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30.封印の向こうに

 荒野に、再び静寂が戻っていた。しかしそれは、死の匂いを孕んだ沈黙だった。


私はまだ膝をついたまま、呼吸を整えようとしていた。

張り詰めた空気の中で、胸の奥がずっと震えている。体の芯まで冷たくなるような恐怖だった。


「アリア、大丈夫?」


 母が私の肩に手を置く。

温かく、力強い炎のような手だ。

私は黙って頷き、立ち上がった。


「あいつが言っていたこと、聞いたわね?封印が、崩れつつあるって」


「・・・うん」


私は答える。でも、まだ信じられなかった。


 かつて、この世界を支配したという邪悪な存在。それが蘇り、災厄をもたらす・・・。

そんな話を、すぐには信じられなかった。

でも。


「でも、止める。私が・・・私たちが、必ず」


母は頷き、微笑んだ。けれどその瞳は、鋼のように強く、決意に燃えている。


「その意志がある限り、私たちは決して負けない。あいつを見て、わかったでしょう?敵は、とても恐ろしい存在なの。でも、あれは始まりにすぎない。もし門が開かれたら、その先にはもっと恐ろしいものが待っている」


「異界の門・・・」


 私たちが目指している場所。全ての元凶——ガラネルが封印されている場所。


・・・いや、正確には「されていた」のかもしれない。

ある意味、ガラネルの封印はもう解かれているのかもしれない。





 馬を失った騎士たちは、簡易の治癒魔法で応急処置を施しながら、再び隊列を整えていた。

そして、ここからは徒歩になりそうだな、と言っていた。


「・・・セリエナ様、アリア様。申し訳ありませんが、ここからは徒歩で行きましょう。我々は、すぐにでも再出発できます」


隊長が近寄ってくる。

彼の声にも、焦りと緊張が滲んでいた。


「・・・瘴気の濃さが増している。門が近い証拠ね。行くわよ、アリア」


「うん」


 私は再び杖を握り直す。

震えてなどいられない。この世界を守るために、母の力になりたい。


私がこの世界に転生した意味を、見つけるためにも。


(もう、逃げない)


 前世の——いじめられて、死を選んだあの時の私は弱かった。

弱くて、何もできなかった。


だけど、今は違う。

私は炎を持っている。戦う力を持っている。



 私はもう一度空を見上げた。

赤く染まる夕陽の中に、黒い雲が広がっていく。まるで、世界にこれから訪れる戦乱を告げているかのようだった。


「さあ、行きましょう」


 母はそう言って、先頭に立った。

──この、揺るぎない意志に満ちる背中と、燃える赤髪は、転生してからずっと続く、私の憧れそのものだ。




 私は一歩、そしてまた一歩と、母の後を追う。

焦げた土の匂いと、重たい瘴気が肌を刺してくる。それでも足を止めることはない。


「瘴気がきついな・・・セリエナ様、アリア様。瘴気の濃度がこれ以上上がる前に、早く山を越えましょう」


騎士団の隊長が、岩陰から手招きしていた。

その声が震えているのは、瘴気のせいだけじゃない。


きっと彼も、今この瞬間に感じているのだろう。

この先に何か、異常なものが待っていることを——。


「母さん」


「なに?」


「もしガラネルが・・・完全に目覚めたら、どうなるの?」


 私の問いに、母は立ち止まった。

そして、ゆっくりとこちらを振り返る。

燃えるような赤い瞳が、まっすぐ私を見据える。


「その時は・・・この世界は、焼き尽くされるでしょう。怨嗟、憎悪、絶望の炎でね」


心臓が冷たくなる。でも、その冷たさの奥で、またひとつ炎が灯った。

私はもう、ただの女子高生じゃない。もう、逃げ出した過去の私じゃない。


「止めるよ、私たちで」


 母は微笑む。ほんの少し、哀しげに。

それでも、私の胸に届く温かさがあった。


「そうね。アリア、あなたがそう言ってくれるなら・・・私は、何度でもこの命を燃やせる」


その言葉は、私の心に火を灯す呪文みたいだった。

前世で失ったもの、痛み、恐怖、絶望・・・すべてを燃やして、前に進める。


 私は、もう逃げない。

母と共に、この世界を守るために。

私が生まれた意味を、ここで見つけるために。




 瘴気の向こうに、異界の門が見えてきた。

漆黒の岩が蠢き、赤黒い光が脈動している。

それを見て、母が唸った。


「封印が、崩れかけている・・・」


あの中に、かつて世界を滅ぼしかけた存在がいる。

正直、ここからでも邪悪なオーラを感じる。

でも。


「行こう、母さん」


 私は杖を握りしめる。炎の力が、手の中で脈打っていた。


私が母さんから受け継いだのは、あらゆるものを焼き尽くす炎の力。けれどそれは、守るためにも使える力だ。


「ええ、アリア」



 二人並んで、異界の門へと歩き出した。

もうすぐ、戦いが始まるだろう。

でも、私は逃げないし、目を背けることもしない。


この命が尽きるその瞬間まで、私は、私を裏切らない。




 途中、母が私の肩に手を置いて言ってきた。


「大丈夫。あなたと私なら、上手くやれる」


「・・・うん、ありがとう、母さん」


私は微笑んだ。

母は優しく頷き、私の髪を一度だけ撫でる。


「さあ、進みましょう。ここまでくれば、ゴールはもうすぐ。何かが起きる前に、着かないと」




 私は頷き、騎士たちとともに再び歩き出した。血の荒野を越え、闇の気配が濃くなる方角へ。誰も足を踏み入れたことのない、禁断の地へ。


 そこに待っているのは、破滅か、それとも──。


なんでもいい。私は・・・どんな運命でも受け止めてみせる。



私の物語は、まだ始まったばかりだ。



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