「もう二度とリッカに手を出そうとするな!」
キズクの手は緊張と怒りで震えていた。
回帰前にはカナトに逆らったことなどなかった。
人を殴りつけるようなこと自体、あまり記憶にもない。
「帰れ!」
「……ワタナベ! コイツのこと、やっちまえ!」
「カナト様、それは」
「うるさい! お前は俺の護衛だろ!」
カナトはスーツの男、ワタナベを怒鳴りつける。
正直、別の人がいるのはキズクにとって予想外であった。
確かにカナトもまだ子供だし、夜の時間に一人で来るはずないことはよく考えればそうである。
「俺を命令を聞け! コイツをぶっ飛ばして犬っころを奪うんだよ!」
カナトは乱雑に鼻血を拭うと、手についた鼻血をワタナベに飛ばす。
「クビになりたいのか! さっさとやれ!」
ワタナベは一瞬困惑したような目をキズクに向けた。
将来的な取り巻きはカナトに似たような人ばかりになるが、今はカナトの護衛だからとカナトのような人ばかりではない。
キズクに暴行を加えろ、なんて命令、普通の人なら従えるものではない。
だが護衛も雇われだ。
カナトではなくカナトの家が雇っている護衛ではあるものの、カナトの言葉が護衛の立場を左右することは間違いない。
「早く、やれ!」
カナトを説得することは無理だと察したワタナベは、少し苦い顔をしながらキズクの方を向く。
ちょっとまずいかなとキズクは思った。
護衛を任されるほどの人なら弱くはないだろう。
ど素人同然のタカマサやトシならキズクでも何とかなるかもしれないけれど、スーツを着ていても分かるようなガッチリとした体格の護衛が相手ではかなり厳しい。
「わるいな……」
子供を殴る趣味はないが、仕事のためである。
少し痛めつければきっと大人しくなるだろう。
そう思ってワタナベは拳を振り上げた。
「なっ!?」
ワタナベを倒すことは難しいだろう。
しかしだからといって、ここでワタナベにやられてリッカを連れていかれてはまた同じことの繰り返しになってしまう。
カナトにはいいようにさせない。
大人しくやられるつもりなんてないのである。
「のわっと!」
キズクはワタナベの横をすり抜けて走る。
急に走り出したものだからノアが慌ててキズクの肩にしっかりと掴まった。
キズクが目指す先にはカナトがいる。
「へっ? ……ぶへらっ!?」
いまだに地面にへたり込んで鼻を押さえているカナトの前まで行って、大きく足を振り上げる。
そしてカナトの顔面を蹴りを叩き込んだ。
全ての元凶はカナトである。
何だか一発殴ってやったら吹っ切れた気もするし、吹っ切れたら段々とカナトのことがムカついてきた。
「帰らないなら俺はお前だけを狙う!」
大切なのはカナトが負けて帰ることである。
少なくともしばらくは直接手出ししてこないようにはしたい。
ワタナベを倒すのが難しいなら、カナトを徹底的に倒すまでである。
「この!」
「キズク、後ろだ!」
ワタナベは後ろからキズクに襲いかかる。
流石にカナトの護衛として、これ以上の暴行は許せない。
「どりゃ!」
「なっ!」
けれどもまだためらいがあるのか、殴ったり腰の剣を抜くこともなくキズクを羽交締めにして止めようとした。
キズクはサッと伏せてワタナベの腕を回避すると、足を蹴って払う。
ワタナベはドスンと倒れてキズクはカナトを睨みつける。
「ヒィッ!」
情けなくカナトは引きつった表情を浮かべる。
「もういっちょ!」
「うごぉっ!」
何でこんなやつに怯えて、何でこんなやつに良いようにされていたのか。
回帰前の自分にすら苛立ちを覚えてしまう。
カナトを殴り、あるいは回帰前の自分を殴っているのかもしれない。
「ワタナベ!」
「くっ……やめろ!」
護衛対象をボコボコにされてはワタナベも黙っていられない。
もはや正当防衛だと思いながらワタナベは剣を抜いた。
「げっ……」
流石のキズクも剣はマズイと思った。
まだブラックアントアギトを持っていることをごまかせるような状況でもない。
だから剣は持ってきていない。
まだ覚醒者として活動もしていないボンボンのカナトも剣は持ってこないだろうと思っていたし、実際カナトは武器なんて持ってきていなかった。
しかしカナトの護衛であるワタナベはカナトを守るために剣を持っている。
「それを抜くか、普通!」
焦ったのか知らないが、子供相手に剣を抜くなんて馬鹿だろう。
「ク、クビになるわけにはいかないんだ!」
「覚醒者崩れか……」
護衛をやる覚醒者にも種類がある。
覚醒者の多くは覚醒者としてゲートの攻略に挑む。
リスクはあるけれど、ゲートを攻略してモンスターの素材やゲート中で採れる物を売ったりすると儲けは大きい。
命がけでもリターンがある。
一方で雇われの護衛は確実な収入を見込めるが、ゲートの攻略に比べて夢はない。
にも関わらず護衛をやるのは能力が高い人がゲート攻略に劣らないような高いお金で雇われているか、あるいはゲート攻略に向かなかった人かである。
原因は性格的なこともあれば、能力的なこともある。
カナトの護衛として雇われるなら覚醒者としての能力はそれなりにあるのだろう。
しかし今は護衛として雇われていて、後が無いような発言をしている。
焦って剣を抜いているところやキズクに対して非常になり切れないところといい、性格的に覚醒者の活動が向いていなさそうだ。