森の館に慣れ始めた頃、客がやってきた。
ここの管理人だと言う女性はリビングに通されるとシヴァを待っている。
シヴァは部屋で仕事の電話中だ。
『あなた、シヴァさんのご家族の方よね?』
彼女はカイルが用意したお茶に手をつけると、カイルを上から下まで嘗め回すように見た。
『はい。』
相変わらずシヴァのお下がりを着ているが髪は腰辺りまで伸びきっていた。
『ボサボサの髪ね。』
カイルは両手で隠すように髪を整えると後ろで結ったリボンに触れる。
何気ない言葉ではあるが結構ズシンと来る。
『ねえ、あなたは…。』
彼女はカイルに手を伸ばし何かを話そうとした、その時奥の部屋のドアが開いた。
『すいません、お待たせしました。』
シヴァは眼鏡を外してこちらへと歩いてくる。
『いいえ。』
彼女は姿勢を整え座りなおすとシヴァが着席するのを待った。
『カイルが何か?』
カイルが唇を噛んでシヴァを見たので彼は女性を見る。
彼女は首を振るといいえと言った。
『それで…契約のことでしたか?』
『ええ、そうよ。父と契約したのだったわね?』
『ええ。あなたがここの管理をしているとは聞いていましたが問題でもありましたか?』
『問題というより、問題はないか?と聞きに来たのよ。』
彼女はカップを手に取りお茶を飲む。
『ここは本当に出るのよ。幽霊がね。それで何百年も空き屋になってたんだけど、あなたが先月突然やってきて欲しいというじゃない?気になってね。』
『ふふ、そうでしたか。特段何か変わったことはありませんよ。カイルは何か気付いたか?』
シヴァがカイルに視線を向ける。
『いいえ、何も。幽霊も何も出ません。』
女性はふうんと口元をゆがませた。
『本当に?あなたがそうなんじゃなくて?とも思ったわ。』
そう言い、ケタケタ笑う。
『そう、問題はないのね。とりあえず良かったわ。男所帯と聞いていたし、問題はなさそうね。』
シヴァは口元で手を当てて、おかしそうにぷっと吹き出した。
『あら、なあに?』
『いや、少し咳が。失礼。』
女性は立ち上がると、もうお暇するわ。と出て行ってしまった。
ドアが閉まりカイルがふうっと長い息を吐くと、シヴァが顔を隠すように後ろを向いて笑い出した。
『アハハハ。』
『なんですか?』
カイルが眉をひそめるとシヴァが少し笑いを抑えて、カイルを停止するように片手を上げた。
『いや、面白くてね。』
『何がですか?もう、怒らせなくてよかったですよ。管理人さんなんでしょう?』
『ああ、そうだが。クフフフ。』
『シヴァさん、だめですよ。本当に。』
カイルは訳もわからずテーブルを片付ける。
シヴァは落ち着いたようだったが椅子に座ると、今度はじっと何かを考え込むように黙り込んだ。
おかしな人だなあ…。
カイルは台所で片づけをしてからもう一度薬缶に水をいれ火にかけた。
『シヴァさん、お茶飲みますか?』
『いただこう。』
シヴァの声が台所に届いてカイルはお茶を入れる、トレイに乗せて運ぶとテーブルに置いた。
『どうぞ、熱いので気をつけて。』
『ああ、ありがとう。』
シヴァが手を伸ばしカップを手に取る。
ゆっくりとお茶を飲むとカイルに傍に座るように言った。
『カイル、本当に何も見ていないのか?』
『はい?』
カイルが目を丸くするとシヴァが笑う。
『幽霊だよ。』
『え?』
『この家には確かにいる。私たちとは違うものがね。幽霊と呼ばれている何かがいる。』
『でもさっきの人にはいないって。』
『ああ、あれにはそう言ったほうがいいようだ。色々と
『え?』
シヴァは手をテーブルの上で組み、少し視線をずらした。
天井のほうに向けられる。
カイルはそちらに視線を移した。
そこには白い女性のような形をした何かが浮いている。
『わあ!』
白い女性はふわりとシヴァの肩に触れるとにこりと微笑んだ。
『彼女はミア。この家の一番初めの住人だ。』
シヴァは当たり前のように後ろに立つミアに笑いかける。
『いや、ちょっと待ってください。じゃあ嘘を…。』
カイルが抗議するとミアが首を横に振った。
『違う違う。ミアがそうしろと言ったんだ。あれは強欲で
『はあ…、あのシヴァ?私にはミアの声は聞こえませんがあなたは聞こえるんですか?』
『うん?ああ、私は長い間色んなものに触れてきたからな、大体のことはわかるさ。』
ミアがシヴァの後ろから出てきて二人の前に立つ。
床板が透けているから幽霊なのだろう。
『本当に幽霊なんですね?』
『ふふ、正確に言うと人のフリをしていた妖精が、人のフリに気がつかずに幽霊になったのさ。』
『はい?』
シヴァは背もたれにぐっともたれると微笑む。
『世界が長くなってくるとそれぞれが新しい形に生まれ変わるのか、変化していく。人間は百年は生きることはなかったが、今になれば我々不死に近づいているのか寿命というのが伸びているらしい。我々と違うのは老いだ。』
シヴァは手のひらをかざした。
『我々は老いるスピードが遅い。人間と比べると彼らはほんのひと時に老いて朽ちてゆく。 今までの形とはそれも違うようだが。このミアも同じ、妖精は人のフリをして人の世界で生きることにした。しかし忘れてしまったのか人の形をしたまま幽霊になった。』
『忘れてしまうのですか?』
『うん、そうだな。それも正確ではない。人の世界では人間は希少種になった。しかし彼らはいまだ自分たちが一番なのだと勘違いをしている。カイルもな?君もヴァンパイアが希少種だと教えられてきたろうが、そんなことはない。沢山の種類が人に化けて生活をしている。そして交配を進め、いつの間にか自分たちが何者であるか忘れてしまったんだ。』
『ああ、それは知らないということでもある。』
『そうだ。知らずに何かとして生まれ、知らずに人間として生きていく。この世界はそういったものたちが蠢いている。』
シヴァはカップに手を伸ばすと口をつけた。
『彼らは希少種だとかをまるで珍しいものかのように売り飛ばす。けれど中には同胞を売り飛ばしている連中もいるということだ。気がつかずにね。』
『そんな。』
カイルが青い顔をするとミアがそっとカイルの頭に触れた。
『知らないということは愚かであり悲しいことだ。何世紀前かには希少種が薬になるとかで共食いも行われていた。我々ヴァンパイアは逃れたが、アレも酷いものだった。』
カイルの顔がますます青くなる。
シヴァは苦笑すると立ち上がった。
『もう止めよう、君が死んでしまいそうだ。』
カップを持ち台所へと消えていくシヴァの背中を見つめてカイルはうな垂れた。