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第9話 深夜の来訪

 あれから頭がぼーっとする。


 アリシアは、自室のベランダから夜の庭を眺めていた。

 王子としての勉強に集中しようとしても、どうしてもキリヤの顔が脳裏を掠める。

 触れられた指先、耳元で囁かれる男の声。愛しむように包まれた大きな手の温もり。

 美しい紫色の瞳は、熱を帯びた瞳でこちらを見上げていた。


「ああああ、もうっ!」


 その場でバタバタと足踏みをし、しゃがみ込んで両手で顔を覆う。


 ——第二段階、ってことは、あれからもっと先に進むわけでしょ? 私、耐えられるかなあ……


「殿下」


「うっひゃあ!」


 突然背後から声をかけられ、アリシアは飛び上がる。


「こっそり後ろから近づくのはやめてよ、イブ!」


「あの……先ほどから何度も声をおかけしており……」


「まさか、ずっといたの?」


「はい、ずっと」


「イヤー!」


 羞恥のあまりカーテンにぐるぐると隠れれば、無表情のイブに巻き戻される。


「今は隠れさせてよ!」


「セオドア様が内密のご用件でお越しになっています」


 セオドア、という言葉に途端に頭が冷えていく。


「セオドア……? え、もう私寝る支度しちゃったよ」


「夜警の合間に抜けてきたそうで。あまり時間がないそうなのです。上着だけ着てお迎えするのはどうでしょうか」


「ええ……」


 追い返したい気持ちでいっぱいなのだが。内密の用件ということは、きっと身代わりがらみの話だろう。仕方なく了承の意をイブに伝えれば、黒い鎧に身を包んだ金髪の美丈夫——セオドアが中に入ってきた。


「お勤めご苦労様です。今紅茶を出させますので」


「すぐに戻らねばなりませんので遠慮いたします。お休みのところ申し訳ございませんが直近の予定で共有しておきたいことがあり……」


 そう無表情で一気に言葉を放ったセオドアの表情が突如固まる。

 彼は疑問を顔に浮かべると、上から下までまじまじとこちらを観察し始める。部下といえど、寝巻きというのが不味かっただろうか。


「私の顔に……何かついています?」


 そう問えば、彼は顔を逸らし、片手で口元を覆う。


「……いえ。あの……たとえ事情を知っている人間だとしても、その言葉遣いはいかがなものかと。人の目がない場所でも、王子としての態度を崩さぬ方が良いかと思います」


 一瞬動揺した様子を見せた彼だったが、通常運転に戻ったのを見て、アリシアは首を傾げる。今の表情はなんだったのか。


「わかった。で、話というのは?」


 言われた通りに王子らしく振る舞ってみれば、気を取り直したらしきセオドアが、話を進める。


「実は毎年恒例の騎士団の行事がありまして。ご存知ないと思いましたので、事前にお耳に入れておこうと」


 セオドアはそう言うと、淡々と行事の内容を話し始める。

 初めは腕を組み、王子らしさを意識しながら鷹揚に話を聞いていたアリシアだったが。内容を聞き進めるうち、みるみる顔から色が失われていった。


 ◇◇◇


 ダイヤモンドのあしらわれたシャンデリア、絵画から出てきたように見目麗しい女性たちと、上等な衣装を纏う高貴な男たち。ロベリアとグラジオ王族が一堂に会する機会はすでに何度目かだが、アリシアは未だ慣れないでいる。


 今日はグラジオ王の主催で昼食会が開かれていた。早速キリヤは王子との仲が進展していることを匂わせるように、アリシアに顔を寄せ、穏やかな女声で囁くように話しかけてくる。側から見たら、仲のいい恋人たちが囁き合うように見えているだろう。


「ガチガチだな、いい加減慣れろよ」


 この間のふれあいなどまったく気にした様子のないキリヤを見て、アリシアは気が抜けた。


 ——「キリヤ」はヤンチャそうだし。ああいうのも手慣れたものだよね。変に意識して損した。


 きっと何人もの女性と関係を持ってきたに違いない。彼は美しい。男の格好なら引く手数多だろう。そう考えたら、なぜだか気分が沈んだ。


「しょうがないじゃない。そんな簡単に慣れる訳ないでしょ」


 不貞腐れ気味にそう答えれば、キリヤは片眉をあげて嘲笑する。


「これから先やっていけるのかよー。ロベリアの王族が帰るまで、まだまだ行事はあるんだぞ?」


 行事、という言葉を聞いてアリシアはさらに頭を垂れた。

 昨日のセオドアの話が頭に蘇る。昼食会で話題に上るだろうと思った彼は、アリシアが動揺しないよう、事前に情報共有をしにきてくれたのだ。


「ずいぶん仲良くなったようだな。両国の未来を象徴するようで嬉しいぞ。結婚式が楽しみだ」


 グラジオ王に話しかけられ、ハッとアリシアは顔を上げる。王は満足げな顔で微笑んでいた。


「ああ、こう並んでみると、似合いの夫婦であるな」


 ロベリア王もグラジオ王の言葉に重ねるようにそう言い、朗らかな笑顔を見せている。男の偽物姫を送り込んでおいてこの言いよう。グラジオ王もそうだが、どっちもとんでもないツラの顔の厚さをしている。そういう人間でないと王というものは務まらないのかもしれないが。


「アラン様にはよくしていただいております」


 キリヤは可憐な声で言って、ふわりと上品に微笑んで見せる。そしてそのままの笑顔で、アリシアに視線を向けた。


 笑顔の破壊力がすごい。女装した男だとわかっていても、あまりの美しさに見惚れてしまう。


 戸惑いが顔に出ていたのか、テーブルの下でキリヤにぎゅっと太ももをつままれた。慌てて微笑めば、「ちゃんとやれ」と、囁き声で叱られた。


 順々に前菜がテーブルに運ばれてくる。付け焼き刃のテーブルマナーで挑むアリシアには、味を楽しむ余裕もない。ちらりと横を見れば、キリヤはカトラリーを器用に使い、優雅に食事を口に運んでいる。


「もうすぐトーナメントがある。アランが剣を振るう様を見たら、姫はもっと弟のことを好きになると思うよ」


 ——……きた!


 王の横に座っている男がそう言ったのを聞いて、アリシアはそちらに視線を向ける。彼はアラン王子の兄、第一王子のアレクサンダーだ。王子が身代わりの女だということは彼も知っている。


 ——なのにどうしてそう、ハードルを上げるかなああ!


 事前に聞いていてよかったと切に思った。これに関してはセオドアに感謝だ。そうでなければ、驚きのあまり叫んでしまったに違いない。

 彼は昨晩、間も無く開かれるトーナメントについて説明に来てくれていたのだ。


「トーナメントですか?」


 興味を持ったふうに、キリヤが聞き返す。すると彼にもわかるように、アレクサンダーは説明をした。


「そうだ。王国一の剣士を決める大会なんだよ。ここ五年は続けてアランが優勝していて。昨年殿堂入りしたんだ。だから弟の出場は最終試合のみ。トーナメントを勝ち抜いたものがアランと対戦できる。今年は交流も兼ねて、ロベリアからも剣士が参加するし。どんな戦いが見られるか楽しみだ」


 ——精鋭だらけの王国騎士団から大量に参加するんだよね……おまけにロベリアからも。


「まあ、怖いです。結婚前に婚約者を失いでもしたら……」


「姫は争い事が苦手ですかな? なに、王国最強の殿下のことです。心配には及びませんよ」


 そう言ったのはグラジオの宰相だ。彼は身代わりの件を知らない。

 国で一番の剣士であるアラン王子の実力を疑うものなどいない。そして、身代わりであるアリシアも、その実力を込みで身代わりに雇われている。


「善処します」


 プレッシャーに押しつぶされそうで、そう答えるのが精一杯だった。


 ——セオドアは、彼が決勝まで勝ち上がるから心配ないって言ってたけど。でも、万が一ってことも。


 和やかに会話する人々の中で笑顔を作りつつ、アリシアはその後の会話がほとんど耳に入ってこなかった。



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