呼び出しがあってのことだった。
国王陛下はベルツ家の一家を私的なお茶会に招いてくださっていた。
馬車で王宮まで行って、王宮のサンルームに向かう。
サンルームにはお茶の用意がされていて、国王陛下と王妃殿下とクラウス殿下が揃っていた。
「よく来てくれた。今日はわたしたちだけでお茶の時間を楽しもう」
「お招きいただきありがとうございます、国王陛下」
「兄上、義姉上、お招きいただきありがとうございます」
お義父様とお義母様が挨拶をして、ぼくとお義姉様も一礼をして席に着く。
国王陛下が最初に口を開いた。
「ユリアンの件だが、マルグリットは大変だったな。もうユリアンは学園に戻ってくることはないので安心するといい」
「ありがとうございます、伯父上」
「平民の特待生についても、今、調査を進めている」
リアが処分されなかったのは、ユリアン殿のようにお義姉様を明確に侮辱したという証拠がなかったからかもしれない。ユリアン殿がリアをプロムのパートナーにしたのは、侯爵家の権力を使って脅されていたのだと言えば言い逃れができてしまう状況だった。
やはりリアを断罪するには、決定的な証拠が必要になる。
「アンドレアス、父上に平民の特待生のことは話してある。父上、お願いします」
「分かっておる、クラウス。アンドレアス、平民の特待生は魅了の魔法具を使うのではないかと危惧しておるのだな?」
「そうなのです。ぼくに使って成功したら、次はクラウス殿下に使うのではないかと考えております」
「魅了の魔法具はひとの心を操作する禁忌の魔法を使っている。この国では違法になっている魅了の魔法具を使うことは許されないし、開発することも許されない。この国にそのようなものがあるはずはないのだが」
「ですが、父上、アンドレアスに万が一のことがあってはなりません。守ってやってください」
「もちろんだ。執事よ、ここに例のものを持ってくるのだ」
国王陛下に命じられて警備の兵士に警護された執事が恭しくビロードの箱を持ってくる。国王陛下が箱を受け取り、ぼくの前に置く。
「そのネックレスは魔法無効化の魔法具で、国宝だ。アンドレアスが平民の特待生に害されないためならば、それを貸し出そう。アンドレアス、それを肌身離さず身に着けておくように」
「ありがとうございます。箱を開けてもいいですか?」
「中身を確認して、今から身に着けておくといい」
国王陛下に促されて、ぼくは箱の蓋を開ける。箱の中には、金の細いチェーンに透明の魔法石がついたネックレスが入っている。透明の魔法石の大きさは小指の爪ほどで、普段から身に着けていても気にならないサイズだった。
箱から取り出してぼくが首に下げると、透明の魔法石が虹色に輝く。
「アンドレアス、そなたは血は繋がっていないが、我が妹の養子で、わたしにとっては義理の甥。王家の一員と思っている。遠慮なく使うといい」
「はい、ありがとうございます、国王陛下」
「昔は義伯父様と呼んでくれていたのに」
「アンドレアスは、わたしのことも『殿下』と呼ぶようになってしまいました。『お義兄様』と呼ばれていたころが懐かしい」
国王陛下もクラウス殿下もぼくが小さいころ、お義姉様が「伯父様」「クラウス」と国王陛下とクラウス殿下を呼んで、クラウス殿下もお義姉様を「マルグリットお姉様」と呼んでいたので、ぼくもよく分からないままに「義伯父様」や「クラウスお義兄様」と呼んでいたのを持ち出してくる。
あのころは自分が養子だということをよく理解していなかったし、お義姉様が呼ぶのだから同じように呼んでいいのだと信じて疑っていなかったが、今になってみると恥ずかしい。
「その話はやめてください」
赤くなって国王陛下とクラウス殿下に言えば、二人は声を上げて笑っていた。