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第9話 ジェレミの接近

(弟にも気をつけよう、極力近づかないようにしよう……そう思ってたはずなのに……)


 思わず漏れそうになったため息を呑み込みながら、少し離れたところで「へぇ」だとか「ふぅん」だとかつぶやいているジェレミを見る。


(すっかり毎日付いて来るようになってしまったなぁ)


 初めてジェレミに会ったあの日、昼食後に書庫に向かったのはファントスと慧人の二人だけだった。てっきりジェレミも付いて来るのかと思っていたが、兄の言葉が効いたのかその後も姿を現すことはなかった。ところが次の日、三人での朝食を終えると「書庫に行くんですよね?」とジェレミから話しかけてきた。


「その予定だけど……」

「じゃあ僕も一緒に行きます」


 にこりと微笑む顔に「ジェレミ様」とファントスが口を挟んだ。それに「さっき兄様にもちゃんと話をしたから」と答えた顔は天使さながらの笑顔だが、どことなく油断できない表情にも見える。


「ね、ケイト様、いいですよね?」


 ちらっとファントスを見るがジェレミを止める気はないらしい。執事がそうなのに自分にどうこうできるはずがない。慧人は愛想笑いを浮かべながら「それなら、まぁ」と曖昧に頷いた。

 この対応がよくなかったのか、翌日もジェレミは書庫に行きたいと口にした。それからというもの、朝食が終わると逃がさないとばかりにジェレミに手を掴まれ、ファントスの後を二人並んで歩く。そうやって積極的に書庫に来るもののジェレミ自身は本を読む気がないらしく、背表紙を眺めては「へぇ」と言うばかりで手に取ろうともしない。


(俺のこと疑ってるんだろうなぁ)


 もしくは見張っているつもりなのかもしれない。


(精霊の本が並んでるところに引っ張って来るってことは、やっぱり精霊のことを調べるのはまずいってことなのか?)


 それとも「ケイト」と「精霊」に何か関係があるのだろうか。そのあたりも気になるところだが、ジェレミがそばにいるのに精霊の本ばかり読むことはできない。そう思っているのに気がつけばいつも精霊の本を手にしていた。というより精霊の本が気になって、つい手に取ってしまうといったほうが正しい。そのことにジェレミも気づいているはずだ。


(ルイスに何か報告してそうだよなぁ)


 朝食のときは気にしていない素振りだが、ルイスも思うところがあってジェレミの同行を許したのかもしれない。


(それにしては可愛すぎるお目付役だな)


 言葉遣いは大人びているものの、朝食のときに兄に話しかける様子は無邪気な子どもそのものだ。それでもわざわざ朝食のときに書庫での話をするのは「余計なことをすれば兄に言いつけるぞ」という牽制も兼ねているのだろう。

 今朝のテーブルでの様子を思い返す。ジェレミの様子はまるで学校であったことを親に話す子どものようだった。聞いているルイスのほうは相づちを打つこともなく弟に視線を向けることもない。そんな兄の様子が気にならないのか、ジェレミは毎日飽きることなく熱心に話して聞かせている。


(弟なんだから、せめてもう少し反応してやればいいのに)


 あまりにも無反応すぎるルイスに、段々ジェレミがかわいそうに思えてきた。一回り以上年の離れた弟に対する態度というにはあまりに冷たすぎる。


(もしかして弟にも興味がないのか?)


 もしそうだとしたら、毎日書庫にまでついてくるジェレミが不憫に思えて仕方がない。今朝もジェレミの話にルイスが返事をすることはなく、それでもジェレミは熱心に話をしていたのを思い出す。


「ケイト様はこれからも精霊のことを調べるんですか?」


 物思いに耽っていた慧人の耳に天使の声が聞こえてきた。本から視線を上げると目の前にジェレミが立っている。脚立のような台に腰掛けているからか、いつも下に見えるジェレミの碧眼が同じくらいの目線で自分を見ていた。


「いや、精霊の本だけ読もうと思ってるわけじゃないけど……」

「でも、毎日精霊の本を読んでますよね? どうしてそんなに熱心に精霊の本を読んでるんですか?」


 迷いのない碧眼がじっと自分を見ている。その眼差しに、慧人は「あぁ、そういうことか」と気がついた。


(ジェレミはルイスのことが好きなのか)


 お兄ちゃんが大好きで、だからこそ役に立ちたい……慧人にはそんな表情に見えた。精霊の本が並ぶ棚に引っ張ってくるのも、ここに連れて来れば「ケイト」がボロを出すと思っているからかもしれない。


(なんていうか、健気だなぁ)


 普段一緒に住んでいない、一回り以上年の離れた兄を慕う気持ちはわからなくない。だからこそなんとかして兄の役に立ちたいと思っているのだろう。もしかしたら大好きな兄の結婚相手がどんな人物か見極めてやろうという気持ちもあるのかもしれない。

 慧人は「いい弟じゃないか」と微笑ましくなった。自分が一人っ子だからか、「こんな弟がいたらどうだったんだろうなぁ」なんて想像をする。


(そうか、お兄ちゃんっ子か)


 警戒していた気持ちが少しだけ緩んだ。


(これじゃあ変に誤魔化したりはしづらいな)


 学生時代、アルバイトで塾講師をしていたときのことを思い出した。小学生コースを担当したことはなかったが、中学一年生コースを担当したときはそれなりに慕われていたような気がする。なかには「内緒なんだけど」と言いながら恋愛相談をしてきたり、人生相談めいたことを打ち明けてくる子もいた。

 そのときのことを思い出したからか、嘘をつくことに小さな罪悪感が芽生えた。それに相手はまだ十二歳の少年だ。兄のルイスに嘘をつくよりきまりが悪い。だからといって「実は俺、別人なんです」と話すこともできない。そもそも話したところで信じてはもらえないだろう。


(たぶん噂の「ケイト」と違うって疑ってるんだろうな……まてよ。そもそもジェレミは「ケイト」のこと、どれくらい知ってるんだ?)


 思い返すと、ジェレミの言葉はいつも伝聞のような言い方をしていた。つまり直接は知らず、「ケイト」の身近な誰かから聞いた話でもないということに違いない。それなら多少「ケイト」らしくないことを言っても疑われないような気がする。


(嘘をつくよりまだマシだよな)


 問題はルイスに報告されることだが、何を聞いてもルイスが気に留めることはないような気がした。毎日熱心に報告する弟に関心を見せないルイスの態度がなによりの証拠だ。余計なことさえ言わなければ大丈夫かもしれないと考えた慧人は、本を閉じてじっと自分を見つめるジェレミを見つめ返した。


「たまたま精霊の本を読んでるだけで、ほかの本もいずれは読むよ。本に載ってる気になったことから順に調べようと思ってる」

「じゃあ、今は精霊のことが気になってるってことですよね?」

「今はね。この国の成り立ちに深く関わってる精霊はどんな存在なんだろうって思って、だからまずは精霊のことから読んでおこうと思ったんだ」

「今さらですか?」

「今さらかもしれないけど、ちゃんと知りたいと思ったんだ」


 慧人の返事にジェレミが眉間に皺を寄せた。


「それって変じゃないですか? だって精霊がいることはみんな知ってますよ? 気になったからといってわざわざ調べる人はいません」

「まぁ、普通はそうかもしれないけどさ。でも俺は気になったら調べたい性分なんだ。それにこれだけの本があるんだし、そもそも俺には調べるだけの時間もたっぷりある」


 塾講師だったとき、生徒の一人に進路相談をされたことを思い出した。あのとき自分は何て答えただろうか。聞かれたことは覚えているのに答えた内容が思い出せない。「変なこと言ってないといいんだけど」と思いながらジェレミを見る。


「それにほら、聞いてた話と実際は違ってた、なんてこともあるだろうし」


 そういうことは大人になってから嫌というほど経験した。とくに伝聞とは恐ろしいもので、伝えた側もそれが真実だと思い込む。おかげでイベント用の映像をギリギリになって差し替えなくてはいけなくなったことがあった。あのときは間に挟まれていた自分たちはもちろんのこと、作業現場もクライアント側も地獄だったなと遠い目になる。


(そういや仕事の資料もそれから調べ直すことが増えたっけ)


 全部は無理だとしても、自分が知らないジャンルのことはできるだけ調べるようになった。それも段々と時間に追われて最近では調べる気力さえなくなっていた。でも、今は違う。時間はたっぷりあるし本も読み切れないほどある。それに暇潰しだけでなくこの世界の知識を得ることができるなら一石二鳥だ。


「それにさ、自分で調べたほうが納得がいくと思うんだ。調べてわからなくても諦めがつくしね。逆にやらないままでいて、後でやっぱりやっとけばよかったって思うほうが俺は嫌かな」


 話ながら「ちょっと説教くさくなってきたな」ということに気がついた。つい塾講師だったときの気持ちが蘇り、余計なことまで話してしまった気がする。


「ははは、やっぱり変かな」


 誤魔化すように笑ったものの、ジェレミは碧眼を見開いてポカンとした顔のままだ。


(あー……これはますます疑われるかもなぁ)


 おそらく噂の「ケイト」とあまりに違っていたのだろう。それ以前にこんなにしゃべる人物じゃなかったのかもしれない。「無駄口を叩くことがなく」とルイスが言っていたことを思い出し、「やってしまったかな」と愛想笑いを浮かべながら宙を見て「さて、どう誤魔化そう」と考える。


「お兄様!」

「へ……?」


 右手を突然ガシッと掴まれて驚いた。両手で慧人の右手を掴んでいるジェレミは、なぜか目元を赤くしながらキラキラした眼差しを向けている。


「今日からお兄様と呼ばせてください!」

「へ? あ、いや、それは別にいいけど……えぇ?」


 状況が理解できない慧人を気にすることなくジェレミは熱っぽい視線を向けていた。そうして「まるでルイス兄様のようです!」と興奮した様子で話し始めた。


「ルイス兄様もいつも言っているんです。他人の言葉に振り回されるな、自分で考えろと。ケイトお兄様が言いたいのも、そういうことですよね?」

「そう……なのかな」

「僕にはそう聞こえました!」


 右手を握り締めるジェレミの両手にグッと力が入った。


「あぁ、よかった! お兄様がルイス兄様と同じ考えを持っている人だとわかって安心しました。そっか、だから兄様と関わりが深い精霊や占術師のことをもう一度調べようと思ったんですね。僕はてっきり丹下公の命令でよからぬことを企んでいるのかと誤解してました。そうじゃないとわかって安心しました」


 流れるように語られる内容に頭がついていかず、「は? え?」としか言葉が出てこない。


「それに噂どおりの人じゃなくてよかったです。いくらお飾りでも生き人形みたいな生気の薄い人が兄様の隣にいるなんて、僕は絶対に嫌だと思ってたんです。そもそも丹下公みたいなポッと出の貴族の子が玉条の血を引くルイス兄様の結婚相手なんて、あり得ないと思っていました。いくら陛下の子だからって捨てられたも同然なのに、美しくて優秀なルイス兄様の結婚相手に選ばれるなんて納得いかなかったんです」


 満面の笑みを浮かべる天使を、今度は慧人のほうがポカンとした顔で見つめる。そんな慧人に気づいていないのか、ジェレミが「お兄様、これからよろしくお願いします」と言いながら上気した顔でじっと見つめていた。


(情報量、多すぎなんですけど……)


 ニコニコと笑っているジェレミを見ながら、慧人は「ケイト」がとんでもない秘密を抱えた人物だということを初めて知った。

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