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第32話 渋谷①

「あの、笹野屋さん……」

「なんだい」

「なぜこんな団体に……?」

「みんなで出かけた方が楽しいだろう?」

「あら、佐和子。悪いわねえ、編集長とのデートにお邪魔しちゃって。そうよねえ、二人っきりで出かけたかったわよねえ」

「刹那ちゃん、私はそんなことを言いたかったわけじゃなくて」


 慌てて否定する佐和子の肩に、宗太郎が手を置く。


「まあ良いじゃねえか下っ端。なかなかこうして編集部総出で出かけられる機会もねえんだしよ」


 てっきり佐和子は永徳と二人きりで出かけることになると思っていたのだが。気づけば襖の前には、編集部の全員が揃っている。


「これから出かける先は、このままの格好では憚られるからねえ。鳥海さん、『人間風メイク』を全員にしてあげられるかい?」


 永徳は一度廊下に引っ込んだかと思うと、たくさんの服がかけられたキャスター付きのラックをガラガラと引きずってきた。手には鬼灯堂のブランドロゴの入ったメイクボックス、近所の薬局のものらしきビニール袋を持っている。


「変装用に調達してきた」

「……もしかして、笹野屋さんが午後外出してたのって」


 佐和子がそこまで言いかけると、永徳は飄々とした様子で答えた。


「高円寺っていうのは古着の宝庫だね。調子に乗って自分用の着物まで買ってしまったよ。化粧品は椿に用意させた。無茶なスケジュールで企画を頼んできているんだから、これくらいはしてもらわないとねえ」

「佐和子、アタシも手伝うわ。ひとりでやったらとてつもなく時間がかかるでしょ」

「あ、ありがとう刹那ちゃん」


 メイクボックスを受け取り、用意された衣装を一通りチェックしたあと。永徳に促されるがまま、佐和子は刹那とともに、編集部員たちに「人間風メイク」を施していく。


「宗太郎さんとマイケルさんはマスクもした方がいいですね。どうしても口元に特徴が出ますから」


 佐和子の変装方針に、マスクの袋を見た宗太郎は顔を歪める。


「息苦しそうで嫌だなあ、マスクってやつ」

「最近はほら、こういう立体感のあるタイプも出てますから。見た目ほど苦しくはないですよ」


 相撲の一件以来、宗太郎が佐和子に突っかかってくることはなくなった。つっけんどんな態度は変わらないが、普通に会話ができるようになったのは嬉しい。


 宗太郎が嫌々マスクを受け取る様子を見ていて、佐和子はふと気づく。


 ——あれ、モデルのバリエーションが少ないって、もしかしてそういうこと……?


 急に動きを止めた佐和子を、怪訝な顔で見つめつつ、宗太郎は大人しくマスクをはめる。永徳が調達してきた立体マスクは、口元が少し突き出た彼の顔の形状にぴったりはまった。肌色のファンデーションを塗り、キャップを被っているおかげで、これならどこからどう見ても人間にしか見えない。


「オイラたちはマスクはいらねえのか?」


 小鬼の蒼司と赤司は二人揃って佐和子を見上げる。佐和子の胸あたりまでしか背がないこの小さな二人がキョトンとしていると、なんだか可愛らしい。


 彼らの頭には小さな角が二本生えてはいるが、それを除けば人間の子どもと見た目はほぼ変わらない。牙はあるが、八重歯と言われればそう見えなくもない程度のものだ。


「二人は角隠しでニット帽を被ってさえいれば大丈夫。服装だけで十分カバーできると思います」


「自分はやっぱりつけないとダメですかね」

「そうですねえ、マイケルさんの歯は、八重歯と言い張るにはだいぶ鋭いですから……」

「みんな似合うじゃないか。鳥海さんプロデュースのおかげかな?」


 普段通りの羽織着物姿のままの永徳は、満足げに編集部員たちを見渡している。


「編集長は洋装じゃなくていいの?」


 刹那の問いかけに永徳は眉尻を下げる。


「いいんだよ、俺はこれで」


 他愛のない会話をしながら支度を進めるうち。佐和子の凝り固まっていた思考もほぐれていく。昨日の晩まで、あんなに焦燥感に苛まれ、出口の見えない迷路に迷い込んでいたのに。


 ——やっぱり、笹野屋さんってすごいな。


 果たして、今日はどんな道標を示すつもりなのだろうか。


   ◇◇◇


 さまざまなファッションに身を包んだ人の波が勢いよく押し寄せる。


 若者から年配の人まで、それぞれが自分達の目的地に向けて、蟻の大群が入り乱れるように行き交う様を見て、あやかし一行はポッカリと口を開けていた。


「まるで合戦場だな……これがあの有名な渋谷か」


 宗太郎が息を呑む。


「佐和子、アタシ、浮いてない? 大丈夫?」

「そんなに心配しなくても大丈夫。ちゃんと人間に見えてるよ」


 珍しく弱気な刹那を佐和子が微笑ましく思っていると、今度は小鬼の双子が身を寄せあって不安を口にした。


「こんなの、オイラたち迷子になっちまうよ、なあ蒼司」

「ああ、間違いねえ」


 二人の様子を見かねた永徳が両手を差し出す。


「仕方ないね。見失っても困るから、蒼司と赤司は、俺の手を取りなさい」


 事前に今日の目的地が渋谷であることを知ったときは、勢いよく盛り上がったらしいのだが。実際に現地に到着して、そのあまりの人の多さに恐れをなしたらしい。唯一都心の方にもたびたび遊びに来ているというマイケルだけが落ち着いている。


「ああ、信号が青になったね。ほらみんな、渡るよ」


 編集長の号令に倣い、意を決した様子であやかしたちが一歩を踏み出す。


 中腰になってあたりを注意深く伺いながら移動する宗太郎、佐和子にしがみつく刹那、小鬼の双子の手を引く永徳。そしてそのうしろを余裕の笑みでついていくマイケル。


 いかにもお上りさん然とした団体が、スクランブル交差点を渡っていく。


 闇夜に煌めくデジタルサイネージ広告、天に向かって伸びる近代的なビルの数々。そのどれもに目を奪われ、ときには歓声を上げながらあやかしたちは歩いていった。


 格好だけは繕っているものの、側から見れば相当怪しい集団に違いない。


「あやかし瓦版の皆さんは、都心の方にはあんまり来られないんですか?」


 佐和子が疑問を口にすると、宗太郎

が眉間に皺を寄せた。


「下っ端、俺たちをお上りさんだって馬鹿にしてんのか!」

「え! いや、そんなつもりは」


 憤慨する宗太郎を、永徳は嗜めつつ、佐和子の疑問に答えてくれる。


「宗太郎、そうカッカするな。そうだねえ、こういうところを好むあやかしもいるかもしれないけど。基本的には自然に近いところがテリトリーだから。普段は出てくる機会がないのだよ。まあ、いい社会勉強の機会にはなるだろう。他のあやかし系メディアもこういうところに出てくることはないし。格好のネタの狩場だよ」

「へえ、そうなんですか」

「さて、目的の商業ビルはどこだったかな……」


 スマホの地図を覗き込む永徳を見て、おや、と佐和子は声を掛ける。


「あの、笹野屋さん、そのビル、こっちじゃありません。反対方向ですよ」

「え、あれ……?」

「……ご案内しますね」


 佐和子にそう言われ、「参った参った」と永徳は自分の額を片手で打ち、苦笑いを浮かべた。


「その方が良さそうだ。いやあ、俺も都会はそんなに得意ではなくてね。スマホのマップって、どっちが進行方向だかわからなくならないかい?」


 永徳が編集部員たちを連れてこようとしていたのは、渋谷の中でも新しい部類に入る施設だった。地上四十七階建てのそのビルには、企業のオフィスの他、飲食店やファッション雑貨を販売する店、映画館や電気店など、さまざまなテナントが入居している。


「鳥海さんのおかげでなんとかたどり着けたね。ここまで来ればもうわかる。こっちだよ」



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