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第10話 キリヤの懸念

 昼食会を終え、部屋に戻って着替えを終えた頃、執事姿に化けたキリヤがやってきた。怪しげな執事をいぶかしむイブを説得しつつ、部屋の周囲から人払いをして二人きりになると、彼は足を組みソファーにふんぞりかえる。


 ——こうして見ると、男の人なんだよなあ。


 通った鼻筋、切れ長の美しい目。普段レースの手袋で隠している手は、骨張っていて男らしい。ふとその手で包み込まれた時のことを思い出して、頬が熱くなる。


「な、なんでバーベナはそんな格好して城内をウロウロしてるの?」


 染まった頬を誤魔化すようにそう言えば、首を左右に伸ばしながらキリヤが口を開く。


「ここは俺の家じゃねーし。避難経路とか、隠れられる場所の確認とか。姫の格好だと自由に動けねーからさ。時間がある時にオシゴトしてんの」


「なるほど」


 言葉遣いは軽いが、仕事は真面目にやるらしい。

 気だるげにタイを片手で緩め、イブが置いていった紅茶を口に運ぶと、一息ついてからキリヤはこちらに視線を向けた。


「なあ、大丈夫なのかよ、トーナメントって」


「え」


「えじゃねえーよ。戦うのは一度だけとはいえ、騎士団の男とやり合う訳だろ? おまけに王子はグラジオ王国最強の剣士、下手な負け方はロベリアに隙を見せることになる」


 ——もしかして、心配して来てくれた?


「相手がロベリアの騎士だった場合、試合が王子殺害の場になる可能性だってあるんだぞ」


 ——あ、そうだよね。普通に考えてそっちの心配だよね


 キリヤの懸念は王子がロベリアの手によって暗殺されたと思われるような事象が起こり、戦争が再発すること。実戦形式の試合でロベリアが勝ち上がれば、簡単に王子暗殺の機会を手に入れられる。


「おい、なんだよ。何眉間に皺寄せてんだよ。答えろよ。だ、い、じょ、う、ぶ、な、の、か、よ!」


 カフェテーブルをバン、と叩き、前のめりに顔を覗き込んでくるキリヤの迫力に圧倒され、アリシアはソファーの背にのけぞる。


「セオドアが勝ち上がってくるはずだから。そうしたら最終戦は、きっとなんとかなる」


「セオドア? ああ、あの金髪の色男か。でもなあ、もしロベリアの騎士があいつを負かしたらどーすんだよ。戦争に負けた側は死に物狂いでくるぞ」


「ロベリア、が勝ち上がってきたら……そりゃもう、実力でなんとかするしかないでしょ」


 そう言い返すも。そうなったら勝てる保証などどこにもない。だが、セオドアが負けた場合、自分が頑張るしか策が浮かばなかった。


「アリシアってさ、金で雇われてんの?」


「いや、金っていうか……」


「結構あんたの仕事やばくない? グラジオ最強の剣士の身代わりだろ? 俺だったらいくら金積まれてもやなんだけど」


「人生捧げる代わりに王子並みの待遇をもらえるってことになってる」


「は? あんた期間限定の身代わり王子じゃないわけ?」


「あ、しまった」


 気が弱っていたこともあり、愚痴混じりにうっかり話してしまった。慌てて繕おうとするももう遅い。キリヤは興味津々な瞳でこちらの顔を覗き込んでくる。


「っていうか契約期間が一生涯ってんなら本物どこ行ったんだよ?」


「う、えーと……長期休暇中……?」


「なんで疑問形なんだよ」


 キリヤの目が細められ、アリシアの一挙手一投足に注意が向けられているのがわかる。首を縦に振ることも、横に振ることもできない。何か反応したが最後、本物の王子の行方についてヒントを与えることになる。


「ふうん、ここまできて口をつぐむか。ま、いいけど。俺への依頼はあくまで、アラン王子暗殺計画の阻止と計画に加担している人間の特定だし? 王子が本物か否かはあんま関係ないしな。たださ」


 ぺちん、と両頬を軽く手のひらで叩かれ、ぐい、とキリヤに引き寄せられる。


「あんたの人生それでいいわけ? 逃げようとは思わないの? 最悪なぶり殺されるんだぞ、このトーナメントで」


 澄んだ紫色の瞳に真っ直ぐに見つめられアリシアはたじろぐ。

 言われなくてもそんなことはわかっている。これは自分が背負う必要のない重圧だと。できることなら逃げ出したいとも思っている。だが。


「今王子役の私が失踪でもしたら、それこそ戦争の火種になりかねない。私はもう二度と、戦争で人が死ぬところを見たくないんだよ」


 戦がなければ、父だって死ななくて済んだはずだ。母だって、体を壊さずに済んだかもしれない。


 二人が亡くなった時、悲しくて悲しくて、涙が枯れるほど泣いた。ロベリアを憎んだこともある。しかし大人になって両国の状況を知るにつれ、それは戦自体への憎しみに変わっていた。


 アリシアの言葉に、キリヤの瞳が揺らぐ。眉間に深い皺を寄せ、長いため息をつくと。彼は鷹揚な調子に戻り鼻でわらう。


「ふうん。あれだな。あんた、巻き込まれ型のお人よしってやつだな」


 キリヤの発言にムッとし、アリシアは聞き返す。


「じゃあそっちはなんでお姫様ごっこやってるの」


「俺? 俺の話はいいんだよ。お前が無事王子役をやり切るためにどーするかってことを考えるのが最優先だろ」


 はぐらかされた、とアリシアは思ったが、おっしゃる通りではあるので黙っておく。


「あんたさ、実戦したことあんの?」


「王国騎士団の稽古では模擬戦をやってるけど」


「そんなの実戦に入らねえよ。王子相手に本気で向かっていける奴なんていねーだろうし。しゃーねぇな。じゃ、特訓付き合ってやるよ」


 それはそうかもしれないが、キリヤが騎士より強いはずがない。


「いや、私、そこそこ強いよ? いくら男だって言っても……」


「ほぉ? 自信満々じゃん。いいからかかってこいよ、吠え面かくなよ?」


 腕に覚えはあるらしい。「姫」に傷をつけないように戦うのは難儀しそうだが。アリシアは彼の申し出を受けることにした。


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