ジェレミにあれこれ聞いたからか、気がつけば慧人は「ケイト」のことばかり考えるようになっていた。一番に考えるのは出自のことで、ジェレミが言っていた「いくら陛下の子だからって」という言葉が何度も蘇る。続けて思い出すのが「捨てられたも同然」で、「丹下公の命令で」という言葉も引っかかっていた。
あれはどういう意味だろう。考えれば考えるほど気になって仕方がない。だからといってジェレミに確認することもできない。
(聞いたら答えてくれそうではあるけど……でもなぁ)
自分のことを他人に尋ねるのはおかしな話だ。それに丹下公云々というのはきな臭い話のような気がする。建国記に書かれていた第一爵や第二爵という地位を考えると、「ケイト」の実家が上位であるこの家に何か仕掛けようとしているかもしれないということだからだ。しかも子どもを嫁がせてというのがいかにもドラマや映画にありそうなシチュエーションで、慧人は思わず笑いそうになってしまった。
(それを疑っていたからああいう態度だったのか)
それならルイスの態度にも納得がいく。そう結論づけたものの、それにしてはいつまで経ってもルイスの様子が変わらないことが気になった。弟のジェレミが態度を変えたというのに、それさえ気にならないのか相変わらず弟の話に相づち一つ打とうとしない。
(まぁ、あれだけ猛アピールされても兄としては困るか)
学校での出来事を報告するような内容だったジェレミの話は、慧人をお兄様と呼び始めた翌日から「ケイト」がいかに素晴らしい人物かをアピールする内容に変わった。あまりにも褒めちぎるせいで聞いている慧人のほうが居たたまれない気持ちになる。おかげで食事中、何度も挙動不審になってしまった。それなのにルイスはこちらを見ることはなく弟に返事をすることもない。
(まぁ、「兄様の結婚相手として最高の相手だと思います」なんて言われても、もう結婚してるんだし反応のしようがないよな)
それに「ケイト」は“お飾り”の結婚相手だ。そもそも今さら結婚相手として気に入られても困ってしまう。
(気に入られた挙げ句、それじゃあ夫婦らしく夜を過ごしましょう、なんて言われても困る)
できればこのまま平穏な日々が続いてほしい。元の世界のような社畜生活に戻るのも異世界ホームレスになるのもご免だ。
そう願ってはいるものの、すでに平穏な日々はジェレミの登場で少しずつ変化している気がしてならなかった。「ケイト」のことを知れば知るほど平穏から遠のいていくような気もする。そんな予感に眉を寄せつつ、本棚を眺めているジェレミの背中を見た。
慧人を「お兄様」と呼び始めた日から、ジェレミはどこに行くにも慧人について回るようになった。その様子はもはやべったりといってもいいくらいで、書庫に付いて来るだけでなく昼食や夕食を一緒に取りたいと部屋にまでやって来る。それどころか朝迎えに来るファントスの隣にもジェレミはいた。
(慕ってるってことなのかもしれないけど)
天使のような義弟に慕われて悪い気はしない。ただ、必要以上に近づかれるとボロが出てしまわないか心配になった。
(だからって今さら遠ざけるのも変だし……いっそのこといろいろ聞いてみるか?)
今のジェレミならなんでも答えてくれそうな気がする。さすがに「ケイト」のことは聞けないにしても、ほかのことを尋ねるくらいなら疑われない気がした。
(まずはジェレミが答えやすそうなところから聞いてみるか)
それなら大好きな兄ルイスの話がいいだろう。そう考えた慧人は、「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」と声をかけた。すると「はい、お兄様!」と満面の笑みで天使が振り返る。まるで飼い主に呼ばれたワンコのような反応に頬がヒクッと引きつるのがわかった。慕われるのはうれしいが、慕われすぎるのはどうなんだろうと思わなくもない。
「ルイス……様、のことなんだけど」
そういえば敬称はどうなっているのだろう。咄嗟に様を付けたのは正解だったようで、ジェレミはキラキラした眼差しで続きを待っている。
「ちょっと気になることがあって」
「ルイス兄様のことでですか?」
「うん。あのさ、せっかく弟のジェレミ……様が」
「お兄様、僕に様は必要ありません。そんな他人行儀な呼び方しないで、どうかジェレミと呼んでください」
天使の微笑みは圧がすごい。「わ、わかった」と頷きながら「ええと、ジェレミとほとんど話してないような気がするんだけど、どうしてかなと思って」と尋ねた。
「変ですか?」
「変っていうか、久しぶりに会ったんだろ? それなのに話さないのはどうしてかなと気になったんだ」
「兄様は昔からあんな感じですよ? たまにこちらに来ても食事のときくらいしか一緒に過ごすことはありませんし」
「僕はもっとお話したいんですけど」と続けるジェレミの表情は寂しそうだ。「やっぱりお兄ちゃん子なんだな」と改めて思っていると、「でも、それでいいんです」と晴れやかな表情に変わる。
「だって、ルイス兄様はいずれ父様の跡を継いで藤桜公になる身。毎日忙しくしているのはすべて香山のためなんです。王都にもっとも近く豊かな香山でも、いつ何が起きるかわかりません。豊かな今のうちにさらに豊かになっておくべきだというのが兄様の考えなのです。僕もその考えは正しいと思っています。だから少しでも役に立ちたくて……そのためにはお兄様を見張るのがいいんだと思って……ごめんなさい」
「わかってるから謝らなくていいよ」
こうしてジェレミが謝るのは三度目だ。気にしなくていいと言っているのに、この話題になるとこうして必ず謝る。きっと根が真面目で素直なのだろう。
「お兄様はルイス兄様が気になりますか?」
眉尻を下げながらそう聞かれて「うん?」と首を傾げた。
「できれば気にしてほしいと思ってます。お兄様が気にしてくれたら、ルイス兄様も気にし始めるんじゃないかと思うんです。僕、ルイス兄様とお兄様はとてもお似合いだと思ってます。考え方が似ているし、お兄様は噂と違って素敵な方ですし」
「素敵って……ははは、そんなこと言われたの初めてだ」
「それは周りの人たちに見る目がなかっただけだと思います。お兄様は素敵な方です。それなのにどうしてあんな噂が流れているのかさっぱりわかりません」
生まれて三十六年、面と向かって褒められたのはいつ以来だろうか。「子どものときだってここまで褒められたことないぞ」と照れくさくなりながら「あんな噂」という部分が気になった。
(いろんな噂が流れてるっぽいけど、それも「ケイト」が国王の子だからなのか?)
そもそも国王の子なのに、なぜ一貴族の家に住んでいたのだろう。
「いつからベルサイユ宮殿に住んでたんだろうな」
思わず漏れた言葉に、ジェレミが「べるさいゆきゅうでん?」と不思議そうな顔をした。
「あ、いや、国王の子どもなのに、いつから丹下……公の屋敷に住んでたのかなと思って……あ~、その、疑問っていうか記憶が曖昧で覚えてないっていうか……」
きょとんとする碧眼に「ははは」と誤魔化すように笑った。そんな慧人に「生まれて割と早い段階だった聞いてますから、記憶が曖昧でも仕方ないと思いますよ?」とジェレミが答える。
「あ~、そうか、そうなんだ。いや、自分のことって知りたくても調べるのが難しくてさ」
再び誤魔化すように笑った慧人に、なぜかジェレミが眉尻を下げた。
「お兄様はずっとつらい思いをしてきたんですよね……。それなのに僕、疑ったりして……ごめんなさい」
「謝らなくていいから。それに俺は気にしてないというか、気にしようがないというか、だからジェレミも気にしないでほしい」
実際、慧人は「ケイト」の生い立ちを何も知らない。知らないのだから気にしようがなかった。それをジェレミは寛大だと受け取ったのか「お兄様のそういうところ、尊敬します」とキラキラした眼差しを向ける。
「それにしても、やっぱり噂なんて当てになりませんね」
「そういえばどんな噂が流れてるんだ?」
「ええと、一番多いのは生気の薄い生き人形のようだという話ですね。ほかにも従順で大人しいとか反応が薄くて話を聞いているかわからないだとか、そういう話が多いです……って、あの、ごめんなさい」
「聞いたのは俺のほうなんだし、気にするなって」
すっかりしょげてしまったジェレミを慰めながら、慧人は「噂っていうのは誰かが流さないと噂にはならないよな」と考えた。
(流すとしたら……父親あたりか)
一度しか声をかけてこなかったひげ面の男性を思い出した。「ケイト」が国王の子なら男性にとっては継子ということになる。幼い王子を自ら引き受けたのか押しつけられたのかはわからないが、城から出されるような王子は丹下公にとってお荷物だったはずだ。
(だから噂を流した……って、そんなことしてもなんの得にもならないか)
得にならないことをやるだろうか……そこまで考えた慧人の脳裏に、初日にルイスが口にした言葉が蘇った。おそらくあのときルイスは「おまえは都合がいいお飾りだ」と言いたかったのだろう。
ジェレミも知っているくらいだから、大勢が「ケイト」が国王の子どもだと知っているに違いない。その子が従順で無口なら、誰もが“お飾り”にするには最適だと考えそうな気がする。丹下公にとってはいい取引の材料になるだろうし、国王の子という肩書きは商品価値としては大きいはずだ。お飾りとはいえ伴侶として引き受ければ、それなりの恩を丹下公や国王に売ることができるような気もする。
(捨てられた王子にそこまでの価値があるかわからないけど……もしそうだとしたら、本当にドラマや映画みたいだな)
慧人の口から小さなため息が漏れた。その様子にショックを受けていると思ったのか、ジェレミが「お兄様」と心配そうな表情を浮かべる。
「俺は気にしてないからジェレミも気にするなよ。それに城から出されたのにはそれなりの理由があったんだろうし」
慧人の言葉にジェレミがハッとしたような表情を浮かべた。「どうした?」と慧人が尋ねると、ためらうように碧眼を逸らしながら口を真一文字に結ぶ。それでも黙っているのはよくないと判断したのか、視線を逸らしたまま「理由はたぶん……」と口を開いた。
「陛下には十二人の王子王女がいらっしゃるので、これ以上子どもは必要ないということじゃないかと……そういう話を聞いたことがあります。それにお母上は身分が低いのに欲深いとか、性格が少々きついという話も……それと、顔立ちが陛下の好みじゃなかったという噂も……」
モゴモゴと話していたジェレミが慧人の右手をガシッと掴んだ。そうして「僕は平凡な顔立ちでもいいと思うんです!」と口にする。
「お兄様は内面がとても素敵です! 外見ばかりに目を向ける周りの人たちの噂話なんて気にしないでください!」
「お、おう」
「僕はお兄様のこと、大好きですから! きっとルイス兄様も好きになると思います!」
最後の言葉はないなと思いながら「ありがとう」と笑いかけた。すると感極まったように目元を赤くしたジェレミが「お兄様……!」と言いながら抱きついてくる。それを受け止めながら「なるほどなぁ」と苦笑にも似た笑みを浮かべた。
(顔立ちが好みじゃなかったって……)
たった一日、それも食事のときにしか顔を合わせなかった母親らしき女性を思い浮かべた。強欲かどうかはわからないが服装はたしかに派手だった。それが似合う美魔女という雰囲気だったが顔立ちまではよくわからない。
(……ま、女性は化粧で変わるっていうしな)
もしそうだとしたら、すっぴんを見た王様は驚いたかもしれない。もしくは単純に好みじゃなかっただけか。
(前者なら「ケイト」が平凡な顔なのも納得できる)
平凡なただの嫌われ者かと思っていたが、どうもそう簡単な話ではないらしい。異世界転移ガチャでハズレを引いたにしては面倒くさい要素がてんこ盛りだ。「ケイト」の身の上を思い浮かべた慧人は、なおもぎゅうぎゅうと抱きつくジェレミの背中をポンポンと優しく撫でながら「なんだかなぁ」と書庫の薄暗い天井を仰ぎ見た。