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第30話 波乱の企画書

 自分が押し切るような形で進めた「人間風メイク」の企画書だったのだが。


「候補に挙げたモデルさん、全員ボツですかあ……」


 ため息まじりにそう言うマイケルに続き、佐和子も頭を抱えた。


「……時間はないし、極力先方の希望に沿った形に企画書はしているはずなんだけど」


 鬼灯堂との打ち合わせの翌日。佐和子は話し合った内容をもとに、一気に企画書を書き上げた。要望通りの内容のはずだが、残念ながら先方からケチがついてしまった。


「雪女に、鬼、口裂け女でそれぞれ三人ずつ候補を出して、人間風メイクにもバリエーションを出せるようにしていますが。先方のコメントは『企画として目新しさがなく、モデルもバリエーションに欠ける』でしたねえ。電話しても詳しくは説明してくれないし。人間風メイクって企画自体が目新しいとは思うんですが。具体的になにがダメだったんでしょう」


 マイケルは両手で金髪をぐしゃぐしゃとかき回しながら唸っている。佐和子は両手を揉み合せながら、弱気になりそうな自分を必死に奮い立たせていた。


「メイクアップアーティストは、先方で懇意にしている人がいるし。モデルが決まれば一気に進められるはずだったのに。とにかく、もう一度候補を考えてみるしかないか……」

「鳥海さん、大変申し上げにくいのですが……」


 マイケルが時計を見る、すでにインターンである彼の拘束時間を過ぎていた。


「あ、ごめんなさい! あとは私がやっておきますから。マイケルさんは帰ってください」

「すみません……。鳥海さんも、あまり遅くなってはダメですよ。夜道は危ないですからね」


 心配そうな顔でこちらを見るマイケルに弱々しく手を振りつつ、佐和子はパソコンに視線を戻す。


 ——雪女と鬼、口裂け女って、全然違うあやかしだよね。どうしてバリエーションに乏しいっていう感想になるんだろう。


 過去に同じような企画をあやかし瓦版でやったことがないか刹那に聞いてみたが、そもそも広告企画自体を積極的に受けて来なかったらしい。さすが地代収入が主たる基盤の媒体である。


 改善に向けてヒントを探そうと、鬼灯堂のウェブサイトを開いてみた。自分のスマホやパソコンからアクセスしても見られないのだが、編集室のネット環境からアクセスすると、さまざまなあやかし界のホームページにアクセスすることができる。


 黒と赤を基調としたランディングページを見ながら、佐和子はため息をついた。


 なにも浮かばない。パソコンの画面を凝視しすぎていたせいか、目の奥が痛む。眉間を指で揉みながら、肺の中の空気を一気に吐き出した。それでもなんとか知恵を絞り出さなければと、あやかしのタレントデータベースを見つつ、椿からもらった資料を見つつ、企画書を見る。


 それを繰り返しているうち、人間の世界で勤めていた頃を思い出していた。


『あんたが出した損失、わかってる? またプロジェクトを任せたところで、同じことになるに決まってるじゃない』


 一度の失敗で、自分は欠陥品のレッテルを貼られた。それ以降は雑用係に徹することを求められ、ふたたびチャンスを与えられることはなかった。


『あとから入ってきた他の子はもういくつも製品任されてるのに。鳥海さんはね、努力が足りないの。言われたことをやってるだけじゃあ、認めてもらえないよ』


『あなたのために言うけど。もうマーケやめた方がいいんじゃないの?』


 浴びせられた言葉が頭の中でぐるぐる回る。焦燥感が心を突き上げ、心臓がバクバクと鳴った。震える両手を握りしめ、必死に息をする。


 ——自分でやるって言ったんじゃない。ここで逃げたら絶対ダメ。また失望されちゃう。


「どうだい、鬼灯堂の進捗は」


 声をかけられて、飛び上がった。いつも刹那が座っている隣の席に、いつの間にか永徳がいたのだ。


「笹野屋さん、いつから……?」

「十分くらい前からかな。ちなみに、声をかけたのは二度目だよ」


 机に頬杖をつきながら、永徳はにこりと笑う。


「ええっ。す、すみません……」

「うん、全然いいんだけど」


 集中していてまったく気が付かなかったが、すでに編集室にいるのは佐和子だけ。他のあやかしたちは皆帰宅して、自席のパソコンだけが煌々と光を放っている。


「もう夜の十一時だけど。泊まっていくのかい? 夕食も食べてないだろう」

「あ……あの、朝まで頑張ってみてもいいでしょうか……」

「君は、ずっとそんな仕事の仕方をしていたの?」


 責めるような目線を向けられ、佐和子はたじろいだ。いつものほほんとしている永徳が見せたことのない表情に、思わず目を伏せる。


「私は……実力がないので。人の何倍も時間を使わないと、満足のいく成果が出せないんです」

「そうかな。俺は決して、君は仕事ができないとは思わないよ」

「でも。鬼灯堂の件も、モデル案の出し直しを要求されているわけですし」

「……鳥海さん。君は、なんでもかんでも自分で抱え込もうとする癖があるね。あとは、はっきり言ってしまえば視野が狭い」

「そうでしょうか……」

「おまけに頑固だ」


 永徳はそう言うと唇に笑みを宿した。


「いいかい。人でもあやかしでもそうだけど、仕事をする上では皆、『自分が優位になるように』仕事を進めようとする。相手のことなんか考えちゃいない。特に今回みたいな下請け仕事はね。だから俺たちも、『自分が苦しまない範囲でできるように』仕事の線引きをしなければならない」

「はあ……」

「特に今回の鬼灯堂の件は厄介だねえ。納期が短い理由はなんだったっけ?」

「四月の、春のメイクのシーズンに間に合わせたいからだと……」

「四月の中旬で春メイク企画って遅くないかい?」


 永徳の言葉に、佐和子は目を見開く。言われてみれば、雑誌などの特集も、少し早めの時期にこうした季節ものの特集を組んでいる。いくらオンラインといえど、春の話題として投稿するには時期が遅すぎる。


「……そう、ですね」


 結果を求めるあまり、そんなことも見えなくなっていた自分を恥じた。


 俯く佐和子を前に、永徳は言葉を続ける。


「これは単なる憶測だけど。たぶん既存の企画が潰れたか、思ったより費用が掛からなかったとかで、予算があまったんじゃないかな。で、たまたま鳥海さんの記事を見て、『これだ』って。予算もったいないし、これに使えばいいじゃないかと。ちょっと春メイクにはぎりぎりだから、相手先に無理させて、と。だから俺は、こういうタイプの案件は基本受けない。社員に負荷がかかりすぎるからね」


 永徳の考えが正しいとすれば、今回の案件は「ダメもと」で聞いてきた案件だったということ。それを佐和子はまんまと、先方の思惑に乗って進めてしまっているということだ。


 ——視野が狭い、か。


 言われてみれば、そうなのかもしれない。

 認められたい。その気持ちが自分の目を曇らせている気はする。


 改めて冷静な分析を突きつけられ、自分の盲目さを浮き彫りにされ、佐和子はさらに深く項垂れた。


 落ち込む佐和子の頭に、永徳の手が触れる。ポンポンと軽く叩くと、宥めるように話し始めた。


「鳥海さんは、よく『大丈夫』という言葉を使うねえ」

「はい……すみません」

「謝る必要はないよ。ただ、その『大丈夫』に、無意識に『自分が無理をすれば』という枕詞をつけているのはよろしくない」

「あ……」


 永徳の言葉を噛み締め、自分のこれまでを振り返る。彼の言う通り、佐和子はどんな仕事においても、自分が無理をする想定で予定を組んでいた。受けもてる限界まで仕事をする上、変にプライドが高いために、人に助けを求めることもできず、結果として満足のいく仕事ができなかったり、途中で体を壊してスケジュールが押してしまうことがよくあった。


「余裕を作るのも仕事のうち。自分の体を壊してまで仕事をしてはいけないよ。仕事は楽しいものだが、人生はそれだけではない。体が健康じゃなければ、いい仕事もできないしねえ……それに」


 急に距離を詰めてきた永徳に、佐和子はどきりとした。部屋の明かりを反射してか、青い瞳はオレンジ色の光を宿している。


 双眸を細め、永徳は佐和子に向かって低い声で囁いた。


「今は下宿しているあやかしがいないからね。本気で嫁に来る気持ちが固まったならいいけど。迷っているなら独り身の男の家に遅くまでいてはいけないよ」


 色気を含んだ言い方に、佐和子の顔は一気に赤くなった。そんな佐和子の様子を楽しむように、永徳は爽やかに笑う。


「そんなに身を縮めなくても。冗談だよ。無理強いをするような趣味はないからねえ。さあ、とにかく片付けて。家まで送ろう」

「で、でも……」


 食い下がろうとする佐和子の手を、永徳が取る。彼はもう片方の手で佐和子のパソコンを閉じ、カバンを担いだ。


「まだ先方からの相談の段階で、契約書は結んでいない。企画内容もまだいじれる。とにかくこの話は一旦寝かせて、明日の夕方話そう。夜まで空けておいて。日中は通常業務を済ませておくこと。いいね?」

「えっと……どうするおつもりですか?」

「君はこの仕事、なんとか形にしたいんだろう?」


 永徳が言わんとすることが理解できず、佐和子は眉根を寄せた。この話は断る、という流れではなかったのだろうか。


「スケジュールを引き直して新しい企画書を出す。それで相手方が難色を示すようなら、この話はこれで終いだよ」


 ——新しい企画書を出す……?


 鬼灯堂の要望通りに企画を進めようとしていた佐和子にとっては、目から鱗の言葉だった。その一方で、せっかく自分がまとめ上げた全体案に水を差すような永徳の意見に反感も生まれる。断らないのなら、ここまでやってきたことを無理にでも形にする方がいいのではないか。


「でも」

「鳥海さん」


 永徳は佐和子の両肩に手を置き、佐和子の目線に、自分の瞳を合わせる。


「君はもっと自分を大事にしないとダメだ。そんなふうに無理やり結果を出すような仕事の仕方をしていたら、先方はどんどん無茶を要求してくる」


 強い調子でそう言われて、佐和子は押しだまる。永徳は念を押すように言葉を重ねた。


「君は、『認められたい』という思いが強すぎるのか、自分で自分を断崖絶壁に追い込んでいるんだよ。本当にそんな働き方でいいのか? 君が働く上での幸せは、本当に『人に認められる』ことなのか?」


 自分の心の奥底を暴かれたような気持ちだった。


 居心地の悪さに、視線を思わずそらすと、佐和子の肩を掴んでいる永徳の手に、グッと力が込められる。


「わ、私は……」

「自分を犠牲にすることを当たり前だと思うな。たったひとりしかいない君を、君自身がきちんと大事にしておくれ」


 強い言葉とは裏腹に、永徳の瞳に宿った感情に佐和子は戸惑いを覚えた。


「頼むから」


 ——なんで、そんな泣きそうな顔をしているの?


 まるで心が擦り切れるよう寸前のような、悲痛な表情だった。


「……わかりました」

「とにかく、明日だ。……帰ったらすぐに寝るんだよ。明日は少し遅めの出勤で構わないから」


 永徳は佐和子の背中に手を添え、襖へと促す。佐和子は永徳の表情が気になりつつも、薄暗い襖の先へと足を進めた。


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