目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第25話 尻子玉

「おい人……じゃなくて下っ端! さっさと来いよ、遅えよ。そっちじゃねえ、こっちだ、プレス受付もわかんねえのか、お前は!」

「す……すみません」


 佐和子が連れてこられたのはどこかの山の頂上付近で、かなり空気が薄い。おまけにあやかしの世界でのタクシーである、「火車」というものは、火を纏った大きな車輪がついた籠のような形のあやかしだったのだが、上下左右にとんでもなく揺れたのだ。会場に到着するまでに何度も吐きそうになったが、すんでのところで踏みとどまった。結果、佐和子はフラフラだった。


 真っ青な顔の佐和子に呆れ顔を向けつつ、宗太郎はテキパキと受付を済ませていく。「あやかし瓦版」以外にも、あやかし界にはメディアがあるというのは永徳から聞いていたが。報道関係者専用の受付であるプレス受付には、ざっと見ても二十名以上が並んでいた。受付名簿をチラリと盗み見れば、「テレビ局」「新聞社」「雑誌社」「オンラインニュース」と、人間の世界同様、さまざまな媒体があることがわかる。


 ——こんなにたくさんあるんだ。びっくり。


 感心しているうちに、横にいたはずの宗太郎の姿がもう消えている。慌てて周囲を確認すると、遥か先を進んでいる緑の甲羅が見えた。


「ぼやっとすんな! 場所取りだ。走れ!」


 佐和子がついて来れていないことに気がついた宗太郎は、後方の佐和子目掛けて怒鳴り散らす。


「ちょ……ちょっと待ってください……!」

「待てるかぁ、この野郎! 場所取りが命なんだよ、死ぬ気で走れ!」


 よれよれの佐和子を気にすることなく、宗太郎は凄まじい勢いで疾走していく。


 彼が特別せっかちなのかと思いきや、他の報道関係者らしきあやかしたちも三脚を持って走っているので、「場所取りが命」というのは本当らしい。


 佐和子がようやく宗太郎に追いつく頃には、各々が確保した場所で慌ただしくビデオカメラの準備を進めていた。手伝おうとしたのだが、「お前はもういい! 邪魔んならないところで待ってろ!」と怒鳴られてしまった。


 手持ち無沙汰になった佐和子は、ここでようやく、会場を見渡す余裕が出た。


 深い森の奥。濃い緑色をした背の高い針葉樹が、会場をぐるりと囲んでいる。森を相撲大会のためだけにくり抜いたかのような広場の中心には、真新しい土俵が据えられていた。それを囲むように色とりどりの座布団や敷物が敷き詰められ、さまざまなあやかしたちが今か今かと始まりを待っている。


「立派な土俵だなあ……」


 しっかりと塗り固められ、美しく整えられた土俵に目が奪われる。公平を期すため大会の会場が毎回変わるので、開催地が決まってから「河童相撲組合」なる団体が開催日の直前に土俵を作るのだと、火車の中で宗太郎が話していた。


「おい下っ端、俺がメモをとりながら写真を取るから、お前がビデオカメラを守れ。いいか、失敗すんじゃねえぞ」


 それだけ言い残すと、首から一眼レフカメラを下げた宗太郎は、他の記者たちの合間を縫ってどこかへ行ってしまった。


「守れって言われても……ビデオはもう土俵全体が映るアングルで固定されてるし、これ、特にやることないよね? まあ、盗まれたりしないように、見張ってろってことかな? 下手にズームとか、引きとか、私がいじらないほうがいいよね?」


 ひとりそう呟いた瞬間、観客席の方から一斉に歓声が上がった。どうやら力士たちが土俵入りを始めるらしい。


「いやあ、楽しみだなあ。今年はやはり沖縄の潮騒(しおさい)が優勝か」

「いやいや、和歌山の津野山(つのやま)もかなり仕上げてきていると聞いているぞ」

「まあ、今年は潮騒と津野山の一騎討ちだろうなあ。他に目立った力士は聞いておらんし」


 佐和子の周りにいる他メディアの記者たちが、やんややんやと議論を交わしている。大会はトーナメント戦となっていて、潮騒と津野山が優勝の最有力候補のようだ。


 盛り上がる初回戦を眺めつつ、佐和子はビデオカメラのディスプレイを覗き込む。狐面が邪魔だったので、顔の側面にずらして装着し直した。


 ——よし、ちゃんと録れてる。これなら大丈夫かな。


 河童の力士たちは人間の世界の力士ほど皆体格が良いわけではなく、引き締まった体をしていた。しかし力は非常に強いようで、相手の体を軽々と頭上に持ち上げたり、まわしを掴んでぐるぐる回した上、場外へ放り投げたりと、激しい戦いを見せている。息をもつかせぬ試合展開に、いつの間にか佐和子も取り組みに夢中になっていった。


「宗太郎さんが毎年力を入れているのも頷けるな。……ん? あれ」


 ふと目をやった観客席の方に、揃いの白い装束に身を包んだ団体客がいるのが見えた。遠目でよく見えないが、あきらかにそこだけ同じ色味で統一されているので、独特の存在感を放っている。


「あのあやかしたち、なんだろう」

「ぎゃあああああ!」


 佐和子のつぶやきに被せるようにして、あたりに響き渡るような凄まじい悲鳴が上がった。一瞬静まり返った会場だったが。すぐに相撲へと注目が戻り、騒がしさを取り戻すが、観客の声援に混じって聞こえた悲痛な呼び声が、佐和子の耳を捉えた。


「おい! 下っ端! 助けてくれ、頼む」


 その声は、宗太郎のものだった。

 先ほどまでの威勢の良さはどこへいったのか、痛みを堪えるようなうめき声をあげている。


 ——なにがあったの?


 ビデオカメラをそのまま置いていっていいものか迷ったが、「助けてくれ」と言われて無視するわけにもいかない。佐和子は群衆をかき分けて声のする方向へ向かう。土俵際最前列に着くと、土に汚れた緑色の体が倒れているのが目に入った。


「そ、宗太郎さん? なにがあったんですか?」


 宗太郎の真横にしゃがみ、声をかける。喋ることはできるようだが、体から力が抜けてしまっていて、立ち上がることができないようだ。


「ライバル社のやつに、尻子玉を取られた! あんのやろう、とっ捕まえたらタダじゃおかねえ」

「尻子玉……?」

「去年場所取りのときに突き飛ばしたのを根に持ってやがったんだ。とにかくお前、代わりに撮影しろ! 俺はこの状態じゃ動けねえ」


 ——それ、自業自得では……。


 そう思いつつも。佐和子は慌てて宗太郎からカメラを受け取り、首にかける。とにかく今は、記事に使える写真を撮ることが最優先だ。近くの係の人に座布団を借り、宗太郎が試合を見られるように座らせた。


「メモは取れそうですか」

「手が痺れて動けねえ。でも書けなくても、試合さえ見られればあとでなんとでもできる。とにかく、写真を、頼む」


 半泣きの顔でそう言われて、佐和子はカメラを握りしめた。


 ——こうなった経緯はともかく、宗太郎さんは、この仕事に命をかけてるんだもんね。


 それは彼が書いた記事を見て、彼が撮った写真を見て、理解していた。佐和子はカメラのレンズを土俵上の力士に向ける。先日の川澄まつりの際、簡単に撮り方は教わったが、動き回る被写体を撮影する技術なんて持ち合わせていない。


 ——でも、とにかく、撮らないと。でもこのまま同じ場所で撮り続けていいものかな。躍動感的に、なんだか足りない気も……。


 緊張感で手にはぐっしょりと汗をかいていた。うまくやらなければと思えば思うほど、身動きが取れなくなる。


「佐和子、困っているようだな」

「うわっ」


 集中している最中に、真横から声をかけられて飛び上がった。


 山伏の格好に、朱塗りの天狗面、そしてこの地鳴りのような声。佐和子のそばに立っていたのは、なんと黒羽だった。


「な、なんでここに」

「多摩の川天狗総出で相撲を観戦しにやってきたのだ。佐和子の気配を感じて探し回っておったら……なにやら困っていそうだったのでな。声をかけた」


 あの団体客は川天狗の一族だったのか、と佐和子は心の中でつぶやいた。


「先輩と二人で取材に来ていたんですが、カメラを担当していた先輩が、尻子玉? を抜かれて動けなくなってしまって……。でも、大丈夫です。私ひとりでなんとかしますから」

「そんなに眉尻を下げているやつが大丈夫なわけあるか。……ふむ、カメラか。構えを見るに、素人といった感じだな」


 自分の不慣れさに勘付かれ、佐和子は唇を結んだ。入社してそんなに経っていないとはいえ、記者としての技術の未熟さを他人に指摘されたのが、悔しかった。


「あの、本当に大丈夫です。なんとかなりますから」


 つまらないプライドから、そう黒羽を振り切ろうとしたのだが。踏もうとした地面が、そこにはない。自分が空に浮いていることに気づいたのは、そのあとだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?