足元の大地が、ぐらりと揺れた気がした。
異界の門の前に立った瞬間、全身を締めつけるような圧力が降りかかる。
空気が重い。
熱いはずの風が冷たく感じるほど、そこには“異質”があった。
私は一歩、母の隣に立つ。
「これが、異界の門・・・」
黒い岩がねじれ、脈打ち、何かが内側から呼吸しているようだった。
赤黒い光が脈動し、見ているだけで胸の奥を押し潰されそうになる。
「怯えなくていいわ、アリア。これは・・・私でも怖い」
母の言葉に、少しだけ救われた。
“灼炎の女皇”と呼ばれる最強の魔女が、母が、私と同じ気持ちを抱き、怖いと言ってくれた。
だから私も、強がらなくていいんだ。
「でも、進まなきゃ。・・・どんなに怖くても」
言いながら、私は杖を前に構える。
その先端に、赤い炎が灯る。
母の魔力を受け継いだ、私の炎。
私の中で燃えるものは、恐怖だけではない。 希望、怒り、過去への悔しさ。そういったもの全部、燃料にして燃えている。
「門の封印を確認する。すぐに終わるわ」
母は赤い外套の裾を翻し、一歩門へと近づいた。
その指先が、すっと宙をなぞる。
赤い魔法陣が重なり合い、いくつも展開されていく。
それはまるで花が開くように美しく、でも、何かを強く押し止めるための“檻”でもあった。
「
低く、鋭い声で母が告げる。
赤黒く脈動する門を睨みながら、その瞳の奥にほんのわずかな警戒が宿っていた。
私はその言葉にほっとした。
けれど、門が脈打つ音は、まるで私たちの安堵を嘲笑うように、次第にその鼓動を強くしていく。
「奴らの気配は濃いけど・・・まだ封印は破られていない。なんとか持ちこたえている、という感じにも思えるわ」
母はそう言って、私の方を振り返った。
「アリア、この結界に魔力を流して。あなたの魔力で、封印の補強をしてみて」
「・・・わかった」
私は杖を強く握りしめる。
目を閉じて意識を集中させると、知らないはずの魔法が頭に浮かんできた。
何となくわかった・・・これは魔力と同様、母から受け継いだものだと。
「
私の足元に魔法陣が広がり、紅い炎がじわじわと地を這い、門を囲む結界の縁に染み込んでいく。
その炎は、恐怖を抱えた私の心そのもの。けれど同時に、誰かを守りたいと願う意志でもあった。
「・・・上出来よ、アリア。これでもうしばらくは、結界が持ちこたえるはず」
母の声に、私は静かにうなずいた。
異界の門はまだ眠っている。だが、呼吸している。
その鼓動は、いつ牙に変わるかわからない。
私はその脈動を見つめながら、ただ、自分の炎が消えないようにと、胸の奥でそっと願った。
私たちは、どうにかレフェ王城まで戻ってきた。
城は、昼でもどこか重々しい静けさをまとっていた。
重厚な扉が開くと、私と母は並んで謁見の間へと足を踏み入れる。
赤い絨毯がまっすぐ王座へと延び、両脇には武装した近衛兵たちが整列していた。
玉座には、威厳と疲労を帯びた国王・・・ラドム三世が座している。
「戻ったか、セリエナ殿。そしてアリア・・・二人とも、ご苦労であった」
その声は低く、でもはっきりと響いた。
「異界の門の封印は健在です。コア・シールへの干渉も認められませんでした」
母が簡潔に告げる。
「では、特に異常はなかったのだな?」
「いえ、それが・・・」
母は視線を逸らさず、今回の旅路であったことを説明した。
私はそんな母の隣に立ち、黙っていた。
「・・・ということがありました」
母がひとしきり説明を終えると、ラドム三世の眉がぴくりと動いた。
「
「そのようです。いずれガラネルが復活すると言っていましたので、もしかすると・・・」
「・・・もしそれが現実のものとなったら、由々しき事態だ。だが、少なくとも今は、門には異常はなかったのだろう?」
「はい。ただ、結界の補強はしておきました──。娘が、
王は静かに目を細め、私を見てきた。
「ほう、君が・・・」
場に沈黙が満ちた。まるで誰もが、王の言葉を待っていたかのように。
「セリエナ殿。あなたの娘は・・・確かまだ七歳のはずだな?」
「ええ。けれど、この子は私の娘です・・・ 魔力も、意思も。何より──選ばれています」
母の言葉に、王は小さく笑った。威圧ではなく、興味を隠せない大人の表情で。
「なるほど・・・“灼炎の女皇”の系譜はしっかりと続いているのだな。だが、気を緩めるな。門が開かれれば、この大陸は・・・」
「ええ。でも、その時は私たちが止めます・・・何があっても」
母がそう言うと、王は満足そうにうなずいた。
「よい返答だ。では引き続き、定期的な異界の門の監視を願いたい。必要な援軍や資材があれば、遠慮なく言ってくれ。セリエナ殿、それにアリア・・・頼んだぞ」
「はい」
私と母は膝をつき、深く頭を下げた。
なんとなく、気づいていた。
異界の門は、ただ“呼吸”しているだけじゃない。
そこには、確かに“誰か”がいる。
目を閉じれば、門の向こうから微かに聞こえた。
名も知らぬ声で──私の名を、呼ぶような響きが。
・・・アリア。
その小さな囁きが、胸の奥に残っていた。