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23.普通の女の子

 とにかく白鳥を野坂たちのいる場所から引き離さなければ。そう思って廊下を歩いていたら他の生徒から奇異の目を向けられてしまった。


「こっちだ」

「……うん」


 変なうわさをたてられるわけにはいかない。俺は人気のない方へと白鳥を引っ張った。

 そうして辿り着いたのは、郷田晃生がたまり場に使っていた空き教室だ。


「……」


 誰かに見られたらまずいとは思ったが、密室の教室で二人きりという状況の方がまずいのでは? 気まずい沈黙が下りたことで、ようやくそのことに思い至った。

 俺もけっこう動揺していたらしい。花瓶を机に置いて心を落ち着ける。


「えっと、悪いな。いきなりこんなところに連れ込んで」

「気にしないで。……ありがとう。純平くんから私を守ってくれたのよね」


 やっぱり聞かれていたのか……。ちょうどあそこに来ただけなら会話を聞かれていない可能性があるかと思ったが、そう都合良くはいかないらしい。


「ちなみに、どこから聞いてた?」

「そうね。純平くんが『日葵と行くところまで行ったさ』って言っていたところからよ」

「最初からじゃねえか!」


 いや待て。俺もその辺りから野坂たちの会話を耳にしたんだぞ。その時に曲がり角にいたのは俺だけだったはずだ。

 俺の疑問が伝わったのか、白鳥はその答えをくれた。


「花瓶を持った郷田くんが見えたから。声をかけようとして後ろまで近づいていたのよ」

「そうだったのか。全然気づかなかったぞ」

「驚かせようと思って足音を殺していたもの。ふふっ、私もけっこうやるでしょう?」


 白鳥はドヤ顔でそう言った。「やるでしょう?」って、こいつ忍者でも目指してんのか? 意外と悪戯っ子だなぁ。


「でも、純平くんがあんな風に私のことを言いふらしていただなんて……」


 白鳥の表情に影が射す。

 信頼していた幼馴染に自分の痴態を言いふらされたのだ。しかも嘘ばかりだった。そのショックは計り知れないだろう。


「使い物にならなかったのは純平くんの方なのに……」

「ぶはっ」


 男にとって「使い物にならなかった」と女子に言われるほどダメージにくるものはない。関係ないのに、俺の方が胸を痛めてしまう。


「ま、まあ野坂に悪気はないんだろうし」

「悪気がなければ許されることなのかしら?」

「……無理、だよな」


 ごめん野坂。さすがに今回ばかりはフォローできないって。

 あの場で一応注意はしたが、人の口に戸は立てられない以上、どこで野坂と白鳥がヤッたといううわさが流れるかわからない。

 野坂の気持ちはわからなくもない。男は見栄を張りたい生き物だ。男子高校生にとって可愛い彼女の存在は自慢できるものだし、一線を越えたとなれば一目置かれるのではないかと思いがちだろう。

 大人になってから振り返れば、初体験の少しの差なんて大したものじゃない。それがとてつもなく大きく見えるのは、きっとまだ子供だからだ。

 その見栄にしがみついてしまった。野坂のその選択が、本当に大切な存在を傷つける結果になった。


「バカ野郎……っ」


 俺も男だ。男がバカな生き物だってわかっているつもりだ。

 それでも、自分が大切な人だと決めた存在を傷つけるな。男がいくらバカでも、それだけはやっちゃいけないことだ。


「気にするなよ。……ってのは無理だろうが、野坂の言ったことが嘘だって俺は知っている。きっと本気にしてない奴だっている。だから、気にしすぎんな」


 白鳥の頭をよしよしと撫でる。天然のピンク髪がサラサラしていて撫でやすかった。

 彼女が落ち込んでいるように見えたから。ついらしくないことをしてしまった。

 でも慰めずにはいられなかった。身体が勝手に動いてしまったのだから仕方がない。


「郷田くん……」


 俺を見つめていた白鳥の目から、ぶわっと涙が溢れた。


「う、うぅ……くぅ……ひっく……」


 ぽろぽろと、涙の雫がとめどなく流れる。泣くとは考えていなかったからびっくりしてしまった。


「大丈夫。大丈夫だ……。今はたくさん泣いとけ」


 あやすように頭を撫で続ける。白鳥は身体を震わせながら嗚咽を漏らしていた。

 真面目な優等生だったり、色っぽくて大人に見えることもあるが、白鳥もまだ大人にはなり切れていない高校生だ。

 俺が転生して初めて会った時も泣いていたっけか。そう思うと、白鳥は案外泣き虫なのかもしれない。

 正直、白鳥日葵のことはエロい女程度にしか思っていなかった。

 そういう漫画だったから。彼女のエロいところばかり見ていて、イメージもそれで固まっていた。

 だからこの現実では普通に過ごしてくれたら良いと思った。彼女を遠ざけることで、俺はエロ漫画ではない普通の世界を生きる。そのために白鳥と野坂が恋人でいてくれたら、俺にとって都合が良かった。


「んく……ひっく……」


 泣くのを耐えていて、それでも涙が止められない。白鳥はエロ漫画のヒロインじゃなかった。傷つく心を持った、普通の女の子だ。


「我慢すんな。思いっきり泣いとけ」


 俺は白鳥を抱きしめた。胸に顔を埋めさせて、泣き声が漏れないように優しく押しつける。

 白鳥の大きな声が、俺の胸の中でくぐもって消えていく。

 ここはエロ漫画の世界だ。俺が元いたところとは別の世界だ。それは間違いないだろう。

 だけど、ここにいる人たちはただの漫画キャラじゃない。俺も少しは認識を改めていかなければならなかった。



  ◇ ◇ ◇



 教室に戻ると氷室が待ってくれていた。


「遅いじゃん晃生ー。……って、どしたん白鳥さん!?」


 俺の隣にいる白鳥を見てぎょっとする氷室。泣き腫らした顔から、何かあったのが丸わかりだ。


「悪い悪い、なんでもねえよ。さっさと帰ろうぜ。白鳥も気をつけて帰れよ」


 何事もなかったかのように別れのあいさつをする。白鳥が大泣きしたことを誰かに話すつもりはない。少なくとも俺の口からは。

 鞄を持って教室を出る。先生に日誌を提出して早く帰ろう。

 氷室は白鳥のことを気にしていたが、やがて小走りで俺の隣にやって来た。


「晃生ー。今日晃生んち行っても良い?」

「お前なぁ。気軽に男の家に来るなって何度言わせれば気が済む──」


 氷室としゃべりながら廊下を歩き始めた時だった。


「ねえ……ご、郷田くんっ」


 背後から腕を掴まれて足が止まる。

 白鳥の震えた声。さっき大泣きさせたこともあって、振り返らずにはいられなかった。


「わ、私も……郷田くんの家に行っても良い?」


 白鳥の潤んだ瞳が俺を映す。ドキリと、痛いくらい鼓動が強くなった。


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