「あああー! もうっ! 何なのあの女ぁ!」
ドアを蹴破るかの如く豪快に部屋の中にとび込んできたアリシアは、そのままベットに直行した。
呆れ顔の王子付きメイド、イブが「女言葉はおやめください」と諭す。
「だって! 聞いてよイブ、バーベナったらさぁ!」
「はい、お聞きしますから。内股はやめましょう。あと、外に聞こえては大変ですから、もう少し声の音量を下げましょう」
酒が入っていないのに、完全にウエイトレスにだる絡みする酒場の客だ。そういう自覚はありながらも、アリシアは愚痴りたい衝動を抑えられずにいる。
あれからいろいろ頑張ってみたのだが、まったく親しくなれる気配がないのだ。
手始めにガーデンテラスでのお茶に誘ってみれば、応じてはくれたものの、向こうからの会話は一切なし。こちらが話しかけても、「はい」「そうですね」の二パターンしか返答をしてもらえない。
部屋に花を届けさせるが、お礼の手紙などは一切寄越さない。
乗馬に誘ってみるが断られ、毎日の夕食でも無言を貫かれている。
隙が一切ないバーベナ姫に、アリシアは心が折れかけていた。
「今日はバーベナ姫が騎士団の稽古を見学にいらっしゃいます。かっこいいところを見せるチャンスですよ」
イブにそう励まされ、背中を押されながら部屋を出される。
「稽古ねえ。本当に観にくるのかなぁ」
だがまあ、これまでのアプローチよりはまだ希望がもてる。一応は自分の得意分野だ。ここにきて思ったが、アリシアの実力は決して騎士たちに劣るものではなかった。実践で騎士たちを上回ることはできなくとも、美しく剣を振る姿はそれなりに見られるものであるという自信がある。
鍛錬場に向かえば、すでにメンシスの騎士たちが稽古を始めていた。アリシアに気づくと、彼らは稽古の手を止め、皆一様に胸に手を当て、最敬礼をする。
ハリボテの笑みで右手をあげれば、一人の騎士がアリシアの前に進み出た。
「アラン王子! お手合わせをお願いします!」
「あ、はい!」
「……? よろしくお願いします!」
声をかけられて咄嗟に反応してしまい、うっかり素が出てしまった。相手の騎士は不思議そうな顔をしながらも、剣を構える。慌てて威厳たっぷりの表情を作り、腰に携えた剣を鞘から抜いて、アリシアは相手の剣に剣先を重ねた。
「はじめ!」
勢いよく向かって来る剣士の攻撃を、足を使ってかわしていく。さすが精鋭部隊ということもあって、強い。ここに来てから二度ほど稽古には参加しているが、全力を出しつつも、本気を出していないふうを装うのはなかなか大変である。
——そもそも、町娘に王国最強の剣士の真似事をしろっていうのが無理な話なんだから!
王子としての体面を保つには、圧倒的強さを見せておかねばならない。彼らに王子失踪の事実は知らされておらず、ここしばらく公に姿を見せなかったのは、流行風邪で寝込んでいたからということになっている。
激しくぶつかり合う金属音が響く中、突如、鍛錬場にざわめきが広がる。
「バーベナ姫だ……!」
騎士の一人がそう呟いたのが耳に入る。一瞬そちらに気を取られて、反応が遅れた。
——あ、やば。当たる!
相手の剣が目前に迫っていた。今からでは薙ぎ払うことも、横に避けることもできない。迫り来る剣撃に、痛みを覚悟したのだが。
「バーベナ姫のお出ましです。王子、どうぞ姫のもとへ」
若い騎士の剣は、振り切られることなく静止していた。
黒い鎧を纏った長身の騎士が剣先を捕まえている。
——セオドア! 助かったぁ……
メンシスの副団長、セオドア。白に近い金色の短髪に、緑色の瞳が印象的な彼は、王子がいない今、メンシスの統括を任されている。
そして彼は、アリシアの正体を知る人物の一人でもあった。
「ありがとう、セオドア」
実力では王子に大幅に劣るアリシアのことを、彼はうまくフォローしてくれている。無言で頷く彼を背後に残し、バーベナ姫を視線で探せば、侍女と共に鍛錬場の観覧席にいた。今日は白いレースのつば広帽をかぶり、ペールイエローのドレスを着ている。
「バーベナ姫。お越しくださり嬉しく存じます」
そう挨拶したはいいものの、絶対零度の無表情でジロリと横目で睨まれる。
嫁ぐことに決まっているのだから、ちょっとくらい笑顔を見せなさいよ、と心の中で悪態はつきつつ、紳士らしく微笑んで跪く。教えられた通り、レースの手袋をはめた彼女の手を取って口付けをしようとすれば、パッと手を退けられた。
——えっ、拒否!?
「……鍛錬がどんなものかは分かりましたので。私はこれで」
「あの……姫……」
輝くような銀色の髪を翻し、バーベナは戸惑う侍女を連れてどんどん出口の方へと向かっていく。
「なんだよありゃ。王子が譲歩してやりゃ調子に乗りやがって」
「自分が人質だってこと、分かってないのかねえ」
「気位ばっかり高い蛮国の姫はこれだから。あんなのの血をグラジオ王家に入れるくらいなら、征服しちまえばいいんだ、ロベリアなんて」
騎士たちが口々にバーベナを非難する言葉を口にする。本来王族の妃の悪口など、表立って言えば死罪だが。堂々と口にできるということは、対ロベリア関連に対しては、きっと王子がそれを容認してきたのだろう。
——こりゃまずい。私がなんとかうまくやらないと、ロベリアへの反意が高まっちゃう。せっかくの和平のための結婚なのに。
「仮にも王子のお相手に対して、そういった口の聞き方をするということは。処罰される覚悟があるということだな? さっさと稽古に戻れ! モタモタするやつは端から鍛え直すぞ!」
いつの間にかアリシアのすぐ後ろにいたセオドアが、そう声を張り上げた。空気がビリビリと震えるような怒気を孕んだ言い様に、騎士たちは慌てて鍛錬場の中央へと戻っていく。
自分より頭ひとつ分おおきい副団長を見上げながら、アリシアは申し訳なさげに眉を下げた。
「ごめん、セオドア。嫌な役をやらせて」
「ロベリア嫌いの王子が注意するのはおかしいでしょう。これはもともと私の役目です」
鋭い碧眼がこちらを向く。身の毛のよだつような圧に押され、アリシアは一歩あとずさる。
「剣の腕もそこそこ、女性の扱いもままならない、機転も効かない」
眉間に寄った皺が、汚いものを見るような表情が、アリシアへの侮蔑をありありと表している。そうしてようやく悟った。彼は親切で助けてくれていたのではなく、王子の名誉のために、仕事としてやっているのだと。
「やはり姿形が似ているだけの庶民ができる役目ではありません。怪我をする前に逃げた方か良いのでは?」
他の騎士たちには聞こえないようにそう言い放ったセオドアは、鍛錬場へと戻っていく。
「な、なんなの! こっちだってねえ、好きでこんな役目やってるわけじゃないんだから!」
腹立たしい。なぜ自分がこんなことを言われねばならないのか。
アリシアは口をギュッとひき結び、バーベナを追うふりをしてその場を離れた。
溢れ出る涙を拭い、下を向いて歩いていく。
泣き顔さえ隠さなければならない身の上が、悲しかった。