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第28話 玉条という血筋

「……あの、ルイスの……その、お母さんって……」


 尋ねるのは控えるべきだ。そう思い一瞬口ごもったものの、問いかけずにはいられなかった。


(ルイスのお母さんって玉条の人なんだよな)


 しかも前の占術師とは双子だったとジェレミが話していた。もしかしてとんでもない訳ありの人だったのだろうか。尋ねた手前じっと待ってはいるものの、本当に聞いてもよかったのかと気まずい気持ちになる。


「ジェレミが話していたとおり、わたしの母は玉条の人間だ。そして優れた感知能力を持っていたと言われている」


 ルイスの右手がページにそっと触れる。


「精霊は物理的に干渉してくることが多い。この本のように何かを記すこともあるが、ほとんどは物を動かして干渉すると言われている」

「物を動かす……?」

「あぁ。家具や食器、外なら枝や石が勝手に動くことがあるが、そうした不可解な現象は昔から精霊の干渉だとされてきた。精霊を感知できる人が少ないため本当のところはわからないが、母上から精霊の行いだと聞いたことがある」


 慧人の脳裏に「ポルターガイスト」という言葉が浮かんだ。本を見るより先にそんな目に遭っていたら幽霊が出たのかと驚いたかもしれない。


「一方で人智の及ばない天候を操っているとも言われている。エレメターナ王国は占術師の力を使ってそうした精霊と交渉し、精霊の恵みによって天候を安定させ実り豊かな国になった。実際、精霊がもっとも多く棲んでいる王都は国でもっとも栄え、王都から離れるにつれてその恩恵は少しずつ薄れていく」

「それ、本で読みました。そういえば地図に書いてあった第一爵とか第二爵って、首都……王都に近いところに書いてあったような」

「王都に近ければ近いほど土地は豊かで恵みも多い。そしてもっとも外側にある第五爵の領地がもっとも恵みが薄くなる。だから第四爵や第五爵の家は中央に近い領地を得ようと画策する。最近のいい例が丹下公だ」


 碧眼がチラッとこちらを見た。「ファントスから聞いています」と答えると、やや驚いたような顔をしながら「そうか」とだけ返ってくる。


「実際、精霊は天候だけでなく土地や植物など多くのものに影響を与えている。そうしたことは恩恵としてありがたいと思うが、人への過度な干渉は命に関わるため用心するに越したことはない。そういう意味では声が聞こえる占術師も干渉されているといえるかもしれない」


 慧人の耳にチリンという音が聞こえてきた。もしかしてこれも干渉の一種なのだろうか。


「わたしの母は、そうした干渉を受けやすい体質だったそうだ。つねに精霊の気配を感知し身も心も疲れ果てていた。だが、玉条の家にいる限り精霊から逃れることは難しい。だから父上に嫁ぐことを決めたのだ」

「それはどういう……?」

香山かぐやまは精霊の干渉を受けにくい場所だ。まぁ、はっきりそうわかったのは私が生まれる少し前らしいが、そうした場所は王国内でも香山かぐやましかない。王都に次ぐ豊かな土地だというのに、その中に精霊を寄せ付けない場所があるというのはおかしな話だがな」


 慧人はなるほどと納得した。そういう場所だからルイスはジェレミや両親を住まわせることにしたのだろう。


「昔はリンデンの木ももっと少なかったそうだ。それを増やすように言ったのが母上で、嫁いできた翌年には別邸が建ち移り住んだと聞いている。実際、今の別邸ではほとんど精霊を感知することはない」

「その香山かぐやまというのは、執務室に向かう廊下から見える小高い山のことですか?」

「あぁ」


 窓から見た香山かぐやまは、遠目ではあるものの新緑のようなまぶしい緑色に覆われていた。おそらくあれがリンデンという木に違いない。


「だが、能力の高かった母上は香山かぐやまにいても精霊の干渉を完全に避けることはできなかった。次第に体が弱り亡くなってしまった。わたしが四歳のときだ」


 当時を思い出しているのか、ルイスの視線が宙を向く。しばらくそうしていた碧眼がゆっくりと慧人を見た。


「精霊はありがたい存在ではあるものの、反面恐ろしい存在でもある。だからおまえが精霊の書いた本に不用意に触れることが心配だった」

「もしかして、ジェレミも精霊の何かに触れたんですか?」

「おそらくな。助けたとき、ジェレミの腕や足、腰に精霊が触れた気配があった。あんなふうに精霊が人に直接触れた痕跡を感じたのはあの一度きりだ。精霊がジェレミを故意に池に突き落としたという証拠に違いない」

「それで俺が本に触れたのを気にしたんですか」

「本に触れるだけでも何か起きる可能性があるからな」

「だからって、また俺を本から遠ざけようなんてことしないでくださいね」

「わかっている。それにわたしには楽譜を読むことができない。楽譜とやらが鍵になっているなら手伝ってもらうしかない。ただ、十分注意してほしい。玉条の人間でもないおまえが精霊の本を見つけられるのは本来おかしな話だ。もしかすると過剰に精霊が干渉しようとしている証かもしれない」


 チリンと鈴の音がした。それがルイスの言葉を肯定しているのか別の意味を持つのかはわからない。ただ、慧人には悪意を持つ音のようには聞こえなかった。


「それに精霊を感知しすぎるのは本来よくないことだ。わたしの母もだが、占術師であっても命を縮めることになる」

「え?」

「占術師は自分の命と引き替えに精霊の言葉を我らに伝えている。これまで何人もの占術師が国を支えるため精霊の言葉を聞いてきたが、全員短命に終わっている」


 ルイスの言葉にギョッとした。肯定するようなチリンという鈴の音に「マジか」と頬が引きつる。しかしすぐにハッとしてルイスを見た。


「それって、ルイスの寿命も短くなるってことじゃ……」

「わたしには母上ほど強く感知する能力はない。せいぜい精霊に接触した場所の匂いがわかる程度だ。この程度で命が縮むことはない」

「そ、そうですか」


 ホッとしたものの、では精霊が鳴らす鈴の音が聞こえる自分はどうなのだろうか。しかも意思疎通みたいなことまでできるようになってきた。小さくチリンチリンとなる音からは、まるで「安心して」と囁くような気配を感じる。


(どっちにしても今さら放り出すことはできない。それに精霊が何を言いたいのかも知りたい)


 それがわかれば、なぜ自分が精霊の本を見つけることができたのか、どうして鈴の音が聞こえるのかもわかるような気がした。


「わかりました。精霊のことは十分気をつけるようにします。気をつけつつ、何を訴えようとしているのか調べましょう」

「そうだな」

「……どうかしましたか?」


 視線を感じ、まだ何かあるのかと端正な顔を見る。


「いや、精霊のことで誰かとこうして話をするのは久しぶりだなと思っただけだ」

「あー……本当は秘密なんですよね」

「何が起きているのかわからない以上、内密にしておきたいとは思っている。だが、話したところで積極的に精霊に関わろうとする者はいないだろう。精霊のことは玉条や占術師に任せておけばいいというのが大方の考え方だからな。だが、おまえは違う」

「変わった奴ですみませんね」

「別に悪い意味で言ったわけじゃない」

「わかってますって。それにジェレミたちのことも、精霊に近づいて危ない目に遭ってほしくないから距離を置こうとしてるんですよね? でも、そういうことはちゃんと言ったほうがいいですよ。ま、ジェレミも十分わかってるみたいですけど」


 ルイスがふいっと視線を逸らした。どういう意味かわかって照れているのか、目元が赤くなっている。「やっぱりいい奴なんだな」と思いながら改めてページを見た。

わざわざ精霊がヒントを書き加えたということは、どうしてもこの楽譜を解読させたいということに違いない。問題はCの「ツェー」とAの「アー」以外のドイツ語読みが思い出せないということだ。


「前回のことを考えると、まずは読めないと意味がないんだろうし……」


 ブツブツとつぶやきながら小学生のときの記憶を思い返す。「うーん」と考えながら視線を上げたところで、ルイスが自分を見ていることに気がついた。


「何か?」

「今日は顔を近づけないんだな」

「あぁ、はい。大丈夫ですよ、昨日みたいなことはもうしないように気をつけますから」

「……別に嫌だとは……」

「はい?」

「いや、なんでもない」


 視線を本に戻したルイスを見ながら、久しぶりに目頭あたりを指で撫でた。眼鏡を押し上げる癖はとっくに消えている。猫背じゃない「ケイト」の体のおかげか、ひどい肩こりもなくなった。こうやって少しずつ「ケイト」であることに慣れていき、いずれは「佐々野慧人」だったことも薄れてしまうのだろう。


(……それも案外悪くないかもしれないな)


 ふとそんなことを思った。自分が自分でなくなる恐怖が消えたわけではないが、おそらく自分はもう向こうの世界に戻ることはできない。確証があるわけではないものの、なんとなくそんな気がしていた。それならさっさと「ケイト」になってこちらの世界に溶け込んでしまったほうがいい。


(ここでの生活も案外悪くないしな)


 食事は文句なく美味しいし、住んでいるのは豪華なお屋敷で掃除洗濯はすべてメイドたちがやってくれる。なんの不安や不満もなく悠々自適な生活を送ることができるなんて万々歳じゃないか。


(それにルイスともうまくやっていけそうだし)


 この世界での未来は向こうにいたときよりも断然明るい。それでも慧人の胸にチクリと痛みが走るのは、向こうの世界にまだ未練があるからだろうか。

 不安にも似た気持ちを振り払うように書き加えられた音符とアルファベットを見た。今は目の前のことに集中すべきだと改めて気合いを入れ直す。


(「シミ」はドイツ語表記だと「HE」か……)


 アルファベットをじっと見ているうちに「HE」という並びが気になってきた。ローマ字読みだと「へ」になるが、それでは意味がわからない。ほかにも何かあっただろうかと考えているうちに、ふと元素記号が浮かんだ。「he」はヘリウムで、そういえば「He」は「彼」という意味の英単語でもある。


 チリン。


 鈴の音がした。今考えた中に正解があるということだ。「ヘリウム」、「彼」と思い浮かべるが鈴は鳴らない。元素記号でも鳴らず、英単語と思い浮かべたところでチリンと鳴った。「じゃあ“彼”って意味なのか?」と心の中で尋ねたものの鈴は鳴らない。


(「he」の意味はともかく、英語で考えろって言いたいのか)


 なぜ英語なのか、なんて考えたところで理由はないのだろう。英語への苦手意識を違う意味で読み取ったのか、「Hello」を解読できたからまた使ったのか、おそらくそんなところに違いない。


(もっとわかりやすく書いてくれればいいのに)


 ため息をつきながらリピート記号を見た。「英語」がヒントということは、リピートも英語で考えろということなのだろう。だが、そもそも「リピート」は英語だ。どういうことだと目を閉じて考えていると、「おい、見ろ」というルイスの声が聞こえた。


「これって……」


 慌てて見たページの上で、リピートの記号が背伸びをするようにグーンと伸びていた。そのまま上側がお辞儀をするように下を向き、下側とくっついて円のような形になる。そうかと思えば今度はグルグルと回り始めた。棒線が二本、止まることなくグルグル回り続ける様子に、慧人は「何なんだ」と眉間に皺を寄せた。


(リピートじゃなく円、ええと、サークルってことか?)


 鈴の音はしない。「じゃあ回転……ローテーション?」とつぶやくが、やはり音は聞こえなかった。「それじゃあ何なんだよ」と若干苛々し始めた慧人の頭に、ふと「ループ」という言葉が浮かんだ。


 チリン!


 大きな鈴の音がした。「シ」の音符の上に「H」の文字が重なり、「ミ」の上には「E」の文字が移動する。その右隣でリピートだったものがグルグル回っている。


「……まさか」


 いくらなんでもそれはないだろうと笑いそうになった。だが、「H」、「E」、「ループ」をくっつけると、ある単語が思い浮ぶ。


「まさか、“ヘルプ”ってことはないよな……?」


 慧人がそうつぶやくと、チリンチリン! と大きな鈴の音がした。まるで抽選会場で一等の景品が当たったときのような景気のいい音に、慧人は思わず「わかりづらいにも程があるだろ」とぼやいてしまった。

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