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第9話

雪に埋もれて一週間経とうとしている。

雪は止んだようだが解ける気配がない。

カイルは起きだすと暖炉のある部屋へと急いだ。

暖炉は赤々と燃えている。

『おはようございます。』

『おはよう。』

ふああとあくびをするとシヴァが笑う。

『顔を洗ってきなさい。まだ寝るのであればベットに戻れ。』

『洗ってきます。』

洗面所で顔を洗い、また部屋に戻ると服を調える。

部屋を出た所でシヴァが玄関にいるのが見えた。

『どうしました?』

『ああ、暖炉の火を強くしている。ドアの前だけでも除けておこうと思ってね。』

『手伝います。』

『いや、それはいい。すぐに終わるから。暖炉の前で温まりなさい。』


彼は外に出るとドアを閉めた。

外ではざくざく雪をかく音がしている。

カイルは暖炉の前に行くと椅子に座った。

テーブルの上にはラジオが置かれていて、かすかに音が流れている。

チューニングボタンを回すと古い流行歌だった。

女性が歌う流行歌は聴きなれない言語で、カイルが知るものとは違った。

『ドリーミングララバイって違う言葉でも歌われているんだ。』

カイルが椅子に座って聞いているとシヴァが戻ってきた。

『ん?懐かしいな。今日は珍しく受信したか。』

『懐かしいってあなたも知っているんですか?』

シヴァは両手を擦り合わせ暖炉の前に立つ。

『この言語のものはな。こちらが原曲なんだよ。』

『知りませんでした。』

『フフ、原曲のほうが売れなかったからね。彼女はオペラ歌手で珍しく流行歌も歌っていた。がそんなに売れずに、またオペラの世界に戻った。』

シヴァは丁度ラジオから聞こえてきた歌を口ずさむ。


『世界の果てで待っていて、なんて歌詞が流行ったのは彼女がオペラの頂点に立ち、名声を手に入れた後のことだ。』

『歌詞が違うんですね。私が知っているドリーミングララバイはいわゆるラブソングです。』

『ああ、そういうものだ。』

シヴァは優しい声でラジオにあわせて歌う。


この世界が朽ちてしまっても 星の輝きは消えない


歌が終わるとまた少しして受信しなくなりラジオが静かになった。

シヴァは台所へ消え、お茶を手に戻ってくる。

カイルにカップを手渡すと椅子に座った。

『素敵な歌ですね。今のってシヴァが訳して曲に乗せて歌ったんですよね?』

フフと笑いシヴァはお茶を飲む。

『君は褒め上手だ。』

『いえ、でも私はあなたの歌うドリーミングララバイが好きです。』

『そうか。』

カイルは立ち上がると暖炉に薪をくべる。

『この世界が朽ちてしまっても、星の輝きは消えない。』

少し調子外れの音でカイルは歌い、火かき棒を持ち動かしながら、ぼんやりと火を見つめている。

『でも悲しい歌詞ですよね。』

『そうだな。きっとそんな思いをした人が沢山いたのではないかな。だからこの歌は作られた、けれど多くに届くことはなく新しく歌詞が付けられ歌われた。でもラブソングなのだから愛された歌だろう。』


『はい。…あの。』

カイルは少しもじもじしながらシヴァの前に立った。

『どうした?』

『あの、ドリーミングララバイの訳を書いてもらえませんか?良かったらですけど。』

『ふふ、いいよ。』

シヴァは頷くと戸棚の引き出しを開けて、紙とペンを取り出すとテーブルの上に置いた。

『ああ、覚えているものが間違っていなければいいが。』

カリカリとペンを動かして歌詞を書き出してゆく。

『でもこの歌自身が短いものでよかった。』

ペンを止めるとシヴァは紙をカイルに差し出した。

『ありがとうございます。』

『気に入ってもらえてよかった。』

『部屋に置いてきます。』

カイルがぎゅっと紙を胸に当てて部屋に戻る。

『なんか嬉しいな。こういうの。』

それが聞こえたのか廊下の向こうでシヴァの声が響いた。

『どうかしたか?』


『いいえ。』

カイルはふふと微笑むと机にそれを置いて部屋を後にした。

『ああ、そうだ。』

居間に戻ったカイルにシヴァがはっと顔を上げる。

何か思い出したように少し苦虫を噛み潰した。

『どうしました?』

『いや…君に話しておかないと。』

『はい。』

めずらしく口の重いシヴァを見てカイルは首をかしげる。

『何か問題ごとですか?』

『うん…雪が溶ける頃に一度街に行こうと思っている。もちろん君も連れてだ。』

シヴァは椅子にもたれてうなだれるように足を組んだ。

『我々にとって必要なことでもある。こう長く生きていると変化もあるものだが…。』

カイルはもう一度首をかしげた。

『なんでしょう?』

『血だ。』


ああ、とカイルは声に出した。

そういえば森を出てからは口にしていない。

けれどそんなに枯渇しているようには感じられなかったが、何かおかしいのだろうか?

『あの、確かに随分と飲んではいません。』

『ああ、私が食事を作るときに少しだけ混ぜているからね。』

シヴァは立ち上がると、暖炉の上にある戸棚から何かを取り出して、カイルの手に乗せた。

小さなカプセルだ。

振ってみると何か粉が入っている。

『何ですか?』

『血の粉末だ。』

『ええ?』

カイルが慌てて、それを落としそうになるも両手で大切に捕まえた。

『君は初めてかも知れないが、都会ではそうしてヴァンパイア向けに売られている。』

『でもどうして?…ああ!』

そうか、とカイルは俯いた。


血を提供してくれる人がいたとしても、いなかったとしても相手からもらうことになる。

ましてや人の中で隠れて生きているのであれば、それが合法的にできるとは限らない。

『フフ、そうだ。我々はこうしたものを手に入れなくてはいけない。合法的にね。』

『でも、どうやって…その、血を。』

『病院だ。金のない連中が血を売りに来る。それを医者どもが買ってこうした形にして我々に売るのさ。大昔は多くの人間が血を提供してくれたシステムがあったらしいが…犯罪に使われて潰されたんだ。』

シヴァはカイルからカプセルを受け取ると指で挟んで見せた。

『とはいえ、我々もそこまで血が必要になるわけじゃない。昔話のように寝て起きて腹が減ったら美女を襲うなんてことをしてたら大変だ。それこそ都市伝説という奴で狩りが始まってしまう。ヴァンパイアが出たってね。』


『はい。じゃあ、それを買いに行くんですか?』

『ああ、それはかまわんのだが…。』

『カプセルが問題ではないんですね?』

『そのとおりだ。』

長い溜息をついてシヴァは頬杖をついた。

『その病院にいる医者だ。このカプセルを作っている奴。とりあえず奴には君のことも紹介せねばならん…。』

『ああ…あの、どんな方なんです?そのお医者さんって。』

『エルフだ。ろくでもないエルフだ。君を連れて行きたくはないんだが、カプセルの中身が合うかどうかがまだよく分かっていないのもあって…。』

頭を抱えるようにしてシヴァがうな垂れた。

カイルは頷いて微笑む。

『はい、肝に銘じておきます。』


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