旅路は静かに始まった。
私たちは馬を走らせ、異界の門へと続く道を進む。王都を離れ、草原を抜け、やがて大地は荒れ果てた岩場へと変わっていった。
ここは「血の荒野」と呼ばれる土地。かつてガラネルとの戦いで、多くの兵が命を落とした戦場跡だ。
「・・・空気が重い」
私は息を詰まらせる。辺りには濃い瘴気が漂い、不吉な気配が満ちている。
「この瘴気・・・ただの自然発生ではなさそうね」
母が馬を止め、周囲を見渡した。
魔法騎士たちも警戒を強める。
「何かが来る・・・!」
私は背筋を伸ばし、杖を強く握る。
突然、地響きが起こった。
「前だ!前に・・・何かいる!」
隊長が叫ぶ。
砂煙が舞い、視界が揺れる。
その中から、黒い影がゆっくりと姿を現した。
「久しぶりだな、『灼炎の女皇』・・・」
低く、冷たい声が響いた。
姿を見た瞬間、私の胸に鋭い寒気が走る。
全身を黒い鎧に包み、銀色の仮面をつけた男。その周囲には禍々しい魔力が渦巻いている。
「お前は・・・バルクト!
母の表情が険しくなる。
「・・・!?」
私は驚愕する。
ダークマース。かつて邪神ガラネルに仕えた、邪悪な魔法使い。
戦乱の時代において多くの国を滅ぼし、命を奪い、血の海に沈めた、邪神の下僕たちの名。
「行方が知れないと思っていたら・・・やっぱり、生きていたのね・・・!」
母が鋭く睨む。
ダークマース、もといバルクトは嗤った。
「生きていた・・・?俺は邪神の封印が解かれるその時まで、生き続ける宿命を持っていた。それだけのことだ」
「封印が完全に解けたわけではないはず・・・それなのに、なぜお前が!」
「それはお前の知ることではない。だが、一つだけ教えてやろう」
彼は黒い大剣を地面に突き立て、不気味に笑った。
「封印は、確実に崩れつつある」
「——っ!」
私の背筋が凍る。
「それでは始めるとしよう。お前たちには、ここで死んでもらう」
ダークマースがゆっくりと剣を持ち上げた。
直後——
「——“闇刃の衝撃”!」
黒い魔力を纏った衝撃波が放たれる!
「っ!」
私はとっさに防御の魔法を唱えた。
「『
青白い魔法障壁が現れ、衝撃波を受け止めた。しかし、向こうの力が強すぎる・・・!
「っ・・・!」
私は馬ごと吹き飛ばされ、地面を転がる。
「アリア!」
母の声が聞こえる。
だが、
「“闇閃斬”!」
剣が振るわれ、漆黒の斬撃が放たれる。
「甘い!」
母は即座に炎を纏い、迎え撃った。
「『紅蓮の壁』!」
火炎の障壁が立ちはだかり、闇の斬撃を弾く。爆発が起こり、地面が焦げ付いた。
「相変わらずの魔力だな・・・やはり、そう簡単には倒せぬか」
ダークマースは舌打ちする。
「騎士たち、援護しろ!」
隊長の号令が響く。魔法騎士たちは一斉に呪文を詠唱し、雷や氷の魔法を放つ。
しかし——
「無駄だ」
バルクトが腕を振るうと、黒い魔力の壁が現れ、すべての魔法をかき消した。
「なっ・・・!」
騎士たちが動揺する。
「弱者が束になったところで、俺には届かん」
バルクトは冷酷に言い放つ。
私は歯を食いしばった。
(このままでは・・・!)
母と騎士たちは応戦しているが、バルクトの力は圧倒的だ。
「アリア!」
母がこちらを見る。
その目と表情から意図を汲み取り、私は息を飲む。
(やるしかないのか・・・)
恐怖と不安が脳裏をよぎる。だけど、逃げられない。
「・・・うん!」
私は杖を強く握りしめ、簡易術式を展開した。
「『
炎を纏った槍を生み出し、一気に投げ放つ。
中級の炎魔法であり、現状私が使える中で最強の攻撃魔法だ。
——ズバァァッ!!
槍はバルクトの防御を突き破り、肩に直撃した。
「ぐっ・・・!」
彼が初めて苦悶の声を上げる。
(効いた!)
私は確信する。
「アリア、今のをもう一度!」
母が叫ぶ。
「分かった!」
私は再び術式を展開し、叫ぶ。
「『
「——!」
しかし、その瞬間——
「調子に乗るな!」
バルクトが片手を掲げた。
「『
漆黒の鎖が地面から飛び出し、私を絡め取る。
「っ・・・く!」
体が動かない!
「アリア!」
母が助けようと駆け寄る。だが、その時——
「・・・ふん、貴様らの実力は認めよう」
バルクトは一歩下がり、私を縛る鎖を解いた。
「だが、今回はここまでだ」
「逃がすと思う?」
母が杖を構える。
「あいにくだが、俺の目的はお前たちを倒すことではない。準備は着々と進んでいる」
「何・・・?」
「もうすぐで、邪神ガラネルは目覚める。その時まで、せいぜい足掻くがいい・・・『灼炎の女皇』、そしてその娘よ」
バルクトの体が黒い霧に包まれ、消えていった。
私は膝をついた。
「ガラネルが・・・目覚める?」
「そんなこと、させない・・・絶対に!」
母が悔しげに呟く。
私は唇を噛んだ。
いよいよ、敵が姿を現した。
(戦いが、始まる・・・)
私は杖を握りしめ、決意を固めた。
「絶対に、止める・・・!」
異界の門までの道は、まだ続いている。