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第20話 あるべき姿への憧憬

「佐和子、あんた宛に手紙が来てるわよ」


 昼食時間が終わりに差し掛かる頃、刹那にそう声をかけられて佐和子は振り返り、目が点になった。


「え、それ……手紙?」

「カラスが口に咥えて持ってきたのよ」

「カラス……」


 手紙と言われて渡されたそれは、和紙で包まれ、両端が折られたもので。「手紙」というよりは、果たし状という表現がしっくりくるようなものだった。表には「佐和子殿」といかつい毛筆で書かれている。


 ——まさかとは思うけど、これは。


 裏側を見ると、予想通り同じ筆致で「黒羽」の二文字が書かれていた。

 刹那に見守られながら和紙を解いていくと、蛇腹に折られた手紙が現れる。ざっと目を通したが、要約すればこういうことだった。


『また顔が見たい。そのうち遊びに行くので、そのとき一緒に食事でもどうか』


 手紙の内容を一緒に覗き込んでいた刹那は、ニヤニヤとしながら佐和子の頭を小突いた。


「あらまあ、佐和子。あんたなかなか隅に置けないじゃない。天狗って言ったら、ちょっと気位が高くて厄介だけど、見た目は悪くないって聞くわ」

「刹那ちゃん、からかわないでよ……」

「そもそもあんたには編集長がいるしねえ」


 刹那の言葉に、佐和子は渋い顔をした。永徳が「嫁候補」を吹聴するのはある種の魔除けなのだということを理解した今、否定しない方がいいのだろうが。肯定するのもなんだか厭われる。


「ねえ、刹那ちゃん、人間の女性を狙うあやかしって多いの? 笹野屋さんがそう言ってたのだけど」


 話を逸らそうと、別の話を振ってみる。取り繕うような話題であったが、刹那はうまく乗ってくれた。


「なにを当たり前のことを。人間の伝聞にもそういう昔話はいっぱい残っているでしょ。それに、あんたの目の前にも座ってるでしょうが。人間の女を食い物にするあやかしが」


 佐和子が正面を向くと、デスク越しにマイケルと目があった。


 ——言われてみれば、たしかに。


「ちょっと刹那さん! 自分はたしかにヴァンパイアですけど、人間の女性は襲いませんよ! 栄養は大豆タンパクと野菜で摂ってるんですから」


 心外です、とマイケルは机を両手で叩き、立ち上がる。

 マイケルの解説曰く、マクロビオティックとは、動物性蛋白を控え、穀物や野菜、海藻、豆などを中心に摂る健康志向の食事法を指すのだそうだ。先日何気無く尋ねてしまってから、佐和子も興味を持ったのだと勘違いされて、頻繁にマクロビの話題を振られている。おかげで彼とは仲良くなることができたが、そんなこともあって、マイケルの「ヴァンパイア」としての危険性が佐和子の頭からは抜けていた。


「今は襲わないかもしれないけど、昔は吸ってたわけでしょ、人間の女の生き血を」


 刹那が遠慮なく核心をつけば、マイケルは居心地の悪そうな顔をする。


「まあそうですけど……。でも血を控えるようになってからだいぶ経ってますから。目の前で人間が大出血でもしない限り問題ありません。第一今の時代、自由気ままに吸血しまくってたら、すぐに捕まって始末されちゃいますよ」


 ムキになるマイケルを笑いながら、刹那は頷く。


「人間が作る武器は怖いからねえ。ほんと、暮らしにくい世の中になったわ。今は人間を襲って、魂や金銭や食糧を奪う時代じゃなくて。うまく共存しながら生きていかなきゃいけない時代なのよねえ」


 刹那の言葉にマイケルも頷く。


「そうですねえ。その点会社勤めができている自分たちみたいなあやかしは恵まれていますね。給与の支払いは人間の世界のお金ですから、混ざろうと思えば、豊かな人間生活を享受することもできますし」


「まあね。一番悲惨なのは、都市開発で棲家を追われて、いまだにあちこちを転々としているようなあやかしだわね。時代の変化についていけず、人間の生活にも混じれずに」


 ふと佐和子の脳裏に、先日の赤いスカートの女の姿が横切る。あれももしかしたら、人の世に混じれず、生き方を変えることのできなかったあやかしの成れの果てだったのかもしれない。


 二人の言葉を聞きながら、佐和子は目の前の原稿を眺めた。

 人間の世界を知っている佐和子なら、刹那の悩みを解決したときのような助言が記事を通してできるかもしれない。あやかしたちと人間がうまく共存していくための、道標となるような読み物を。


 そう考えたら、じわじわと前向きな気持ちが湧き上がり、無意識に両手には力がこもる。


 ——私にしかできないことで、みんなの生活に貢献できるって、なんか、嬉しいかも。


 永徳に強引に引き込まれ、川の流れに飲まれるようにしてやり始めた仕事ではあったが。これは案外、とってもやりがいのある仕事なのかもしれない。


「そういえば、今日、編集長どうしたんでしょう? 朝から姿を見ませんけど。いつもなら机に突っ伏してお昼寝している頃ですが」


 マイケルにそう言われて、佐和子は編集室を見渡した。そういえば姿が見えない。すると自席に戻っていた刹那が、パソコンの画面に視線を落としたまま、口を開いた。


「ああ、毎年三月三十日はね。一日外に出かけるのよ」

「毎年? なにかの記念日とか?」


 疑問に思って佐和子が問えば、さあ、と刹那は首をひねる。


「気になってなんの用事か聞いたことがあるんだけど。詳しくは教えてもらえなかったわ。ただ、編集長が人間として暮らしていたころから続いてる習慣みたいだけど」

「えっ! 人間として暮らしていたこともあるの? 笹野屋さん」


 驚きのあまり大声が出てしまい、編集室のあやかしたちの目が一斉にこちらを向いた。


「ちょっと、うるさいわねえ」


 両手で耳を押さえながら、刹那が顰めっ面をする。


「ご、ごめん。あまりにも驚いちゃって。半妖としての笹野屋さんしか知らなかったから」


「あんた嫁候補なのに知らないの? あやかし瓦版の事業を引き継ぐ前は、人間の会社で働いていたのよ。『サラリーマン』って言うんでしょ?」


 眉間に皺を寄せ、刹那が首だけ佐和子の方に伸ばしてきたのを見てギョッとした。何度見ていても、この伸びてくる首の異様さに佐和子はいつもドギマギしてしまう。


「へえ、自分もはじめて知りました。編集長、あんなにのんびりしていてサボり癖があって、人間の世界でやっていけてたんですかね。人間の世界って、もっとせかせかしているんでしょう?」

「アタシもそれは疑問に思うわ」


 マイケルと刹那のやりとりを聞きながら、佐和子は近代的なオフィスに通勤するスーツ姿の永徳を想像して眉根を寄せた。どうイメージをしても違和感しかない。


「とりあえず佐和子、話は戻るけど。その手紙を持ってきたカラス、縁側でずっとあんたのこと待ってるから」

「ええっ」

「たぶん、返事を受け取るまで待ってるつもりだと思うわよ」

「えええ……そんな……」


 頻繁に文を送ってこないよう、黒羽に頼まなくては。机に置いたままだった果し状のような手紙をじとりと見ながら、そう思った佐和子だった。


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