「この結婚を失敗させようとしてる一派がいるらしい。ロベリア王家の諜報員が情報を掴んだんだ。具体的に誰が関わってるかまではわかんねえんだけど」
「……え、ええええ?」
バーベナの部屋に着くと、彼は部屋付きの侍女を下がらせ、アリシアにソファーに座るよう促した。
相手が偽物と分かり、遠慮が一切なくなったバーベナは、向かいのソファーに腰掛け、背もたれに寄りかかり長い脚を組んでいる。
「昔から国境を争って、ロベリアとグラジオはバチバチだろ? で、今回グラジオの勝利で決着して、和平交渉に漕ぎつけたわけだけどさ。はいそうですかとはいかないやつもいるわけ。ロベリアの枢密院は戦争支持派と和平派に未だ真っ二つ。で、どうやら戦争支持派の一部が、今回の結婚を潰そうと動いてるみたいでさ」
「その人たちはどうやって結婚を妨害するつもりなの?」
アリシアがそう問えば、バーベナは意地悪く口角を上げる。
「アラン王子の暗殺」
「暗殺?!」
「そう、あんたの」
女だと思っていた姫が男だったところで、今度は物騒な話が飛び込んできた。あまりにもいろんなことが起こりすぎている。
「な、なんで暗殺?」
「お前、アホか。ちょっと考えればわかるだろうが。王子を殺して、それをロベリアのせいだとわかるようにすれば、戦争の火種になる。そして王子は類稀なる剣の実力の持ち主。王子が死ねば騎士団の士気だって削がれる。そこを一気に攻めればロベリアの勝率が上がるだろ?」
頭が真っ白になる。そんなことをされてはたまらない。
「ひどい。このまま両国の和平が成立すれば、たくさんの民衆が救われるのに」
キリヤは片眉を吊り上げ、バカにしたように笑う。
「あんたは世の中ってもんを知らないねえ。戦争ってのは儲かるんだ。だから下々の命なんか捨て置いて、争いを続けることに躍起になる人間もいるんだよ」
国の中枢に立つ人間たちの一部が、どれだけ民の命を軽く見ているかは肌で感じていた。でも、それでも信じられなかった。金稼ぎのために、人の命を弄ぶだなんて。
「ロベリア王率いる和平派はなんとしてもこの結婚を成功させたい。しかしアランのそばにいれば、バーベナも暗殺に巻き込まれる可能性がある。だから姫の身の安全のため、そして計画に加担している人間を特定し暗殺を阻止するため、姫と見た目がそっくりな腕のたつ男を探し出し、結婚式までの身代わりにしたわけ」
「じゃあ。あなたは、誰なの?」
そう疑問をぶつければ、彼は眉根を寄せる。
「お前が先に名乗れよ。なんで女のお前がそんな格好して、王子様ごっこしてんだよ」
おっしゃる通りだ。自分だって疑問に思っている。
アリシアは口を開きかけて、また閉じた。
「言えない。言ったら殺される」
王子失踪はトップシークレット。ロベリアの人間に事情を話すことはできない。彼が開示した情報が本当のことであるかはまだわからないし、味方であるという保証もない。
「ふーんそお。まあいいや。ロベリア側に正体バラされたくなかったら、あんたも協力してよね。やー、逆にバレてよかったかも? そのほうが色々協力してもらえそうだし?」
「そりゃ、再戦の火種なんて作りたくないし。自分の身だって守りたいし、協力するけど……」
「助かるわ。なあ、あんた名前は?」
「え」
「アランじゃなくって、名前あんだろ。名前も言えないわけ? 俺はキリヤ」
キリヤは口角をあげ、握手を求めてアリシアに右手を差し出す。
相手に信用されるためには、多少は親愛の情も見せておくべきか。渋々右手を差し出し、彼の手を握る。
「……アリシア。どうぞよろしく」
こうして「身代わり」の二人は、かたく握手を交わしたのだった。
◇◇◇
結婚阻止計画に関わる人間を炙り出すには、アランとバーベナの仲がうまくいっている様子を見せつけるのがいい、ということで。キリヤ命名「仲良し大作戦」を実行に移すことになった。
「いきなり仲良くなっても怪しいからさ、世間話するところから始めようぜ」という彼の意見を採用し、テラスでたあいない会話をしてみたり、王子が王宮を案内するていで城内を回ってみたりと、「仲良しアピール」を繰り広げている。
この取り組みのおかげか、事情を知るグラジオの人間たちはアリシアに対する態度を改め始めた。未だメンシスのセオドアには仏頂面を向けられているものの、嫌味を言われることは減ったし、王も満足顔をしている。
興味津々で事情を聞いてきたノアについては、思い切り張り倒してやった。
今日もキリヤをティータイムに誘いに、バーベナの部屋を訪れていた。彼はソファーにリラックスした様子で座っている。
黒いワンピースに身を包んだ侍女が、あくびをする「姫」の髪を結っていた。いくらなんでも気を緩めすぎではないだろうか。
「そういや紹介が遅れてたな。こいつはガーネット、ロベリアのスピネル商会の娘で俺専任の侍女だ。商会としては国で二番目におっきいとこかな。で、察してると思うけどバーベナの身代わりの件についてはこいつも知ってる」
ガーネットはおとなしそうな娘だった。男らしい態度に変わったバーベナと見比べると、彼女の方が深窓の姫という表現が似合う。
アリシアはじっと、見た目だけはバーベナの皮をかぶったキリヤを観察する。
なんというか、落差が激しい。
先日正体がバレた時は執事姿だったが、今は美しい姫の姿。あの高嶺の花を絵に描いたようなバーベナが、男声丸出しで、股をガッと開いて座っているのをみると、不自然極まりない。
——この人。身のこなしは貴族みたいだけど、どう考えても平民だよね。他の貴族にこんな喋り方する人いなかったし。
ガーネットに部屋を出るようキリヤが言いつける。身支度をしているときや、お茶の給仕の際は部屋の中にいるが、それが終われば彼女には退出を命じている。
アリシアの「身代わり王子」の件は、キリヤ以外には秘密。バーベナ姫付きの侍女であろうと、知られるわけにはいかない。秘密は自分の中に留めると、彼は誓ってくれている。
「いやーあんたが話のわかるやつでよかったわ。本物の王子だったら絶対に仲良くなんかしてくれなかっただろうからなぁ。最悪俺、王子にぶっ殺されんじゃねえかなってグラジオに来る前ヒヤヒヤしてたもん」
「まあ、王子の性格を聞く限りそうだろうね……」
ロベリアの赤い旗を毛嫌いし、アラン王子は身につけるものから徹底的に赤を排除していたらしい。公の場でのロベリア蔑視発言も多く、グラジオ王族たちはなんとか結婚を取り付けたものの、戦々恐々としながら準備を進めていたそうだ。
「しかし単調な会話にも飽きてきたな。そろそろ『仲良し大作戦』第二段階に進めるか。ちゃんと付き合えよ? ヘタクソ役者」
「下手くそは余計だよ」
そう言ってアリシアが手を差し出せば、花から飛び立つ蝶のように、ゆったりとした動きでバーベナは自分の手を乗せる。
「うわあ、男だと知ってみるとすごい違和感」
「うるせえな。ほれ、こっから出たら俺は姫、あんたは王子だ。しゃんとしろよ!」
「わかったよ」
あんなにこの人の前で緊張していたのに。今や港町の男どもと変わらぬ気やすさで話せることが少し嬉しい。まだ信用できない部分もあるが、このとんでもない運命をともに歩む同志ができたことに、アリシアは心強さを感じていた——のだが。
彼の言う「仲良し作戦」第二段階は、うぶなアリシアにとって少々刺激の強いものであることを、この時知るよしもなかった。