黒羽梨乃は地味な女子。そう思われていることを、あたし自身が一番よくわかっている。
あたしなんかじゃ男子に見向きもされない。そのことを経験として知っていて、だからこそ心では求めてしまうのだ。
「恋人がほしいな……」
と。
地味で引っ込み思案で大人しい。消極的の塊みたいなあたしでも、思春期の女の子らしくそんな普通の願望があった。
「私と純平くん、付き合うことになったの」
高校に入学してすぐに、日葵ちゃんがあたしにそんな報告をした。
「わあっ! おめでとう日葵ちゃん!」
お祝いを口にしながらも、美人な日葵ちゃんなら恋人くらい簡単に作れるよね。ひねくれた心が顔を出したせいで、彼女が喜ぶこともなく、普段通りだったことに気づかなかった。
あたしは男の子に興味のない振りをしながら、内心ではとても興味津々だった。きっと幼い頃にお父さんが亡くなってしまったからだと思う。男性的な力強さに触れてこなかったから、それで求めてしまっているに違いなかった。
◇ ◇ ◇
「郷田くん、早速今日の放課後から体育祭実行委員会がありますので、よろしくお願いしますね」
「おう。こっちこそよろしくな」
強面にもかかわらず純粋な笑顔を浮かべる彼に、あたしの胸はトクンと跳ねた。
郷田晃生。学校でも有名な不良生徒。あたしも彼の暴力的な荒々しい雰囲気に恐怖していた。
……そのはずなのに、いつからかはわからないけど郷田くんから怖い感じがすっかりと消え失せていた。
郷田くんのことを日葵ちゃんと野坂くんの両方から聞いていた。どちらの意見も違っていて、あたしは親友のために本当の郷田くんを見定めようと接触した。
「……郷田くんってちゃんと学校行事に参加するんですね」
「そりゃ俺も学生だからな」
「あ、ごめんなさい。そういう意味じゃなくてですね……」
「わかってるよ。俺だって自分が周りにどう思われているか知っているつもりだからな」
「いえ……」
「評価は俺自身の積み重ねだ。これからは少しでも見直してもらえるように、いろんなことを真面目に取り組んでいきたいんだ」
郷田くんが自分から体育祭実行委員をやると言い出したのは驚いた。
そして、自分を変えようとする彼を見て、もっと驚かされた。
体育祭実行委員の会議では積極的に意見を出して、準備を面倒臭がらずに真面目に取り組んでいた。それから本番も……大活躍する郷田くんはカッコ良かった。
「このギャップは反則……っ」
「黒羽? 胸を押さえて具合でも悪いのか? つらいなら保健室に連れて行くぞ?」
「だ、大丈夫です! なんでもありませんから!」
「お、おう? それならいいんだけどよ」
さらに優しさまで兼ね備えていた。大きい身体なのに、あたしを心配して屈みこんでくれるのがまた優しくて……、抑え切れないほど胸がキュンキュンして仕方がない。
白状しよう。見定めるとか言っておきながら、あたしは郷田くんのことが好きになっていた。
だからって告白なんかできない。あたしは自分に魅力がないことを知っている。告白に失敗して、彼の優しさに触れられなくなるのが怖かった。
「言ったじゃない。今の私は晃生くんのことが好きなのよ。好きな人にお弁当を作ってアピールするのは、そんなにおかしいことではないでしょう?」
……それに、日葵ちゃんがいる。
日葵ちゃんは可愛い。みんなそう言っているし、日葵ちゃんも自分の容姿に自信があるようで、堂々と郷田くんにアピールしていた。
あたしには無理だ……。きっとあたしみたいな地味な女じゃ郷田くんは見向きもしないだろうし、何より日葵ちゃんの好きな人だ。彼女の横でアピールできるだけの度胸はなかった。
だから諦めた。それはいつものことで、全然苦にならないことのはずだった。
「諦めなきゃ、いけないのに……っ」
ベッドの中で気持ちが溢れては、涙で枕を濡らす。
自分で言うのもなんだけど、あたしはけっこう惚れっぽい。周りには気づかれていないようだから顔には出にくいのだろう。友達からは恋愛に興味がないとまで思われていた。
あたしの気持ちは熱しやすく冷めやすい。冷めるというより、諦めているだけなのだけど……。
でも、今回はなかなか冷めてくれなかった。なぜだろうと考えて、すぐに思い至った。
「郷田くんは、あたしに笑いかけてくれるんだ……」
そんなことか、と思われてしまうかもしれない。
それでも、あたしにとっては気持ちを大きく揺さぶられるものだった。男子はいつもあたしに対して適当な態度で、日葵ちゃんへの対応と比べてしまうと自分が女の子ではないと言われているように感じてしまっていたから……。
「もっと、郷田くんに笑いかけてもらいたいよぅ……」
胸がギュッと締めつけられる。
苦しくて悲しい思いをするのなら、こんな恋は早く諦めなければならない。報われない恋心を抱いても、自分を傷つけるだけだ。
夏休みは良い機会だと思った。郷田くんに長い期間会わなければ、きっと気持ちが冷めていくことだろう。
「大丈夫か黒羽? 重たいもんは俺に任せて、お前はもっと軽い物にしとけ」
「わわっ!? あ、ありがとうございます郷田くん……」
……そう思っていたのに、早速郷田くんと顔を合わせてしまった。
身体を動かして何かに没頭すれば、早く郷田くんへの気持ちを忘れられると思っていたのにっ。まさかアルバイトが被るなんて想像もしなかった。
「夏休みは稼ぎ時ですからね。いっぱい働きたいんですよ」
心にもないことを言って誤魔化した。あたしが悩んでいるなんて、当の本人は思いもしていないんだろうけど……。
「郷田くんはどうしてこのバイトを?」
「時給が良かったからな。遊ぶ金欲しさにやりました」
「あはは、日葵ちゃんと遊びに行くんですね」
「まあな」
適当に話を振っただけなのに、ズキリと胸が痛む答えが返ってきた。
うん……。わかっていた……わかっていたことじゃないっ。
郷田くんと日葵ちゃんは教室でも仲良くおしゃべりしている頻度が増えた。デートをする関係だったとしても不思議じゃない。
「まあ機会があれば一緒に遊ぼうぜ。日葵も喜ぶだろうしな」
「はい。機会があれば」
郷田くんは笑顔であたしを誘う。この人も残酷だ……。目がじわりと熱くなったのを、野暮ったい眼鏡が隠してくれた。
◇ ◇ ◇
なんとかアルバイトを終えて、これで夏休みに郷田くんと出会うことはないだろうと思っていた。
「郷田くんとまた一緒になりましたね」
「黒羽と何か縁でもあるのかもな」
……なのに、また彼とアルバイトが被ってしまった。
これは神様の試練なのでしょうか? ねえ神様、ちょっと顔を出してもらえませんか? ……殴らせろ。
しかも今回の交通量調査の仕事はペアで行うものだった。郷田くんと並んで穏やかに会話を交わす。……楽しい。
「……で、郷田くんは日葵ちゃんと氷室さん、どちらが本命なんですか?」
好きな人と一緒にいる高揚感と夏の暑さで気が緩んだのかもしれない。あたしは彼にぶしつけな質問をしていた。
口に出してから「しまった!」と思った。でも気になっていたことでもあって……、あたしは質問を引っ込めることはしなかった。
「まあ、日葵も羽彩も魅力的だからな」
「ですよね。もう二人ともと付き合った方がお互いのためかもですね」
「……え?」
「え?」
……え? あたし、今なんて言ったの?
ひあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーっ!! あ、あたし……なんてことを……何を言ってしまったの!?
「えっと、黒羽はいいのか? 俺が日葵と羽彩と付き合って、二股しても……」
ほら、郷田くんが困惑しているじゃない! ああっ、穴があったら入りたい……。
「もちろん嫌がる人もいるでしょうが、そういう男の人ってうちの学校にもいますよ? お金持ちの人なら複数の女性を囲っていると聞きますし、幸せにできるだけの度量があればいいのではないですか?」
「……」
それでも訂正はしなかった。
二股……ううん、三股でもいいから郷田くんに愛されたいっ。そんな欲望に満ちた心が、郷田くんの倫理観を壊そうと口を動かしていた。
嘘は言ってないから……。少数派の意見だけど、嘘じゃないから良いよね?
◇ ◇ ◇
……もう、この運命に逆らわなくても良いんじゃないかって思えてきた。
交通量調査のアルバイトが終わって、日葵ちゃんから電話がかかってきた。用件はあたしの家に郷田くんを泊めてほしいというお願いだった。
「……はい?」
頭が真っ白になった。なのに口は勝手に動いていて、郷田くんが家に泊まることを了承していた。
どうにかなりそうだった。そんな気持ちとは裏腹に、あたしは冷静な態度で掃除を始めた。
郷田くんがあたしの家に!? しかもお母さんが仕事で忙しいこんな時に!? いつからここは漫画の世界になったのよ!!
汚いところがあってはならないと、家中を掃除した。年末の大掃除でもここまではしなかったかもしれない。
途中、先に訪れた日葵ちゃんが郷田くんを迎える準備を手伝ってくれた。余っている部屋を郷田くん専用になるように整える。
「梨乃ちゃんってこんなにも綺麗好きだったのね。初めて知ったかもしれないわ」
日葵ちゃんは呑気にもそんなことを言っていた。好きな人をあたしの家に連れてくるというのに……危機感がなさすぎるっ!
「ど、ど、どうぞ……」
そして、日葵ちゃんは本当に郷田くんを連れて来た。
「梨乃ちゃん、晃生くんのことは任せたわよ」
「う、うん……ま、任せてっ」
さらに、日葵ちゃんはあたしと郷田くんを二人きりにしようとする。あっさりと氷室さんと一緒に帰ってしまって……、本当にあたしたちは二人きりになった。
「……わかった。下手をしたら数日は世話になるかもしれんが、よろしく頼む」
「はいっ。こちらこそ、不束者ですがよろしくお願いしますっ」
郷田くんを家に招き入れる。彼の大きくてたくましい身体が入ってきた。
室内に入ったせいか、郷田くんの汗の匂いが漂ってくる。頭をクラクラさせながら、あたしは自分を押さえられるのか、早くも自信をなくしていた。