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第54話 涙


「中条」


 龍堂がそっと、隼人に回した腕に力を込めた。


「お前が好きだよ」


 もう一本の腕も、回される。

 ――抱きしめられている。そのことに気づいたのは、龍堂の熱が、はっきり背中に伝わったからだ。隼人は思わず目を見開く。その拍子に落ちた雫が、龍堂の精悍な腕に落ちた。あわてて拭おうとするが、腕ごと抱きしめられているため、かなわなかった。

 息が詰まった。優しくてかたい抱擁。


「龍堂くん」


 隼人は、龍堂の名前を呼んだ。それしかできなかった。龍堂は「うん」と応えた。

 くるり、と前を向かされる。今度は逃げられなかった。

 龍堂はその手にずっと、ハヤトロクを持ったままだった。ノートの感触が、優しく腕に伝わる。それがどうしようもなく切なかった。


「龍堂くん」

「お前が好きだ」


 龍堂の真っ直ぐな目が、隼人を映していた。ぼろぼろの自分が、信じられないように、自分を見ている。

 ひぐ、と喉が鳴った。情けなくて、こんなところ、龍堂にこれ以上見られたくないのに。

 なのに嬉しくて、苦しくて。


「やっと顔を見れた」


 龍堂が、隼人の目元に触れた。涙を拭って、頬を包む。

 そうして龍堂は、隼人を正面から抱きしめた。


「やっとつかまえた……」


 その声には深い安堵が滲んでいて、隼人は胸にじんわりと、あたたかいものが流れ込むようだった。ぼろぼろだった心を包まれ、隼人はくしゃりと顔を歪め、泣き出した。


「うっ……」

「可哀想に。こんなに傷ついて……」


 龍堂の声が、直に響く。隼人のふるえも受け止める強い抱擁に、隼人は涙を、もう我慢できなかった。

 隼人は、龍堂の背に手を回す。龍堂は受け入れ、さらに強く抱きしめられた。全身全霊の勇気を受け入れられ、隼人は深い安堵に、体がなくなりそうだった。


「龍堂くん、ごめんなさい」


 隼人は、ゆっくりと話し出す。


「ずっと、小説を書いてたんだ。自分を主人公にして」

「うん」

「小説の中なら、何にでもなれて楽しかった」


 龍堂は応えて、聞いてくれた。


「……あの日、龍堂くんに助けてもらってから、友達になりたくて……それで、龍堂くんと友達のお話を書き始めたんだ」


 恥ずかしくて、ぎゅっと目をつむった。自分の一番見られたくないところをさらすのは怖かった。

 龍堂の手が、隼人の背を優しく叩いた。隼人はお腹に力を込め、言葉を続ける。


「でも俺、龍堂くんと本当に友達になりたいって思って、それで……」

「ぼくのところに来てくれたのか」


 隼人は頷いた。龍堂の大きな手が、そっと隼人の頭を包むように触れた。肩口に引き寄せられる。


「よかった」


 龍堂は一言、そう呟いた。そうしてほんの少し体を離して、隼人と目を合わせた。

 視線が重なる。龍堂の目はやさしく――どこか自嘲に揺らいでいた。


「お前が、小説を書くためにぼくに話しかけたのかと思った」

「ち、違うよ!」


 隼人は目を見開き、否定する。龍堂は、「わかってる」と頷くと、隼人の頰に触れた。そうして、目を伏せた。


「わかってたんだ、お前はそんな奴じゃないって。なのに、不安になった」


 体を重ね合わせるように、龍堂に抱きしめられる。


「ごめんな」


 隼人は龍堂からかかる重みに、じんわりと胸が痛く切なくなる。隼人はぎゅっと、龍堂を抱きしめ返し、首を振った。


「ちがう、龍堂くんは何も悪くない! 悪いのは……」

「中条は悪くない」


 龍堂の声が伝わる。耳だけでなく肌からも。心臓の音さえリンクしそうで、隼人は息を呑んだ。


「お前は何も悪くない。悪いのは、お前の心を、勝手に暴いたやつだ」

「龍堂くん……」


 涙がまたあふれる。龍堂の声が、心を満たして、治していく。


「お前は怒っていいんだ。自分を責めないで」


 隼人は頷いた。言葉にならなかった。ありがとう、とか、うれしいとか。色々言いたいことがあるのに、全部涙に飲まれてしまう。

 涙でぐちゃぐちゃの顔を、龍堂は大切そうに包んだ。至近距離で、じっと見つめ合う。


「だから」


 龍堂は、隼人の手を取ると、自分の頰に当てた。


「ぼくを打っていいんだ」


 龍堂の真摯な瞳が、隼人を射抜いた。隼人は呼吸も忘れて、ただ首を振った。龍堂の気持ちに、体中から幸福があふれていた。


「龍堂くんに、怒るわけない」


 隼人は、ぐしゃぐしゃの顔で、笑った。答えはそれしかなかった。


「恥ずかしかったけど、龍堂くんに知られて、嫌われるのが、怖かっただけなんだ」


 そうして、隼人は頰に当てられた手に、そっと力を込めた。龍堂を包むように。龍堂の目は見開かれ、そしてやわらかに細められる。


「ばかだな」


 龍堂はやさしく笑う。


「嫌うわけ無いだろ。ぼくがお前を」


 龍堂は、隼人の額に、そっと自分のそれを当てた。背中に、やさしくノートの感触が伝わる。


「好きだよ、中条。お前にならどうされてもいい」


 目を伏せ、微笑する龍堂の顔は穏やかで、慈しみと愛情に満ちあふれていた。隼人は、その表情に、また涙と、笑顔があふれてきた。


「俺も、大好き。龍堂くんのことが、全部」


 龍堂が、嬉しげに笑った。そのどこか、はにかんだ笑顔に笑い返して――隼人は意識を失った。





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