その夜。
俺と、イノリと、須々木先輩の三人は、寮のとある部屋に集まっていた。
ここは四階の角部屋で、非常階段のすぐ近くにある。『401号室』とルームプレートがかけられた、普通の二人部屋だ。
『今晩、飯食うたら401号室に来てくれへん? 非常階段使って、誰にも見つからんようにな』
昼休みに須々木先輩はこう言った。それで、飯をぱっぱと食って忍者みてえにこの部屋にやってきたんだけど。
「須々木先輩、この部屋って?」
「ここはなあ、ぼくの部屋。つっても、もう住んではないからセカンドルームみたいなもんやけど」
セカンドルームとな!
剛毅な言葉に、イノリと顔を見合わせる。
先輩は、ペットボトルの烏龍茶を三つのコップに注いで、電子レンジでチンしたのを、俺たちの前に置いてくれる。
「あ、すんません」
「いえいえ、熱いから気ぃつけて――でもってな、ぼくのスポットでもあるんよ、ここ。やから、ふざけてドア開けてくる奴もおらへんの」
「えー! いいっすね」
寮の部屋って、鍵ついてないからさ。
なんか、完全に密室になっちゃうと風紀に良くないって理由らしいよ。謎だよな?
で、先輩の言う通り、通りすがりにドアをバンバン開けてくやつとかもいて。佐賀先輩は、それで夜中に起こされたとかで、ちょいちょいキレていた。
「ふふ、そうやろ。やからな、ここやったら誰にも邪魔されへんと、いろいろ出来ると思うわけ。例えばあいびきとかー、魔力起こしたりとか」
「えっ」
先輩の言葉に、ハッとした。
イノリも、烏龍茶のコップから目を上げて「それって……」と呟いた。
「桜沢と吉村くんさ、この部屋使ったらええんちゃう? 飯食ってから、ここで魔力起こしてさ。そしたらもう寝るだけやし、授業にも響かんやろ?」
「えっ! そんな、いいんすか!?」
須々木先輩は、にこにこと笑っている。
俺は、思わずイノリの手を握った。すぐにギュッと握り返してイノリは、少し困惑げに尋ねる。
「それは、マジで――すげぇありがたいっすけどぉ。なんで、そこまでしてくれるんすか?」
「いややなあ、別になんも企んでへんわ。ただ、先輩の甲斐性で、カワイイ後輩の面倒みたろう言うんやんけ」
まだ納得してない様子のイノリに、先輩はちょっと苦笑する。
「まあ、そうやなあ。ぼくの個人的な事情で、お前らにはうまくいってて欲しいねん。そのほうが、ぼくの気が楽ってだけ」
「須々木先輩……」
俺は、はちゃめちゃに感激した。
須々木先輩は、思い返せばずっと俺たちの心配してくれてて……ありがたくて、胸がジンとなる。
イノリと目を合わせると、ちょっと困ったみたいに眉を下げて、頷いてくれた。
「じゃあ、先輩。――ありがとうございます。甘えさせてもらいます」
「須々木先輩、ありがとうございます!」
「ふふ、ええのよ」
二人そろって頭を下げると、先輩は笑って手をひらひら振った。
「この部屋、いつ使ってくれてええから。ただ、誰にも見つからんようにだけ、出入りするよう気をつけてや」
「はい! 気をつけます」
「ええお返事。ほな、今日はこれで解散しとこか! 吉村くん、昨日の今日で魔力起こさへんやろし。説明だけしたかっただけやから」
「あっ、ありがとうございます!」
ポン! と手を打って先輩が立ち上がる。そのまま、颯爽とコップを集めて、ガチャガチャと流しに置いていく。
慌てて「俺、洗います」と申しでたら、もっと溜めてからまとめて洗うとのことだった。ダイナミックだ。
見つからないように、ばらばらに部屋を出ることになって。
俺が、最初に出ることになった。
「ほな吉村くん、気ぃつけて」
「お疲れ様です! 本当に助かりました。いろいろ気遣ってもらっちまって……須々木先輩、イノリ、俺のためにありがとうございます」
「あら、ええんよー」
深く頭を下げる。
俺の個人的な事情のために、二人ともいっぱい心を砕いてくれて。なんてお礼を言ったらいいか……。
すると、イノリに俺の腕を引かれる。ぽす、と胸に額がぶつかった。
「わっ」
「おやすみ、トキちゃん。ふふ、すっげぇ久しぶりに言った」
「――あ、ほんとだ」
イノリの言葉に、俺は目を丸くした。夜に会えなかったから、おやすみは使わなかったんだな。
嬉しそうなイノリに、俺もなんか嬉しくなる。
へらへらしていると、呆れたような声が聞こえてきた。
「お前ら、ぼくもおるって忘れてへん?」
「あ! すんません!」
慌てて離れると、イノリは不満そうに口を尖らせた。先輩は、呆れ顔で肩を竦める。
「まあ、明日からぼくは来ぃひんし。気兼ねせんとやって」
「いや、そんな!」
「でもな、ここはぼくのスポットやからー。ぼくの姿がなくとも、この目は届いてると思っといてや……桜沢」
「はい?」
ちょいちょいと指先で招かれて、ふらっとイノリが身を屈める。須々木先輩が、こそこそっと何か囁いて――俺には聞こえなかったけど。
「――――!?」
聞いて、イノリは顔面を真っ赤にして飛びのいた。手で口元を覆いながら、わなわなと震えている。
えっ、何その反応?!
「まあ、そういうことやから気をつけて」
「え、ちょ、何が?」
わけがわかんなくて首を傾げていると、イノリがバッと俺と先輩の間に割り込んだ。
突然、でっかい背中が現われて驚いてると、イノリが怒鳴った。
「そんなこと、するわけねーだろ!」
真っ赤になって切れているイノリと、その背中越しに爆笑してる先輩。
俺は、「どうゆうこと……」と首を傾げつつ。怒るイノリの顔を、ちょっぴり複雑な気持ちで見上げたのだった。