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第6話 暇潰しのお供は書庫の本

 翌日の朝食後、いつもなら曲がる廊下の曲がり角をファントスが通り過ぎた。ここを曲がらなくては部屋に戻れない。それなのに執事の背中は廊下を真っ直ぐ進んでいる。


「あの」


 慧人が声をかけると、ファントスが「あぁ、失礼しました」と振り返った。


「今日はこのまま書庫へご案内します」

「書庫、ですか?」

「書庫になら入ってもいいとのお返事です。それにケイト様は読書家だということのようですので、暇潰しにはちょうどいいかと」


 ファントスの言葉にドキッとした。「こいつ読書家だったのか」と初めて耳にする情報に驚きつつ、さっきまで向かい側で食事をしていたイケメンの顔を思い浮かべる。


(目の前に座ってたんだから直接言えばいいのに……って、そういや挨拶のとき以来、声聞いてないな)


 お飾りの結婚相手には話しかける気にもならないということだろうか。


(まぁ、話しかけられて困るのは俺のほうだからいいけどさ)


 いまだに「ケイト」のことも嫁ぎ先であるこの家のこともわからないのに会話が成立するとは思えない。それ以前に結婚相手であるはずのイケメンの名前すら知らないままだ。


「じゃあお願いします」


 本を読むのは嫌いじゃない。書庫ならそれなりの本があるだろうし、もしかしたら「ケイト」の家やこの家のことが何かわかるかもしれない。


(それに時間もたっぷりあるしな)


 そう思いながら入った書庫は、慧人の想像をはるかに超える規模のものだった。まず、部屋がとんでもなく広い。てっきり書斎程度だと思っていたが高校にあった図書室より広く、天井に届きそうなほど大きな本棚がズラリと並んでいた。天井付近には明かり取り程度の横に細長い窓があり、それだけでは薄暗いからか、部屋のあちこちにランプのような灯りがついている。

 本のサイズも想像していたものとは違っていた。どの本もA4サイズより大きくカバーも分厚い。もしかして表紙は紙製じゃないのかもしれない。相当古い本が並んでいるのか古本屋のような匂いもした。本棚の間には脚立のような台もあちこちに置かれている。


(こりゃあ暇潰しどころか読み終わる気がしないぞ)


 だが、これだけあれば暇になることはなさそうだ。この日から慧人は朝食後、書庫に通うようになった。


 書庫に通い始めて四日が経った。なんとなく眺めていた背表紙の中で気になるタイトルを見つけた慧人は、シリーズらしきその本から読むことにした。昨日の続きを読み終わり、棚に戻してから隣の本を引っ張り出す。表紙には『エレメターナ王国記Ⅲ』と書いてある。


(やっぱりどの本もちゃんと読めるな)


 ページをめくりながら今さらなことを思った。Ⅰを読んでいるときは気がつかなかった。Ⅱを読み始めて「あれ?」と思った。


(どの本も漢字、平仮名、片仮名で書いてあるって、やっぱり変だよな)


 ここは異世界のはずなのに、なぜか本は日本語で書かれている。少なくとも慧人の目には日本語に見えていた。


(こういうのも異世界のお約束なんだろうか)


 それとも「ケイト」の記憶が残っているおかげなのだろうか。「そういえば言葉も通じるもんな」と思いつつ、目次らしきものを見る。


(なんとなくだけど、この国のことがわかってきた)


 慧人が予想したとおり“エレメターナ”というのがこの国の名前だった。王国記とあるくらいだから建国記か何かだろうと読み始めたが、予想どおり国の歴史らしきものが書かれている。


(王国ってことは王制ってことだよな)


 首都は“光天栄地こうてんえいち”という名前で、ありがたくもルビが振ってあった。地図らしきものも描かれていたが、いわゆるゲームのマップみたいな感じでリアルっぽくない。測量技術の問題なのか、単にこの本がそういう仕様なのかはわからない。

 首都以外の場所は複数の領地にわかれているらしく、土地の名前らしき文字の下に“第一爵”だの“第二爵”だのという文字が書かれていた。


(「爵」ってことは爵位か何かだろうなぁ)


 ということは、この国には王様と貴族がいるということだ。地図に書かれていた地名らしきところに「ケイト」の部屋で見た「青鏡」という文字も見つけた。


(これ、“しょうきょう”って読むのか)


 地名にルビが振ってあってよかった。そう思いながらほかの地名らしき文字を確認する。その中に「香山かざん」という地名があったが、それが今いる場所だとわかったのは少し先を読んでからだった。


(あのメイドの人、たしか「とうおうこう」って言ってたよな)


 土地の説明が書かれている部分に「藤桜公が治める香山では」という一文があった。ということは、ここは「香山」という土地で「藤桜公」と呼ばれる貴族が治めている、ということなのだろう。それなら「ケイト」の家のことも書かれているのではと探してみたが、どこを見ても書いてあるのは「青鏡」の文字だけで「丹下」という文字はなかった。何度か出てきた「青鏡」を治めている貴族の名前も別のものだ。


(もしかして統治する貴族が変わったってことか?)


 慧人の頭に江戸時代の将軍家と藩の関係が浮かんだ。実際どうなのかはわからないが、この国のシステムはああいう感じなのかもしれないとひとまず理解しておく。


(香山は第一爵で青鏡は第二爵……ってことは、こっちの家のほうが地位が高いってことか)


 わざわざ第一、第二と付けているくらいだからそういうことに違いない。位らしきものは第五爵まであり、それぞれの土地を領主が治めているというようなことも書いてあった。どうやら首都に近い土地は一番地位が高い第一爵が治め、遠くなるにつれて第二爵、第三爵と地位が下がっていくらしい。


(まんま江戸時代の譜代と外様みたいだなぁ)


 国や土地のことは少しずつわかってきた。できれば結婚相手の名前も知りたいところだが、さすがに名簿みたいなものはないらしい。


(誰かが呼ぶのを待ってればいいか)


 どうせ自分から結婚相手に話しかけることはない。それなら名前を知らなくても困ることはないだろう。それでもため息が漏れたのは、結婚しているのに結婚相手の名前を知らない状況はどうなのだと思わなくもないからだ。

 なんだかなと思いながらページをめくっていた慧人の手がぴたりと止まった。


(この本にも書いてあるな)


 ページのところどころに「精霊」という文字がある。ⅠやⅡにも出てきた。本によるとエレメターナ王国には精霊が存在しているらしく、その精霊によって国が豊かになったらしい。


(精霊なんて、本格的にファンタジーっぽくなってきたなぁ)


 慧人にはここがファンタジーの世界だという認識はない。魔法や不思議な生き物を見たわけでもなく、ただちょっと古めかしいデザインの服や城のような建物があるというだけだからか異世界という感じもあまりしていなかった。こんなにあっさりと順応していいのか不安にならないわけではないものの、今のところ生活に不自由していないからか異世界について真剣に考えることもない。


(考えたところで元の世界に戻れるわけでもないだろうし)


 そう思っていたところでの「精霊」という文字だ。実在するならいよいよファンタジー世界に異世界転移したことになる。


(精霊かぁ……マジでいるのかな)


 いたとしても神様や妖怪のような存在かもしれない。おもしろそうだが、今はもっと現実的なことを知りたい。そう思いながらページをめくっていたときだった。


「ん?」


 遠くでチリンと何かが鳴った気がした。ファントスが来たのかと思い通路を見るが、人の気配はない。気のせいかと思ってページに視線を戻すと、またチリンと音がした。鈴のような音色だが鈴とは少し違う。


(鈴っていうか、もっとこう……何かの鳴き声みたいな……)


 近いのは鈴虫のような虫だろうか。


(そういや鳥が飛んでるのは見たけど虫は見てないな。まぁ、異世界でも虫くらいはいるだろうし)


 そんなことを思いつつページをめくったときだった。


「いた」


 突然聞こえてきた声に慧人の肩がビクッと跳ねた。


「び……っくりした」


 顔を上げると、通路に金髪の少年が立っている。この部屋に来るのはファントスだけで、それ以外の人物が現れると思っていなかったからか一瞬幽霊かと思ってしまった。


「会えてよかったです」


 驚きのあまり固まっている慧人とは違い、金髪の少年はにこりと微笑むとそう口にした。


(……幽霊じゃなくて天使が現れたぞ)


 キラキラまぶしい金髪と愛らしい笑顔に、慧人はそんな感想を抱いた。

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