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72.血より目覚める影

「・・・あれ、いま、何て言ったの?」


 私の声が、風に消えそうなほど小さく響いた。

けれど、誰も答えられなかった。あの“影”の最後の声を聞いたのは、どうやら私だけだったらしい。


 ライドが眉をひそめて言う。


「アリア、どうした?何か聞こえたのか?」


 私は少しだけ躊躇してから、口を開いた。


「・・・フィア、って。そんなふうに聞こえたの。気のせいかもしれないけど・・・でも、なぜかすごく、懐かしい気がして」


 その名に、心の奥底がざわつく。

まるで、自分でも忘れていた記憶が呼び起こされそうになるような、奇妙な感覚だった。


マシュルが静かに言う。


「もしかすると、あの影はアリアに・・・アリアだけに何かを伝えようとしてたのかもな」


「それって・・・私にだけ、何か“繋がり”があるってこと?」


「そうかもね。あいつ・・・今思うと、アリアのことを見てた。最後の最後まで」


 シルフィンの言葉に、私は無言でうなずいた。

確かに、あの“目”──あの黒い光は、私を見ていた。


まるで、何かを思い出させようとするように。


 そして同時に、ひとつの疑念が私の中で静かに芽吹いていた。


──“影”は敵なのか?

それとも、“敵にされた存在”なのか?


その答えはまだ、霧の中だ。


「・・・ありがとう、みんな。怖かったけど、少しだけ・・・前に進めた気がする」


 私がそう言うと、三人はそれぞれに笑ってくれた。


「次に来ても、僕らは負けない。なあ、アリア」


ライドが拳を差し出す。


「うん、絶対に」


 私も拳を合わせた。その手のぬくもりが、夜の冷たい空気に染み込んでいく。

シルフィンとマシュルも、それに続いた。


影の気配はまだ、完全には消えていない。

だけど今は──この四人なら、きっと乗り越えられる。


 そんな確信が、私の胸に灯っていた。


(フィア・・・?)


 頭の奥がわずかに軋む。どこかで聞いた気がする。

でも、それは私──三春だった頃の記憶にはなかった。


むしろ、今のアリアとして生きてから、夢のどこかにあったような──いや、もっと前?

火の中で、誰かが私の名を呼んでいた──そんな幻のような記憶が、ふと浮かぶ。


「・・・“フィア”って、誰か知ってる?」


 私が問いかけると、三人は顔を見合わせて首を振った。


「いや、知らない名前だな。学院にそんな名前の子もいなかったと思うだし」


「うーん、聞いたことない。文献とかにも・・・私は見たことないな」


シルフィンとライドが即座に答える。

マシュルも静かに考え込んでいたが、やがて口を開いた。


「・・・でも、“名前”を呼ぶって、何か意味があるよな。名前には力が宿る。魔術的にも、精神的にも」


「確かに、それはそうだ。つまり、あれは私に“呼びかけていた”・・・?」


 私がそう問いかけると、シルフィンが険しい顔で頷いた。


「ただの敵意や攻撃じゃない。もっと、個人的な・・・執着に近い何かを感じたよ。少なくとも私はね」


(執着・・・?私に?)


 心の中に、冷たい何かが滴り落ちる。

あの“目”が、私だけを見つめていた理由──それは、私と“フィア”の名前に何らかの因果があるから?

だが、その真相は今の私にはわからない。


ただ、ひとつだけ確かなのは──あの“影の精”は、進化していた。

そして明確な意志を持ち、私たちを「見ていた」。


「・・・気を抜けないな、これからも」


 ライドがそう言うと、誰も異を唱えなかった。

この世界の中に、“現実の影”が入り込もうとしている。

サラの悪夢は、ただの予兆に過ぎなかったのかもしれない。


そして、“フィア”という謎の名前が示すもの──それは、私の運命と、もうひとつの何かを示しているのかもしれない。


(・・・サラ、何か知っているかも)


 私は心の中で、彼女の名を呼んだ。

次に訪れる“影”の気配が、もう背後まで迫っていることを感じながら。


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