原作開始は夏休み前の放課後だった。
「嫌っ! う、嘘でしょ……こんなこと……いやあああああーーっ!!」
「うるせえ静かにしろっ! すぐに男の良さってもんをわからせてやるからよ」
人気のない校舎。クラスメイトに呼び出された白鳥日葵は、不良と名高い郷田晃生に襲われてしまうのだ。
それは一度だけでは終わらず、夏休みという長い時間をかけて優等生の身体は蹂躙されてしまう。逆らえない日葵は、いつしか身も心も堕とされてしまうのだ。
「ごめんね純平くん。私……もう郷田くん抜きでは生きていけない身体にされてしまったの」
「ひ、日葵……? そんな……う、嘘だ……。日葵が俺を裏切るわけがないだろ? あ、あり得ない……っ」
「悪いな野坂。白鳥はもう俺のモノじゃないと満足できねえんだ。飽きたら返してやるからよ。まあ、その時にはお前の粗末なモンじゃあ満足できねえ身体かもしれねえが」
「う、うわあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーっ!!」
夏休みが明けて、変わり果てた幼馴染であり、恋人でもあった日葵の姿を見て、野坂純平は絶望するのだ。
原作主人公である彼の絶望は、これがまだ序章でしかなかったのである……。
◇ ◇ ◇
「原作開始前からけっこう変えちまったなぁ」
時期はもうすぐ夏休み。つまり、原作開始の時間に追いついていた。
当初は主人公やヒロインといったメインキャラに関わらないようにして、新たな人生をまっとうする。そんなことを考えていたのに、気づけば距離を置くどころかがっつり繋がってしまった。
「あんっ……晃生くん?」
考え事をしたせいか動きを止めてしまった。繋がっている日葵はどうしたのかと俺を見つめる。
「いや、日葵が俺の女になった事実が、今更になって不思議だと思ってな」
日葵は息を弾ませながらも、ふふっと笑った。
「嫌だった?」
「そんなことは言ってねえだろ」
「嫌だと言われてもそう簡単に離れてあげないわよ。私は晃生くんの優しさに触れて恋に落ちたの。胸が温かくてちょっと苦しくて、でもこの初めての感覚に素直になれた。そうしたらね……」
日葵が俺の手を取った。指と指を絡めて、深く深く繋がる。
「こんなにも幸せになれたわ」
花が咲いたかのような笑顔だった。
原作で見せた快楽だけの笑顔ではない。身体だけじゃなく、心から充足したような満面の笑顔だった。
そんな彼女に魅了されている。そのことに気づきながらも、もう手遅れだと自覚していた。
「ならもっと幸せにしてやるよ。日葵、お前は俺の女だからな」
「あんっ。晃生くんを身体の奥で感じられて……幸せ♪」
これも原作のセリフだったか。しかし、もう原作と同じ関係になりようがなかった。
──野坂は転校した。
あれから、体育祭の後から学校に来なくなったのだが、今日担任が野坂の転校が決まったと教えてくれた。
幼馴染の日葵にも知らせなかったようだ。まるで夜逃げするみたいに引っ越したのだとか。野坂の両親は何を思ったのか、少し気になった。
「もっと……もっと深くきて。私を晃生くんでいっぱいにしてほしいのっ」
あれだけのことがあっても、日葵にとって野坂は幼馴染だ。奴の転校に、思うところがあるのだろう。放課後になると真っ直ぐ俺の家に来たからな。
羽彩も日葵の雰囲気から何かを感じ取ったのか「今日は遠慮しとく」と言って真っ直ぐ帰宅した。もうどっちが優等生かわかんねえな。
原作主人公の退場。それがどう影響していくのかはわからない。
まったく影響がないのかもしれないし、実は重大な事件になってしまったのかもしれない。それはまだ判断のしようがなかった。
「日葵っ」
「んん~~!!」
日葵の魅惑的な身体が何度も跳ねる。自身の奥から湧き出てくる衝撃に翻弄されながらも、ぐっと耐えようとしている顔をしていた。
「はっ……はっ……はぁ……はぁ……」
互いに息を整える。俺の筋肉で覆われた厚い胸板と日葵の豊かな胸が呼吸の度に大きく動く。
温もりを感じる。これは漫画なんかじゃない。ちゃんと現実として存在しているという証拠だ。
「日葵。その……」
俺が野坂に対して思うところはない。元々距離を置くつもりだったし、何をしても関わることはないだろうと思っていたから。
それでも、日葵がどう思うかはわからなかった。何も感じていないわけではない。だが、その気持ちの詳細を尋ねるのは、なんだか憚られてしまっていた。
「晃生くん」
「なんだ?」
顔を両手で挟まれる。しっとりとした手のひらに包まれているだけで心地が良い。
唇が重なる。甘い吐息とともに顔を離した日葵は、はにかんでいた。
「大好きよ晃生くん。私は、それだけで充分よ」
最初は世界の修正力かなんかが働いて、白鳥日葵と対面してしまったかと思っていた。とても不安定で、自分を持っているとは言い切れない。そんな頼りない印象だった。
だが、確かに彼女はメインヒロインとしての魅力を十分に持っていた。今となっては、俺の方が日葵を手放せそうにない。
「……それぞれの人生だ。俺も、好きにやらせてもらうぜ」
ちょっとばかし色がついてしまったが、これからも青春を求めていこうと決めた。貴重な学生時代、向き合わないのは損ってもんだからな。
始まる前から原作とは外れてしまったが、それで物語が終わったわけではない。この世界で生きていく以上、俺は好き勝手に俺の女たちと一緒にいようと思うのだ。
◇ ◇ ◇
夏休みのとある日。
雨が降っている中を帰宅した。急に降られたもんだから濡れてしまった。さっさとシャワーでも浴びたい。
そんなことを考えながらアパートに辿り着いた時だった。
「エリカ?」
「晃生くん……」
ずぶ濡れになったエリカが俺の部屋のドアの前で座り込んでいた。その目は、雨ではない雫に濡れているように見えた。