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第26話 迫る危険

「え、なんで私浮いて……うわっ、黒羽さん?!」


 黒羽は、背後から佐和子を片腕で抱き抱えながら、翼をはたためかせ飛翔していたのだ。


「突然なにをするんですか」

「しっかりカメラを構えて。ピントを合わせたら、被写体に向けて連写するのだ。狙って一枚一枚撮るより、連写してあとでいいものを選ぶ方が良い」


 ——そうだった。このあやかしも笹野屋さんと同じで、人の話を聞かないんだった……。


 空中では抵抗しても危険が増すだけだ。佐和子は観念して、黒羽のアドバイスに耳を傾ける。


「カメラ……お詳しいんですか……?」

「趣味でな。あやかしの写真コンクールで優勝したこともある。アングルは、飛びながら最適な角度を探ってやる。佐和子はシャッターを押すだけでいい」


 黒羽の意外な趣味に驚きつつも、佐和子は気を取り直してカメラを構えた。


 ——とりあえず今は写真を撮らないと。記事は宗太郎さんが書いてくれる。私は私の役目を全うしなきゃ。


 黒羽に吊り下げられるような格好で写真を撮り続ける。あの群衆の中を宗太郎のように駆け回りながらカメラを扱うのは、自分には難しかったので、本音を言えば黒羽の助けはありがたかった。


 ようやく次が注目の最終試合。前評判通り、潮騒と津野山の一戦だ。試合前の休憩時間のうちにバッテリーを交換しようと、一旦ビデオカメラを置いてある場所まで戻るため、佐和子は黒羽に頼んで地上に下ろしてもらった。


 あやかしの群れをかき分け、報道関係者席を目指す。なんとかビデオカメラを設置した地点が見えたところで、佐和子は首を傾げた。


「あれ? 宗太郎さん、復活したの?」


 あやかし瓦版の旗がついたカメラの近くに、河童が立っているのが見えたのだ。しかしすぐにおかしなことに気づく。その河童は宗太郎よりも深い緑色をしていて、手にはトンカチを握りしめていたのだ。


「え、ちょっと! ウチのカメラになにしてるんですか!」

「ちっ、もうひとりいやがったか。邪魔すんじゃねえ!」

「やめてください!」


 そう叫んですぐ、群衆の悲鳴が聞こえた。報道関係者席の遥か上段から土俵側に向けて将棋倒しが起きたのだ。その波はすでに佐和子の間近に迫っていて、振り返る頃にはあやかしの波に飲まれていた。


 背後からの衝撃により、勢いよく前方に飛び出した佐和子の体は、ビデオカメラに向けて振り下ろされたトンカチに向かって一直線に放り出される。


 悲鳴をあげる間も無く、トンカチが自分の頭めがけて降ってきた。力の強いあやかしに鈍器で殴られてしまっては、きっと人間などひとたまりもない。一撃であの世行きだ。


 死を覚悟し、ぎゅっと目を瞑る。が、頭の上に鉄の塊は落ちてこず、何者かに片腕で抱き止められた。将棋倒しで降ってきたあやかしたちが覆い被さってくる様子もない。


 おそるおそる薄目を開ける。目に入ってきたのは薄墨色の羽織の袖。視線をそのまま上に上げれば、山高帽を被った癖のある黒髪が目に入った。


「笹野屋さん?!」


 彼はトンカチを持った河童の腕をしっかりと掴んでいる。雪崩の如く倒れてきたあやかしの一団は忽然と消えていて、なぜか土俵下で皆尻もちをついていた。


 ——これは、笹野屋さんが空間移動の能力を使ったの……かな?


「様子を見に来てみれば。大変なことになっていたねえ。大丈夫かい? 鳥海さん」

「お陰様で……ありがとうございます。あっでも、宗太郎さんが」

「宗太郎がどうした?」


 そう言いながら、永徳は華麗に関節技を決めると、河童の腕を後ろ手に捻り、動けないようにした。身長は高いが、黒羽のように恵まれた体躯をしているわけではないのに、どこにそんな力を隠し持っていたというのだろうか。佐和子は事情を説明しつつも、あまりに軽々と河童の体の自由を奪った永徳を見て、感心していた。


「なるほど。尻子玉を抜かれたのか。たぶんこいつの仕業だろうな。どれどれ」

「放しやがれ! い、いてててて!」

「君は黙っていたほうが得だと思うね」


 永徳は河童が腰につけていた巾着の中を探ると、緑色の玉を取り出した。どうやらそれが尻子玉らしい。


「尻子玉っていうのは、河童が悪戯で体から抜くと言われているものでね。これを抜かれると、腑抜けになって動けなくなってしまうのだよ」


 永徳の解説で、ようやく尻子玉について理解した佐和子は、大きく頷いた。


「なるほど。それで、宗太郎さんは体が動かなかったんですね……」

「なんだ、なにがあったんだ」


 周りの群衆から頭ひとつ分大きな黒羽が顔を出した。どうやら佐和子がなかなか戻ってこないのを心配して追ってきたらしい。


「おや、黒羽。君はここでなにをしているんだい」

「相撲見物に来ていたのだが。我の嫁候補殿が困っていたようだったのでな。ちと手助けをしておった」

「聞き捨てならないね。鳥海さんは『俺の』嫁候補だよ」


 両者の背後からモヤのようなものが立ち上る。これが妖気というものなのだろうか。ビリビリとした空気感に気圧されつつも、佐和子は慌てて仲裁に入る。


「あの! もうすぐ決勝戦がはじまりそうです。今の騒ぎでズレてしまったビデオカメラの位置も直さなきゃいけませんし、一眼レフでの撮影もしなければなりません」

「……ああ、そうだったね。ちょっと君に頼むのは気が進まないが、仕方がない。黒羽、鳥海さんを守ってやってくれ。また今みたいなことがないとも言えないし。俺は尻子玉を宗太郎に戻してくるよ。動けるようになれば、あとの撮影は宗太郎がやるだろう」

「あいわかった。戻ってこなくとも良いぞ」


 永徳は佐和子から一眼レフを受け取ると、ちらちらとこちらを伺いながら、片手で襲撃犯を捕まえたまま、宗太郎のいる前列の方へ向かっていった。


 直後、話し声で満ちていた会場がふたたびひとつになって歓声を上げた。潮騒と津野山が土俵に上がったのだ。それから間を置かずして、元気に動き回っている緑の甲羅が見えたので、どうやら宗太郎は復活したらしい。佐和子はほっと胸を撫で下ろし、試合の観戦に専念することにした。


 力強い張り手と土俵際でのせめぎ合いを繰り返し、手に汗握る展開が続く。回しをとられてはとり返し、一瞬の油断も許されない勝負の行方は、もはや誰にも予想がつかなかった。


 最終的に、隙をついた潮騒が津野山の片腕をつかんで懐に入り込み、一本背負いで場外へと投げ飛ばした。その見事な立ち回りに、会場の観客たちは座布団を宙に投げ上げ、潮騒の勝利を祝った。


 名勝負の余韻に浸り、満足げに観客が席をあとにする中、佐和子は深呼吸をする。


 ——なんとかなって、よかった……。


 結局自分の力だけでは、どうにもならなかった。きっと黒羽が手伝ってくれなければ、上手に写真も撮れなかっただろう。永徳がいなければ、ビデオカメラも守れなかったし、最悪死んでいたかもしれない。


「なにを思い詰めた表情をしているのだ」


 隣に立っていた黒羽にそう言われ、佐和子は苦笑いをする。


「いえ、頑張らなきゃな、と思っていただけです」

「あやかしの中にひとり飛び込んで、仕事をする人間など聞いたことがない。十分頑張っている方だと思うが」

「そんなことないんです……本当に未熟で」

「あまり思い詰めてもいいことはないぞ。困ったときは我を頼れ。いつでも力になる」

「あの、お気持ちだけ頂いておきます」


 ——早く一人前になって、実績を残さなきゃ。今度こそ、ちゃんと。

 そんな思いが渦巻いて。追い立てるような焦燥感が胸の中を支配していた。


「今度こそ鶴見に会いにいく」と言い残し、黒羽は仲間達とともに去っていった。永徳は不届き者の河童を会場の警備員に突き出したあと、優勝者インタビューを終えた宗太郎とともに、佐和子のいる場所へ戻ってきた。

「宗太郎、鳥海さんになにか言うことがあるんじゃないか」

「……いや、その」

「もとはと言えば、君が蒔いた種だろう。あの河童に聞いたけど、去年の大会の場所取りのときにかなり横暴をしたみたいだね。仕返しをする方もする方だが、宗太郎も反省すべきところはあるだろう。そのせいで、鳥海さんは命を取られそうになったんだぞ」


 いつも温厚な永徳の言葉には、怒りがこもっている。


「う……」

「さあ、宗太郎。鳥海さんに言うことは」


 両手でカメラを握りしめ、俯きがちながらも。宗太郎は上目がちに佐和子の方を見て、言葉を絞り出す。


「……悪かったよ。俺のせいで怖い思いをさせて。あと……仕事を手伝ってくれて、助かった。……ありがとう」


 こわばっていた肩から力が抜ける。その言葉を聞いて、佐和子は少しだけ報われた気がした。


「いいえ、どういたしまして。またお手伝いできることがあれば、いつでもおっしゃってください」


 佐和子はそう言って、宗太郎に笑いかけた。


 焦りはある。編集部員としてまだまだ学ばなければいけないことは多い。しかし不格好ながらも頑張ったことで、宗太郎と打ち解けるきっかけを作ることができた。


「ところで鳥海さん」

「なんでしょう?」

「君、今根付を持っているかい?」


 永徳に突然そう問われ、佐和子は慌ててポケットを探る。


「持っていますよ、ほら」

「ちょっと借りてもいいかい」


 差し伸ばされた手のひらの上に、赤い縮緬をまとった貝の根付をのせる。永徳はまじまじとそれを観察したかと思うと、首を傾げる。


「これには守りのまじないをかけてあってね。鳥海さんに悪意を持って危害を加えようとするあやかしを退けるようにしてあるんだけど。……河童が襲ってこようとしたとき、なにも起こらなかった?」


 守りのまじない。赤いスカートの女に襲われたときのことが頭に浮かんだ。あのときは襲われそうになってすぐに熱を帯び、煙のようなものが飛び出したが。言われてみれば今回は熱くなる気配さえなかった。


「反応はなかったです。彼は直接的に私を襲ったわけではなくて、近くで観客の将棋倒しが起きて、それに押し出されるようにして私が彼の目の前に飛び出した形でしたから。それで反応しなかったんじゃないでしょうか」

「そう……だとすると、取材に行くペアは、よく考えないといけないなぁ。偶発的な事故にまで対応するような術はかけられないし。ごめんね、危ない目に合わせて」

「いえ、気にしないでください。人間世界の仕事だって、百パーセント安全な仕事なんてありませんし。多少の危険は覚悟の上です」

「君は本当に真面目だねえ。しかしもう少し自分を大事にしたほうがいい」


 永徳はそう言って笑ったが、その表情には心配の色が残っていた。


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