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第36話 提案を終えて

「面白い提案だったよ、笹野屋永徳殿」

「楽しんでいただけのならなによりだよ」


 会心の笑みを浮かべる永徳に笑い返した華山だったが、鋭い眼光が佐和子に向けられた。お叱りを受けるのかと縮み上がっていたのだが。


「鳥海さんと言ったかな? 人間世界でのトレンドをうまく活用した君のアイデアは非常に興味深かった」


 ビリビリとした緊張感が、一気に緩む。


「あ、ありがとうございます!」


 求められていた自分の役割をきちんと果たすことができた。そう思ったらホッとして、涙が出そうになる。それをグッと堪えるように、佐和子は唇を噛み締めた。


「椿くん、これ、夏の企画の候補に加えないか。アプリ案はすぐには難しいかもしれないが、今後取り入れてみたい。どう思う?」

「……いいと思いますわ。なかなか斬新ですし」


 部長の問いかけに、椿は頷いた。その表情からは感情が窺い知れなかったが、最後に付け足された一言に、佐和子は口角をあげた。


「なかなかやるじゃない、人間。及第点をあげる。また連絡するわ、検討結果が出たら」


 全身から力が抜ける思いだった。喜びがじわじわと込み上げる。


「あ、ありがとうございます!」


 また、一つやり遂げた。

 永徳と、たくさんの仲間たちの手を借りて。ひとりで戦うのではなく、助け合って、意見を交わしながら一つのものを作り上げた。


 作りあげている間も楽しかったが、それが認められた瞬間も飛び上がるくらい嬉しい。

 涙が出そうになるのを堪える。一時は死んでいた感情が、今は溢れて止まらない。感情の起伏は少ない方だったはずなのに、最近はことあるごとに泣いてばかりだ。


 働く幸せというのは、もしかしたらこういうことなのかもしれない。

 狭く苦しいと思っていた世界が、今はとても広く感じた。



 そこから会議室を出て、鬼灯堂のエントランスを抜けるまではなんとかしゃっきり歩けていたが。永徳の術で編集室に着いた瞬間、佐和子は膝を折ってその場に崩れ落ちてしまった。


「ちょっと、大丈夫かい?」


 慌てた永徳は佐和子の横にしゃがみ込み、顔を覗き込む。


「あ、はい……大丈夫です。緊張が解けたら、気が抜けちゃって」


「もうあと三十分で定時ですし。鳥海さんは早めに上がらせてあげたらどうでしょう? ここのところ連日ひとりで残られてましたし」


 マイケルは佐和子に肩を貸し、椅子に座らせながら永徳に意見する。


「いえ、まだやっておきたいことがありますし。頼まれた仕事もありますから」


 佐和子がそう言うと、永徳は険しい顔を作った。


「頼まれた仕事って、どれだい。話してごらん」


 永徳に促され、佐和子はポツポツと依頼されている仕事の中身を説明する。近々の仕事と内容を説明し終えると、永徳はため息をつく。


「宗太郎は、なんでも『急げ!』って言うから気をつけて。内容を聞いて、できなければ断るか、適切なスケジュールを引いて返答しなさい。他のも別に今日やらねばならないものはないし、時間がかかりそうなものは俺も手伝うから」

「いえ、でも」

「……柚子茶を淹れてくる。少し、話をしよう」


 そう言い残して、眉間に皺を寄せた永徳は襖の向こうへ消えていった。


「編集長は心配してんのよ。あんたが人間だから」


 そう声をかけてきたのは刹那だった。しかめっ面ながらも、すぐ近くまで首を伸ばしてきて、心配そうな視線を佐和子に向けている。


「でも、過保護すぎじゃない? まだまだ下っ端だし、努力するのは当たり前だし、残業だって」

「富士子様を亡くしてばかりなのよ。疲れも病気もしない編集長からしたら、怖いんじゃないの。自分の知らぬ間に身近な人間が弱って、死んでしまったりするのが。あやかしと違ってか弱いからね、人間って。それにあんたは特別無茶するし」


 刹那の言葉に、佐和子は疑問を口にした。


「疲れもしないし、病気にもかからない……?」

「あら、知らなかったの?」


 言われてみれば。川天狗の里に行ったときも、あれだけ長い間山登りをしていたのに、息ひとつ切らさなかったし、汗もかいていなかった。一緒にいる機会はこれまで多かったが、疲れている様子を見たことがない。昼寝だけはよくしているような気はしたが。


「お待たせ。柚子茶を用意してきた。縁側で話をしよう。歩けるかい?」


 いつの間にか永徳は、編集室の中に戻ってきていた。


「悪いね、帰りがけに」

「いえ、どうせ残業するつもりでしたし」

「定時までには話し終えるから」

「大丈夫です。気にしていただかなくても」


 縁側に腰掛けると、頭上には銀砂を散りばめたような星空が広がっていた。月明かりに照らされた日本庭園は、なんとも幻想的な雰囲気を醸し出している。勧められるままに柚子茶をひと口含めば、以前この屋敷に初めて来たときのように、スッと体が軽くなった。


「君は今回の企画案、とってもよくやってくれたと思っているよ。人間世界のものを取り込みつつ、うまく企画の形にまとめてくれた」


 永徳は空を見上げながら、穏やかな声でそう言った。


「……ありがとう、ございます。でもまた笹野屋さんがヒントを……」

「材料は与えたけどね、それを企画としてまとめ上げられたのは、鳥海さんの実力だ。それに君のアイデアも入っているだろう?」


 これまでの仕事人生、怒られてばかりだったので、褒められるとこそばゆい。佐和子は頬を染め、どう反応して良いものかわからず下を向いた。


「君はちゃんと自分の役割を理解して、自分なりの価値を示そうとしている。うちとしては、とても助かっているんだよ。だからこそ自分を大切にしてほしい」


 こちらを覗き込むようにそう言った永徳に、佐和子は眉根を寄せて反論する。


「あの、でも。私、笹野屋さんが思うほど、体弱くないですし。もっともっとできるようになりたいんです。皆さんに認めてもらえるくらいに」

「君の『大丈夫』はあてにならない」

「でも、本当に大丈夫なんです」

「今だってよろよろしていたのに。それがどうして大丈夫って言えるんだい」


 永徳の声色には、苛立ちが含まれていた。身を縮こませた佐和子を見て、自分が声を荒げていたことに気づいたのか、永徳は視線を自分の足元に落とす。


「ごめん、少しムキになった」

「いえ……あの……」


 気持ちを落ち着けるように、永徳は大きく深呼吸をする。しばしの沈黙のあと、彼はためらいがちに口を開いた。


「鳥海さんを見ていると、かつての同僚の姿を重ねてしまってね。心配になってしまうんだよ。君も……突然彼のように消えてしまうんじゃないかって」

「同僚の方、ですか」

「うん。俺も昔会社勤めをしていてね。広告代理店に勤めてたんだけど」


 サファイアのような瞳が、月の光を受けて輝いている。しかしその輝きは、悲しみに満ちていた。


 ——ああ、またこの表情。


 いつもニコニコしている永徳が、こんなに悲痛な表情を見せるほど、その思い出は、彼の心を締め付けているのだろう。


「半妖っていうのは、どの程度親の特質を受け継ぐかは個人差が大きい。俺に関して言えば、会社勤めをしていた当時は、まだ自覚できるほどにたいした能力は芽生えていなかったんだ」

「そう……なんですか」

「だから『自分は人間と変わらない』と思っていた。目が青いくらいで、自分にあやかしの特質は遺伝しなかったんだと。……でも、違ったんだ」


 永徳は、苦しそうに顔を歪めていた。


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