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31.門の報告

 足元の大地が、ぐらりと揺れた気がした。

異界の門の前に立った瞬間、全身を締めつけるような圧力が降りかかる。


空気が重い。

熱いはずの風が冷たく感じるほど、そこには“異質”があった。


 私は一歩、母の隣に立つ。


「これが、異界の門・・・」


黒い岩がねじれ、脈打ち、何かが内側から呼吸しているようだった。 

赤黒い光が脈動し、見ているだけで胸の奥を押し潰されそうになる。


「怯えなくていいわ、アリア。これは・・・私でも怖い」


 母の言葉に、少しだけ救われた。 

“灼炎の女皇”と呼ばれる最強の魔女が、母が、私と同じ気持ちを抱き、怖いと言ってくれた。


だから私も、強がらなくていいんだ。


「でも、進まなきゃ。・・・どんなに怖くても」


言いながら、私は杖を前に構える。 

その先端に、赤い炎が灯る。

母の魔力を受け継いだ、私の炎。


 私の中で燃えるものは、恐怖だけではない。 希望、怒り、過去への悔しさ。そういったもの全部、燃料にして燃えている。


「門の封印を確認する。すぐに終わるわ」


母は赤い外套の裾を翻し、一歩門へと近づいた。

その指先が、すっと宙をなぞる。


赤い魔法陣が重なり合い、いくつも展開されていく。

それはまるで花が開くように美しく、でも、何かを強く押し止めるための“檻”でもあった。


封印核コア・シール、健在。干渉の痕跡なし。・・・大丈夫そうね」


 低く、鋭い声で母が告げる。

赤黒く脈動する門を睨みながら、その瞳の奥にほんのわずかな警戒が宿っていた。


私はその言葉にほっとした。

けれど、門が脈打つ音は、まるで私たちの安堵を嘲笑うように、次第にその鼓動を強くしていく。


「奴らの気配は濃いけど・・・まだ封印は破られていない。なんとか持ちこたえている、という感じにも思えるわ」


 母はそう言って、私の方を振り返った。


「アリア、この結界に魔力を流して。あなたの魔力で、封印の補強をしてみて」


「・・・わかった」


私は杖を強く握りしめる。

目を閉じて意識を集中させると、知らないはずの魔法が頭に浮かんできた。

何となくわかった・・・これは魔力と同様、母から受け継いだものだと。


灼界加護フレイム・レインフォース


 私の足元に魔法陣が広がり、紅い炎がじわじわと地を這い、門を囲む結界の縁に染み込んでいく。


その炎は、恐怖を抱えた私の心そのもの。けれど同時に、誰かを守りたいと願う意志でもあった。


「・・・上出来よ、アリア。これでもうしばらくは、結界が持ちこたえるはず」


 母の声に、私は静かにうなずいた。


異界の門はまだ眠っている。だが、呼吸している。

その鼓動は、いつ牙に変わるかわからない。


 私はその脈動を見つめながら、ただ、自分の炎が消えないようにと、胸の奥でそっと願った。






 私たちは、どうにかレフェ王城まで戻ってきた。

城は、昼でもどこか重々しい静けさをまとっていた。


重厚な扉が開くと、私と母は並んで謁見の間へと足を踏み入れる。

赤い絨毯がまっすぐ王座へと延び、両脇には武装した近衛兵たちが整列していた。


玉座には、威厳と疲労を帯びた国王・・・ラドム三世が座している。


「戻ったか、セリエナ殿。そしてアリア・・・二人とも、ご苦労であった」


 その声は低く、でもはっきりと響いた。


「異界の門の封印は健在です。コア・シールへの干渉も認められませんでした」


母が簡潔に告げる。


「では、特に異常はなかったのだな?」


「いえ、それが・・・」


母は視線を逸らさず、今回の旅路であったことを説明した。

私はそんな母の隣に立ち、黙っていた。




「・・・ということがありました」


 母がひとしきり説明を終えると、ラドム三世の眉がぴくりと動いた。


邪なる者ダークマースか・・・奴らめ、また何か良からぬことをたくらんでいるのだな」


「そのようです。いずれガラネルが復活すると言っていましたので、もしかすると・・・」


「・・・もしそれが現実のものとなったら、由々しき事態だ。だが、少なくとも今は、門には異常はなかったのだろう?」


「はい。ただ、結界の補強はしておきました──。娘が、灼界フレイム・加護レインフォースを使って」


 王は静かに目を細め、私を見てきた。


「ほう、君が・・・」


場に沈黙が満ちた。まるで誰もが、王の言葉を待っていたかのように。


「セリエナ殿。あなたの娘は・・・確かまだ七歳のはずだな?」


「ええ。けれど、この子は私の娘です・・・ 魔力も、意思も。何より──選ばれています」


 母の言葉に、王は小さく笑った。威圧ではなく、興味を隠せない大人の表情で。


「なるほど・・・“灼炎の女皇”の系譜はしっかりと続いているのだな。だが、気を緩めるな。門が開かれれば、この大陸は・・・」


「ええ。でも、その時は私たちが止めます・・・何があっても」


母がそう言うと、王は満足そうにうなずいた。


「よい返答だ。では引き続き、定期的な異界の門の監視を願いたい。必要な援軍や資材があれば、遠慮なく言ってくれ。セリエナ殿、それにアリア・・・頼んだぞ」


「はい」


 私と母は膝をつき、深く頭を下げた。




 なんとなく、気づいていた。

異界の門は、ただ“呼吸”しているだけじゃない。

そこには、確かに“誰か”がいる。


目を閉じれば、門の向こうから微かに聞こえた。

名も知らぬ声で──私の名を、呼ぶような響きが。


・・・アリア。


その小さな囁きが、胸の奥に残っていた。




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