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第6話 バーベナ姫の正体

 どよん、とした空気が、王子の部屋には満ちていた。


「お散歩でもしてきてはいかがでしょう……? 顔色が悪いようです」


 いつもに増して荒んだアリシアの様子に、さすがのイブも心配な顔をしている。


 鍛錬場から自室に直行したアリシアは、身の丈に合わない豪華なソファーにだらしなく横になっていた。家庭教師に見られたら行儀が悪いと怒鳴られそうだが、もうそんなことどうでもいい。


 グラジオの人間たちからは、バーベナ姫との友好的な関係を期待されるも、うまくいかず。

 剣の腕を認められてこの役を任命されたものの、王子並みとはいかず、副団長であるセオドアに迷惑をかけてばかり。


 やりたくてやっているんじゃない。

 自分のせいじゃない。

 味方も誰もいない場所で、必死にやっているのに。どうしてこんな辛い思いをしなければならないんだ。

 力の限りそう叫んで逃げ出したい気持ちが、心のうちには渦巻いている。


「そうさせてもらおうかなあ」


 弱々しく呟くように言って、アリシアはソファーから身を起こした。


 すっかり使用人たちとの信頼関係ができてから、見張りのメイドの数は減らされ、一人で出歩くことも許されるようになってきている。自室から出ると、アリシアはフラフラとあてもなく歩き出した。


 すでに夕暮れ時。厨房の方からか、美味しそうな匂いが香ってくる。

 港町の夕方の風景を思い出し、胸がキュッと詰まる。今頃故郷の街でも、民家のかまどの煙とともに、料理の香りが漂ってきている頃だろう。


 再び涙腺が緩みそうになった時、正面から人影が歩いて来るのが見えた。


 ——あれ、あの人。


 こちらをアラン王子と見て、廊下に体を寄せて頭を低くした執事に、目を奪われる。

 切れ長の吊り目、色白の肌、通った鼻筋と高い鼻。平凡な赤茶の髪をしているが、それ以外に見覚えがある。何しろ何時間も黙って向き合っていた相手なのだ。姿形を観察するには十分な時間があった。


 ——もしかして、バーベナ姫? なんで執事の格好? あれはカツラ?


 廊下の突き当たりまで歩いたところで、執事から死角になる位置に隠れた。影からそっと様子を伺い、アリシアが来たのと反対方向へと向かう「バーベナ姫」らしき執事のあとをついて行く。


 執事は、来賓用ベッドルームに入って行った。聞き耳を立てようと部屋のドアに耳をつけたところで。

 アリシアは腕を捕まれ、中へと引き摺り込まれた。


 咄嗟に相手を掴み返し、床に投げ飛ばして馬乗りになる。

 その瞬間、赤茶色の髪の毛が飛んでいくのが視界の端に見えた。


「ってぇな! 離せ!」


「やっぱり! バーベナ姫だ」


「げ、カツラ取れてんじゃん! ってか、王子? やっべ」


 飛んで行ったカツラがなくなって、現れたのは流れるような銀色の長髪。顔立ちを見てもバーベナ姫で間違いない。だが。


「男……? ええっ、どういうこと?」


 掴んでいる腕も、アリシアがのしかかっている体も。細身ではあるが、女のものとは思えないほど硬くてゴツい。


「もしかして、あなたも身代わり……?」


「え、『も』ってことは王子も?」


 ——しまった!


 自分の失言に気づいた時にはもう遅い。意地悪くニヤリと笑ったバーベナは、興味深げにアリシアの顔を見上げる。


「へえ、あんたも。通りでいっつもオドオドしてるわけだ」


「いや、えっと、あの」


 瞬間、バーベナに腕を捻られ、天地が逆転する。抵抗しようとした時には片手で手首を頭の上に拘束され、身動きが取れなくなっていた。


「っていうかさ」


 彼はじっとアリシアを観察する。顔を覗き込み、全身を眺めると、長いまつ毛に縁取られた切れ長の目を細める。


「あんた女じゃね」


「へっ、いやいや、まさかそんな。ははは」


「脱がしてみればわかるだろ。では失礼」


「わああ! やめてやめて! 白状します! 女です、女ですって!!」


「ぶっ。あっさり言うなよ。嘘だよ、嫌がってる女にそんなことする趣味ないっつの」


 少年のような無邪気な笑みが、これまでの敵対心剥き出しのバーベナとは違いすぎて、呆気に取られる。陽気で軽薄そうだが、妖しげな魅力に満ちた男。それでいて絶世の美女にも勝るような美貌を持っている、姫の身代わり。


「なんで私が女だってわかったの?」


アリシアは半泣きになりながらも、疑問をぶつける。


「跨られた時、股の間にブツがなかった。男の割には軽すぎるし。っつーかさ、あんた、初めて会った時から思ったけど、挙動不審すぎ。話で聞いてたアラン王子と全然違うし。本物はもっとツンケンしてて、威厳があるんだろ。ちゃんと演技しねえと、バレちまうんじゃねえの?」


 最もだまさねばならない人間に欠点を指摘され、地味に凹む。


「ご、ごめん」


「なんで俺に謝んだよ。はあ、しかし、バレちまっちゃ仕方ねえ。腹割って話そうぜ」


 そう言うとバーベナは、すぐさまアリシアを解放する。よっこらせっと言いながら立ち上がれば、素早くカツラを拾って装着し直し、ドアノブに手をかけた。


「俺の部屋に来い。ここじゃいつ誰かに見つかるとも限らねえ」


 アリシアは言われるがまま、バーベナの後に続く。

 自分はどうなってしまうのだろうか。このままロベリアにことの詳細がバレてしまえば、両国は一触即発の状況に逆戻りなのではないか。


 自分のしでかしたことの重大さに、血の気が引く。


「ぼーっと突っ立ってんじゃねえよ。置いてくぞ」


 気やすそうに見えても、この男は何を考えているのかわからない。

 天敵に毛を逆立てる獣のように、アリシアは警戒しながら廊下を進んでいくのだった。


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