音無夏樹。三年の先輩で生徒会長。紫髪のショートヘアで凛々しい顔立ちから、読者に堅苦しい性格なのだろうと想像させることが多かったキャラクターだ。
だが、実際は快活な女の子だった。モデルのように美しいと評されながらも、感情をはっきりと表情と態度で表す姿は可愛らしい。
なぜ郷田晃生が音無先輩を寝取ったのか。確かこんな流れだったはずだ。
幼馴染であり、彼女でもあった白鳥日葵を寝取られた野坂純平。落ち込む自分を支えてくれた黒羽梨乃と気持ちを通じ合えたが、彼女もまた郷田晃生の魔の手によって寝取られてしまった。
絶望して塞ぎ込みかけていた原作主人公に手を差し伸べてくれたのが、生徒会長の音無夏樹だったわけだ。
『悲しそうな顔をしてどうしたんだ? よければ生徒会長である私に話を聞かせてほしい』
こんな感じのセリフとともに登場した先輩。美しい容姿と面倒見の良い性格が野坂純平の心を鷲掴みにしたのだ。……惚れっぽいとか言ってはいけない。
話を聞いた音無夏樹は、共感力が高かったのだろう。彼の話に涙し、心の隙間を埋めてあげたいと言って、二人は付き合うことになった。……ご都合主義と言ってはいけない。
まあ、それで終われば救済されて良かったねと言いたいところだったのだが、どっこいこれはNTRもののエロ漫画だ。
『君が郷田晃生か! 生徒会長として、私は君を許さない!』
あろうことか、彼女は一番関わってはいけない男に突っかかってしまったのだ。読者はハラハラしながらも、次の展開を予想してニヤニヤしたものである。
『一方の話だけを聞いて俺を悪者扱いするのかよ? それは不公平じゃねえか。生徒会長としてってんなら、俺の言い分も聞いてくれよ』
『む……。確かに、話は両者から聞かなければ不公平か』
『俺はただ恋愛をしていただけだ。だがそれを人前で話すのは恥ずかしいじゃねえか。できれば、生徒会長様一人に打ち明けたいぜ』
『わかった。生徒会室で君の言い分をじっくり聞こうじゃないか』
そうして、二人は密室の生徒会室で……、後はお察しである。この後に事の経緯を知った野坂純平は、やはり表情を絶望に染めるのであった。
◇ ◇ ◇
「君、ぼーっとしてどうしたんだ?」
音無先輩が怪訝そうに俺の顔を覗き込んでくる。
原作を思い出して軽くトリップしていた。目の前の先輩の痴態が頭の中に流れてきて、平静を保つのが大変だ。
「すんません。ちょっと暑さにやられたみたいで」
「それは大変じゃないか! ほら、早く飲み物を買って水分補給をするんだ」
早く早くと急かしてくる音無先輩。実際に会ったのは初めてだが、良い人なんだろうなと思わせた。
自販機で二本のペットボトルを購入する。冷たい感触が気持ち良い。
「二本も飲むとは、よほど喉が渇いていたんだな。早く水分補給をするといい」
「いえ、これは連れの分なんで。今すぐ倒れそうってわけじゃないんで大丈夫ですよ」
「そうなんだね。友達の為に動いていたとは、君は見かけによらず優しいな」
見かけによらずは余計だっての。黒羽のところに戻ろうと踵を返したら、声をかけられた。
「君……確か郷田晃生くんだったよね?」
「あん?」
顔だけで振り返れば「やっぱり!」と言って彼女は手を叩いた。
「覚えていないかもしれないが、私は生徒会長の音無夏樹だ。君が体育祭実行委員でがんばっていたところを見ていたよ。すごく目立っていたからね」
「あ、ども」
「それにリレーもすごかったぞ。君のような生徒がいれば、我が校はさらに盛り上がりを見せてくれるだろうね」
なんか俺、褒められている?
美人の先輩が目を輝かせながら褒めてくれるって状況は、案外気分を良くさせてくれた。
「ありがとうございます。嬉しいんですけど、俺すぐに戻んなきゃいけなくて……」
「済まないっ。いつか郷田くんに声をかけたいと考えていたからつい……。ではまたね。熱中症には気をつけるんだぞ」
もっと褒められて気持ち良くなりたかったが、仕方がない。別れのあいさつをしてから急いで黒羽の元へと戻った。
黒羽に頼まれていたスポーツドリンクを渡す。彼女の分の代金を受け取って、俺は椅子に腰を下ろした。
「郷田くん……さっきはお楽しみでしたね」
「いや、何がだよ」
「見てましたよ。さっき自販機のところで音無先輩と話していたでしょう?」
眼鏡の奥の目が笑っていた。ここから自販機が見えてはいるが、よくこんな離れた位置から相手がわかったもんだ。
「音無先輩は生徒会長だけあってオーラが違いますからね。郷田くんと音無先輩の組み合わせって珍しいですし、案外絵にすると映えそうです」
「不良と生徒会長は合わねえだろ」
「何言っているんですか。むしろそれが良いんじゃないですか。というか鉄板ですよ。二人は反発しながらも互いを放っておけず、気づけばその感情は恋へと変わるんですよ……。はぁ~、尊いシチュが見える……」
「おーい黒羽ー。帰ってこーい」
まったく、人を使って妄想するんじゃねえよ。……まあ原作の黒羽にはいろいろとお世話になったし、俺が言えることじゃないか。
「つーか黒羽って絵が上手いんだっけか?」
「えっ!? い、いや……そんな上手ってわけでもなくてですね……」
「さっき絵にすると映えそうとか言っていたから。絵描きでもなけりゃ出てくる言葉じゃないかなと思ってな」
そういえば、原作でチラッと絵を描いている描写があったような……。深掘りをされていたわけではないし、ただのキャラ付けだったのだろうが。
「ま、まあ……人並み程度ですよ?」
「そっか。俺は絵心がないから、人並み程度でも羨ましいぜ」
あまり触れてほしくなさそうな反応だな。興味があって振ったわけでもないし、別の話題にしよう。
そうやって黒羽と楽しくおしゃべりしながら、真面目に仕事を終わらせたのであった。
◇ ◇ ◇
バイトを終えて、気分良くアパートに帰った。
「あん?」
俺の住むアパートの前に、見覚えのある黒塗りの高級車が停まっていた。
急速に嫌な予感に支配される。俺は心に急かされるまま駆け出していた。
「邪魔しないでもらえるかな? 僕は婚約者として、エリカさんを迎えに来ただけなんだからさ」
「お引き取りください。エリカさんはあなたに会いたくないと言っています」
「てか何? こんなところまで来てストーカーかよ」
「……僕に逆らうなんて、教育がなってないなぁ」
アパートの前で日葵と羽彩が、西園寺を押し止めている光景が目に入った。