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第19話 ファントスという男

 慧人の頭に本で読んだ身分制度が浮かんだ。第五爵出身ということは、ファントスは貴族ということだ。だが、実際はこうして使用人として働いている。どういうことだと思いながらファントスを見る。


「あー……と、ファントスは貴族のご子息様ってことですか?」

「以前はファントス・梓苑礼野しおんれいやと名乗っていました」


「今はただのファントスですが」と続く言葉が慧人の耳からすべり落ちる。

 まさかの内容に眉をひそめた。どうして突然そんな話を始めたのだろうか。ルイスと友人だと告白したことも含め理由がわからず、慧人の中に戸惑いと警戒心がわき上がる。


「今は貴族じゃなくなったってことですか」

「祖父がちょっとしくじりましてね。それで貴族の地位を剥奪されてしまいまして。その頃、ちょうど王都で勉学に励んでいたわたしは学友だったルイス様に拾われ、こうして従者を務めることになったというわけです」


 とんでもない告白の最中だというのにファントスの表情は飄々としたままだ。それともこの国で貴族でなくなることは大したことじゃないのだろうか。


(いやいや、そんなわけないだろ)


 会社をクビになるより大事件のはずだ。そんな重大なことを、なぜこのタイミングで自分に明かすのだろう。


(まさか俺を試そうとしてるとか……?)


 この国については本で読んだことしかわからない。読んだ内容も最新情報なのか怪しいところだ。そんな自分の言動は、勘がいいファントスからすればおかしなところが多々あったことだろう。だからデリケートな内容を聞かせ、どう反応するか見極めようとしている……そう考えると、突然こんな話を始めたのもファントスが冷静なのも頷ける。


(でも、それってバリバリ疑ってるってことだろ? それなのにルイスに話しかけろとか何考えてんだ?)


 タチが悪いにも程がある。ファントスへの警戒心が段々と強くなる。背中をツーッと緊張の汗が流れ落ちた。


「わたしは貴族落ちしましたが、ケイト様のお父上は一気に貴族位を上げられましたね」

「は?」


 今度は何の話だろうか。わずかに眉をひそめた慧人を気にすることなくファントスが言葉を続ける。


「やはりご存知ありませんでしたか。丹下公は、元はわたしの生家と同じ第五爵だったんですよ。ところがあなたを引き取ったことで第二爵にまで出世した。当時は城から追い出された王子を引き取るなんてと誰もが噂していましたが、その後こうして出世したのですから陛下も望んでケイト様を手放したわけではなかったということでしょう」


 なるほど、継子だから冷たく接しているのかと思ったが、裏ではちゃっかり「ケイト」を出世の道具として使っていたということだ。最後まで「ケイト」と見ようとしなかったひげ面の男性を思い出し、嫌な気持ちが広がる。


「……とまぁ、あなたはそういう身の上の方なので、丹下公を含め噂には事欠きません。ですが噂はしょせん噂、見聞きした人物像とまるで違うという話はルイス様より伺っています。あの話しぶりからすると、ルイス様はあなたのことを以前ほどは疑っていないと思いますよ?」


 言い方に引っかかるものを感じた。さっきから疑っていないと言ってはいるものの、自分がどう思っているかは口にしない。やはり油断ならない相手だと思いつつ「はぁ」とだけ答える。


「さて、ご自身の身の上を聞いてどう思われましたか?」

「どうもこうも……」

「では、丹下公のことは?」

「……なかなかの野心家みたいですね」

「予想どおりの反応でなによりです」

「どういう意味ですか?」

「ルイス様と友人だという告白、わたしの貴族落ちの話、それにお父上への反応を見て確信しました」


 飄々とした表情ながら、こげ茶の眼差しが鋭くなった気がした。知らず知らずのうちに慧人の両手に力が入る。


「ケイト様ならルイス様の隣にふさわしい、そう思いました」

「……俺のこと、疑ってますよね?」

「わたしは従者ですから、主人の周囲にいる人物を一通り疑うのが仕事です。ですが、ケイト様に対しては疑惑よりも期待のほうが上回っています。功罪でいうなら功のほうが大きいということです」

「……意味がわかりません」


 疑っているのに期待しているというのは明らかに矛盾している。それを堂々と口にするファントスの真意がわからず探るような視線を向けたものの、表情からは何も読み取ることができなかった。訝しがる慧人に気づいたのか、こげ茶の目が少しだけ和らぐ。


「ルイス様にとって精霊に関することは大きな頭痛の種です。できればケイト様にはその種を少しばかり潰していただきたいのです」

「俺に?」

「ケイト様は精霊の本を見つけることができました。ルイス様にしか見つけられなかった本をです。発見できた理由はわかりませんが、それだけでも期待するに値すると思っています」


 ファントスが再び歩き出した。少し間を空けて慧人も後に続く。


「それにルイス様には似たような力を持つ人が必要だと常々思っていたのです。そういった意味でもちょうどよいかと思いまして」


「ちょうどいい」という表現に慧人がほんの少し顔をしかめた。たしかにファントスは主人思いでよく気がつく優秀な執事かもしれないが、そうでない一面のほうが印象強くなっていく。


「ルイス様とはよい学友関係だったと思っています。だからこそ貴族落ちの身でもこうして仕え続けています。わたしの人生はルイス様と共にあるといっても過言ではありません」

「……どうして俺にそんな話を?」

「さぁ、どうしてでしょうね」


 チラッと振り返ったファントスの口元がわずかに笑っているように見えた。


「学友ってことは、ファントスも二十九歳なんですか?」

「三十二ですが、それが何か?」

「いえ、ちょっと気になっただけで、別に深い意味はありません」

「そうですか」


 書庫に到着すると、いつもどおりドアを開けたファントスが「先ほどのようなところにも期待しているのですよ」と口にした。


「え?」

「わたしの物言いに不満そうな表情をしながら、なぜか年齢を尋ねてくる。ケイト様のそういう反応にも希望を見出したんです」

「勝手に見出さないでくれませんかね」

「そうした言動も頼もしいと思っています」


 にこりと微笑みを返され、眉間に皺が寄った。そんな慧人の表情を見てもファントスの表情は変わらない。


「ケイト様は二十三歳になられたと聞いていましたが、こうして話をしているとわたしと年が近いように感じるのはなぜでしょうね」


 一瞬ギクッとしたものの、素知らぬ顔でファントスの前を通り過ぎた。


「気のせいじゃないですか?」

「別に老けていると言ったわけではありませんので、気を悪くされませんように」

「ピチピチの二十三歳なんで気を悪くしたりしませんよ」


 嫌味を込めた返事にファントスが「フッ」と小さく笑った。


「身分不相応な言葉遣いや反応、年齢と見合わない物言い、そうしたケイト様の姿にルイス様は惹かれているのかもしれません。では、夕食前に向かえに来ますので」


 そう言ってファントスが頭を下げた。そうして廊下を去って行く後ろ姿を見送りながら「はぁ」と息を吐き出す。いつの間にか力が入っていた肩を何度か動かし、書庫の扉を閉めた。


(ああいうのを食えない奴っていうんだろうな)


 それともルイスのためにあえてそう演じているのだろうか。


(それにしても毎回いっぺんに情報を与えてくるの、どうにかしてくれないもんかな)


 ファントスのおかげでいろんなことがわかった。そのことには感謝するが、おかげで考えなくてはいけないことも増えてしまった。「ケイト」のこと、それに精霊の本のことで手一杯だというのに、ルイスやファントスのことにまで気を回す余裕は正直ない。それでもファントスの言葉が引っかかって仕方がないのは、「ルイス様は惹かれている」なんて言われたからだ。


(それって融和ムードに変わってきてるってことだよな)


 もちろん疑われたままより、そのほうが慧人にとってもありがたい。


(でも、惹かれてるって表現がなぁ)


 不意にルイスの顔が近づいたときのことを思い出した。頬に触れた吐息を思い出し、「ひぇ」とおかしな声が漏れる。同時に背中がゾクッと震え、うなじが粟立った。


(あんな言い方しやがって、ルイスが結婚相手だって再認識しちゃっただろ)


 いや、友情でも「惹かれている」と表現しなくもない。男が男に惚れるという言葉もある。わざわざ慧人がそんなことを考えたのは、妙に速くなった鼓動をどうにかしたかったからだ。

 目的の棚に到着した慧人は、精霊が書いた本を手にすると「ふぅ」と息を吐いた。そうして午前中も見ていたページを開き、やけにうるさい鼓動を気にしつつパラパラとページをめくる。そのうち鼓動のこともファントスに言われたことも頭から消え、気がつけば夢中で楽譜や記号を見つめていた。

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