ゴツン、と背中に手すりが当たった。
胸を手のひらで押さえつけられて、息が詰まる。
――いいか、最後の忠告だ。
普通に喋れよなぁ! って言ってやりたいのに、声が出ない。
あたりは、夕焼けで真っ赤だった。
俺を押さえつける奴の顔は、陰になって見えない。ただ、口元が邪悪に笑んでいる。
逃げ場はないか周囲を見回すけど、完全に囲まれてる。逃げてるうちに、追い込まれたみたいだ。
――桜沢くんから離れろ。お前は彼に相応しくない。
低い声が、ざわざわと鼓膜を震わせる。
余計なお世話だ。睨みつけると、周囲が気色ばんだのを感じた。
顔を張り飛ばされる。――コンクリに赤い血が散る。
狂ったように喚きながら、拳が振り下ろされる。
視界がぐらぐら揺れて吐きそうだ。
――ふざけるな、お前なんかが……
胸倉を掴まれて、体が手すりを越えた。
狂騒のなか、俺は宙に放り出される。
真っ赤な空に飲まれるように。
俺は落ちていった。
「のわぁ!!」
ゴン! とベッドの天井を蹴り上げた。
痛ってえ! 足を抱えて、「あああ」と転げまわる。
「あつつ……なんなんだよ、もう~」
ふうふうと息を吐きながら、俺はぼやいた。
小指をさすって、体を起こすと時計を見る。時刻は、五時五十分。なんだよ、まだアラームも鳴ってねえじゃんか。
あの、変な夢のせいだ。
なんか、めっちゃ殴られたし。突き落とされたし。コンセプトが殺伐としすぎてねえ?
昨夜、階段から落ちかけたから、変なイメージでも残ってたんかなぁ。
「だいいち、イノリに近づくなとか意味わかんねーしっ」
ボフボフ、と枕をパンチする。
まったく、なんつー縁起悪い夢見ちまったんだ。今日はせっかく、イノリとのお泊りの日なのにさ。
すると、勢いよくカーテンが開かれて、ギクッとする。
「……おい、吉村ァ」
「あ、あわわ」
佐賀先輩が、鬼みたいな形相で立っていて、俺はサーっと青ざめた。
休みの日、ベッドを蹴られて目覚めたい人はそういないはずで。佐賀先輩に、それをやっちまった俺はすっげーヤバいと思ったんだけど。
何故か、ちっとも怒られなかった。
「寝ぼけてごめんなさい」つったら、先輩はため息ついてベッドに戻っちゃって。「あれ?」って拍子抜けしてたら、これまた起こしちまったらしい西浦先輩が、
「気にしないで、行っておいで。ホント、不器用なやつだよね」
って、苦笑しながら言ったんだ。
もしかして、怒ってないってことなんだろうか。とはいえ、二人を起こしてしまって、申し訳ないことに変わりはない。
お詫びに、新発売のジュースを一本差し入れていくことにした。口に合ったらいいなー。
それから着替えて、準備していた荷物を持って、部屋を出た。
早朝だからか、廊下は静まり返ってて。人目を避けるのも楽ちんで、簡単に401号室についてしまう。
そそくさと中に入って、ドアを閉めた。
なんだか、味噌みたいな、いい匂いがする。
「イノリー、もう来てんの?」
「トキちゃん?」
ぱたぱたと軽い足音を立てて、部屋の奥からイノリが現われた。
目の前で、長い両腕がぱっと開いたと思うと、ぎゅっと正面から抱きつかれる。
「わぷっ!」
「トキちゃん、おはよー」
「お、おはよう、イノリ。早いな」
「へへ。今日、すっげえ楽しみにしてたんだぁ」
イノリは、嬉しそうにニッコリ笑う。
間近に見あげた薄茶の目が、朝の光にきらきら光ってた。
俺も、つられて笑顔になる。
「うん、俺も!」
ぎゅっと背中に手を回した。ふんわり甘い香りに包まれて、ホッと息を吐く。
学園に来てから、初めて過ごすイノリとの週末だもんな。
何はともあれ、楽しまないとだ!