六月に体育祭がある。
原作開始が夏休み前の七月だった。体育祭の描写がなかったので、どんなものになるかは予想するしかない。
「体育祭ってパン食い競走とかあるのか?」
「え、何それ。めっちゃ面白そう! アタシけっこう食べられるよ」
羽彩は目をキラキラさせる。大食い競走じゃねえよ?
まあ原作がエロ漫画とはいえ、学校行事は普通にやるだろう。そんなに身構えて挑むものでもないか。
そんなわけでホームルーム。体育祭実行委員を誰にするかという話し合いが行われた。
「えー、体育祭実行委員なんですけど。やりたい人はいますかー?」
教壇に立ったクラス委員長が呼びかける。誰もがやりたくないとばかりに目を逸らしていた。
貧乏くじとでも思っているのだろう。挙手しようとする気配すらない。教室は重たい沈黙に包まれた。
委員長は困ったように教室中を見渡す。誰も視線を合わせてくれないようで、困り果てていた。
なので俺は熱烈な視線を送ってあげる。「俺でもええんやで」と視線に気持ちを込めてみた。委員長は俺から視線を逸らした。なぜだ!
「えーと、他薦でもいいんですけど」
委員長の一言で教室に緊張が走った。
「お前やれよ」
「いやお前こそ」
「あの人が良いんじゃないかな?」
小さな押しつけ合いが始まった。
自分はやりたくない。でも話し合いはさっさと終わらせてしまいたい。そんな気持ちが透けて見える。
「俺でも良いか?」
挙手をしながら委員長に尋ねてみる。まさか俺が自ら手を挙げると思っていなかったのか、委員長は驚きの表情を見せていた。
ざわっざわっ。驚きは教室中に広がっていた。だが、とくに反対意見はなさそうだ。
「う、うん。良いんじゃないかな」
クラス委員長は絞り出すように言った。俺に抱く恐怖がありながらも、実行委員が決まってほっとしている様子だった。
「えっと、体育祭実行委員は男女一人ずつだから。女子からも良いかな?」
でも相手は郷田くんだしなぁ……。そんな空気が感じられる。別に良いんですけどね。
「体育祭実行委員って、アタシでもできんの?」
「たぶんな。俺ができるんなら羽彩でもできんだろ」
というか俺と一緒にやってくれそうな女子って羽彩か日葵くらいしかいない。決まらないと話し合いが終わらないのなら、どちらかがやるしかないだろう。
「はい」
可愛らしい声とともに、小さい手が挙がる。
それは羽彩ではなかった。彼女は半ばまで手を挙げた状態で固まっていた。先を越されるとは思っていなかったらしい。
「え」
俺も驚く。挙手したのは日葵でもなかったからだ。
「えっと、黒羽さん。本当に良いの?」
「相手は郷田くんだけど」と後ろにつきそうな言い方だ。だけど、その女子に迷いや躊躇いはなかった。
「はい。誰かがやらないといけないことですから」
委員長はほっとしたように胸を撫で下ろす。黒板に体育祭実行委員の名前を書いて、これで仕事が終わったとばかりに晴れやかな顔になった。
黒板には郷田晃生と、黒羽梨乃の名前が書かれたのであった。
◇ ◇ ◇
黒羽梨乃。俺はこの名前を知っている。
クラスメイトだから……ではなく、もちろん原作の登場人物だからだ。
ふわふわした緑髪。美しい黒髪ではなくて、本当に緑色の髪をしている。当然と言うべきか彼女も地毛である。
小さい顔に黒縁眼鏡が大きく見える。野暮ったく見えなくもないが、漫画で見るだけでもその素顔は美少女だった。
小柄な身体に不釣り合いな胸部装甲。ヒロインが全員巨乳なのは原作者のこだわりなのだろう。そこについてはもう何も言うまい。
さて、問題は彼女の役割だ。
原作での黒羽は、日葵の中学からの親友だ。それと同時に、野坂純平に対して恋心を抱いているヒロインでもあった。
日葵が郷田晃生に襲われて、夏休みという長い期間をかけて調教された。野坂が彼女を寝取られたことに気づいた頃にはすべてが遅すぎて……心を折られて絶望するのだ。
それに気づいた黒羽は野坂を慰める。彼女の優しさと想いに気づき、野坂は立ち直るのだ。
この辺の流れは「この娘したたかだなぁ」と感想を漏らしたものである。親友が不良に身も心も変えられてしまったのに、最初の行動が想い人を慰めるものだったからな。まあ野坂の絶望っぷりもすごかったし、そっちを心配してもそこまで変ってわけじゃないのか。
もちろん黒羽も郷田晃生の毒牙にかかる。完全に彼女に気持ちが傾いていた野坂の絶望っぷりは、幼馴染を奪われた時に負けないくらいすごかった。画力が違ってたね。
「郷田くん、早速今日の放課後から体育祭実行委員会がありますので、よろしくお願いしますね」
「おう。こっちこそよろしくな」
寝取り男と寝取られる女との組み合わせ。原作を知っているだけに、このペアで学校行事に取り組むことがとても不思議に感じられた。
とはいえ原作の展開にはならないだろう。まず俺にその気はないし、俺の女が三人もいるので下半身が暴走する暇もない。
日葵の好意が俺に向いていることに気づけば、黒羽は野坂を慰めに行くかもしれない。そうなれば俺を完全に悪者認定してしまうだろう。俺に近づくことはなくなる。元々そんなものだったので、全然気にならなかった。
「おぉ、それはそれで原作に近い流れではなかろうか」
俺が黒羽に対して何もしなければ、野坂は黒羽と結ばれるかもしれない。変に恨まれるよりもその方が俺も安心できる。悪口くらいなら聞き流してやろうじゃないか。
「実行委員会の場所は会議室ですよ。行きましょうか郷田くん」
「おう。さっさと終わらせようぜ」
放課後。俺は黒羽と一緒に教室を出た。
普通に体育祭実行委員の仕事をやれば良いんだ。普通にな。そうすれば原作の時期はずれるが、元のルートに戻って穏やかに過ごせる。
教室を出る間際、チラリと空席の机に目をやる。
……野坂は今日も欠席していた。