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第11話 特訓

 その日の深夜。アリシアとキリヤは闘技場で向かい合っていた。巡回の騎士に気づかれては困るため、灯りは特に用意していないが、満月のおかげで互いの姿は目視できる。


 普段の鍛錬時に着る鎧を身につけ、装備を固めているアリシアに対し、キリヤはかなりの軽装。銀色の髪を後ろに束ね、白いシャツに濃茶のズボン、必要最低限の部分を覆う皮のアーマーをつけているのみ。


 お互いに向かい合い、剣の切先を合わせる。アリシアが開始の合図をすれば、凄まじいスピードでキリヤが間合いを詰めてきた。


 ——速い!


 まるで踊っているかのように軽やかに攻撃を仕掛けてくるキリヤに、アリシアは翻弄される。メンシスの騎士の中では見たことのない動きだった。型がなく、脱力した状態から瞬時に攻撃に転じてくるので先が読めない。あれよあれよと壁側に追い詰められていく。


「ちょっ、待って」


「暗殺者が待ってくれると思うわけ?」


 振り下ろされた攻撃を剣で受ける。男としては細身だが打撃は重い。手にビリビリと衝撃が伝わってくる。なんとかキリヤの剣を振り払い、突きを繰り出したのだが。


「ブフォッ」


「攻撃が剣だけだと思ったか?」


 アリシアの攻撃をしゃがんで避けたキリヤが、立ち上がりざま砂をかけてきた。


「ちょ、ちょっと! トーナメントでこんな卑怯な闘い方する人いないでしょ?」


 まだ視界が戻らないアリシアに向けて容赦無く剣を振り抜き、加えて蹴りまで飛ばしながら、キリヤは涼しげに笑う。


「アリシアはあまちゃんだな。トーナメントの優勝者に何が与えられると思う? 欲しいものなんでも貰えるんだぜ? 爵位とか、金とか、結婚相手とか。限度はあるが、王家が許す限りなんでも。王子相手だって、多少汚いことはやるさ。それに戦場では汚かろうがなんだろうが、最後まで立ってたやつが勝者だ。ほれ、隙あり」


 アリシアは、気づけば宙に浮いていた。

 突如懐に飛び込んできたキリヤに投げ飛ばされたのだ。


「うわっ!」


「はーい、俺の勝ち~!」


 土の上に叩き落とされるかと思いきや、キリヤはアリシアの体が地面につかぬよう手で保護してくれていた。そのままゆっくりと土の上に降ろされたアリシアは、息を切らしながらキリヤを見上げた。


「ねえ……なんで、こんなに強いの?」


「うーん自然に鍛えられた感じかねえ。俺、親いなくてさ。子どもの頃は路上で生活してたんだわ」


「えっ、そうなの?!」


 バーベナ姫としての彼の姿からは、想像できない生い立ちだった。彼の優雅な立ち振る舞いとも、イメージが噛み合わない。


「食うものとか着るものは、基本盗品でさ。さらに同じように路上で生活してる子どもたちと奪い合いになるわけ。腕っぷしが弱いやつから飢えて死んでくの。なかなかハードだろ」


「孤児院とか、教会とかに頼れなかったの?」


「グラジオがどうかは知らねえけど、ロベリアでは『弱きものが死ぬのは運命である』っていう考え方があって。俺らみたいな人間に救済の道はなかった。生き残るために結構荒れた生活してたから。騎士みたいなかっこいい戦い方はできねえけど、勝負に勝つことには自信あるんだよね」


 そう言うとキリヤは剣を鞘に納め、アリシアの隣に座る。

 アリシアは愕然とした。いつもふざけた調子のバーバナからは、想像できない生い立ちだった。


「そこから、どうやって今の仕事に辿り着いたの?」


 純粋に興味が湧いてそう尋ねれば、今度ははぐらかさずに答えてくれる。


「ああ……ほら、俺この通り見た目がいいだろ? あるとき運悪く人攫いに攫われて売りに出されたわけ。でもなんとかして競売場から逃げ出したとこで劇団に拾われてさ。それからは役者をやってたんだけど。たまたま俺が姫役やってるところを目にしたロベリア貴族が『バーベナ姫』の身代わりの話を持ってきたんだ」


「役者……なるほど」


 彼の上流貴族らしい振る舞いは、劇場での演技で身につけたものだったのだ。


「また油断してんな?」


 突如伸びてきた長い足にそばに置いていた剣を蹴り飛ばされ、上から覆い被さられた。視界には星空と、したり顔のキリヤ。両手は彼の手で拘束され、地面の上に仰向けに縫い付けられている。


「ずるい! 会話の最中に突然飛びかかってくるだなんて」


 バタバタと暴れてみるもびくともしない。キリヤは鼻先が触れ合うほどの距離まで、顔を近づけてくる。

 目の前にはもう、キリヤしか見えない。長いまつ毛、陶器のような白い肌。苦しいほどに胸の鼓動がはやくなっているのがわかった。ドキドキしているのを聞かれていないだろうか。落ち着かない気持ちになりながらも、視線が離せない。


「ちょ、近い近い!」


 やっとのことでそう叫べば、彼はニヤリと笑う。


「やっぱ女の子だわ。あんた」


「へ?!」


「たしかに強いけどさ。こうやって押さえつけられたら動けないし、俺が片手で投げられるくらいに軽い。やっぱ逃げたほうがいいんじゃねえの?」


 キリヤがふわりと微笑んだ。あまりに美しい顔に見惚れているうち、額にやわらかな感触が広がる。

 口付けをされたのだと気づいた時には、全身の血液が沸騰したかのように体が熱くなった。


「突然何するのー!!」


 半泣きでそう抗議すれば、カラカラと笑って彼はアリシアの両手を解放する。


「仲良し作戦、第三弾?」


「ここには見せつける相手、誰もいないじゃない!」


「とにかく! 俺に負けるようじゃ、トーナメントの優勝者になんか勝てねーだろ。腹痛でもなんでも起こして辞退しろ」


「そ、そんなことない! もう一度! っていうか、トーナメントまで練習相手付き合って! お願い!」


「それ、メリットねーじゃん俺に。今日は気まぐれで付き合ってやったけどさ」


 くるくると剣を回しながら部屋に帰ろうとするキリヤを引き止めようと、慌ててアリシアは口をひらく。


「じゃ、じゃあ……夕食のデザート一品多めにあげるよ!」


「……は?」


 振り返ったキリヤは虚をつかれたような顔で停止する。そして堪えきれないといった様子で噴き出し、腹を抱えて笑い始め、その場にうずくまる。


「子どもかよ。お礼がしょぼすぎ」


「だって! 私何にも持ってないし。あげられるものがないから」


「はぁ? あんた王子と同等の待遇を与えられてんだろ? 宝石商でもなんでも呼び放題なんですけど。そういう方面に頭が働かなかったわけ? 庶民だなあ」


「あ、そっか……」


「まあいいや。なんか感覚が近くて安心する。あんたはずっとそのままでいてくれよ。あ、そうだ! じゃあさ」


 キリヤは、内緒話をするように口元に手をかざし、アリシアの耳元に囁く。


「決勝戦の賞品。バーベナ姫からのキスにして。お礼はそれでいいよ」


「な……!」


 色気たっぷりの微笑みを前にして、パクパクと口を開閉し、アリシアは顔を真っ赤に染める。小馬鹿にしたようにキリヤは笑い、片眉を上げた。


「おいおい、あんた二十歳だろ。どんだけうぶなんだよ。っていうか、え? 色恋の経験がなかったとしても、酒場とかに出入りしてりゃ、そういう男女の触れ合いくらい……」


「そういう治安の悪いところに出入りしないから!」


「ああ、そう……」


 衝撃の表情を浮かべたキリヤは、かわいそうなものを見るような視線を向けてくる。


「まあ、人生長いし? これから先たくさん経験できるんじゃね?」


「王子役に一生捧げてるって時点で、それは無理な気がする」


「そうだったわ」


 しょんぼりするアリシアの背中を、笑いながら叩くキリヤに付き添われつつ。

アリシアは自室へと続く回廊を歩いて行ったのだった。


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