「じゃ、奥の手のために行こうか」
「むむ? どこに行くのだ?」
キズクはベッドから立ち上がると着替え始める。
上を脱いだキズクは比較的綺麗めな服を探す。
キズクが動いたことを察知したリッカは、床に転がったまま目を開けて着替えるの様子をじっと見ている。
何だかゆっくりと尻尾が揺れているなとノアは思っていた。
リッカの視線を感じながらキズクは着替えを終える。
「えーと……」
続いてはベッドの下、ガムテープで貼り付けてあったブラックアンドアギトを取り出す。
布で包んであるブラックアントアギトの黒い剣を一度確認して、もう一度布で包むと窓を開けてグレイプニルで慎重に外に降ろす。
「母さん」
キズクは部屋を出る。
リビングには母親がいた。
休みだからパジャマのまま着替えもせず、寝起きのままの少しボサボサとした髪をしている。
家族にしか見せないちょっとだらしない姿。
回帰前のこの時期だったら恥ずかしく思っていたこともあったけれど、今はこうした姿を見れることも嬉しい。
「どうしたの?」
飲みかけていたコーヒーのカップをおろして、レイカは微笑みを浮かべる。
急にノアという存在が増えてもレイカは受け入れてくれた。
たくましくて、優しい母親。
家賃の値上げについても状況が良くないのにキズクの前では苦しい顔を見せない。
回帰前は結構キズクたちの生活は苦しかった。
リッカはカナトのところに行ったのでそれ以上手を出してくることはなかったけれど、口にしていたような支援もなかったのだ。
半ば道楽のように運営されているボロアパートは本当に家賃が安く設定されていて、結局値上げに応じるしかなかった。
リッカが抜けた分が値上げの穴埋めとなったが、キズクの心には大きな穴が空いた気分だった。
「ちょっと出かけてくるよ」
「お友達?」
「うん」
「お昼は? 帰ってくる?」
「多分帰ってくると思うけど」
「なら用意しておくわね」
今度はカナトの良いようにはさせない。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
キズクはレイカに笑顔を向けて家を出た。
「それでどうする?」
「俺たちを助けてくれるかもしれない人のところにいくんだ」
「助けてくれる……かもしれない?」
「ああ。可能性があるって話だよ」
キズクはちょっと悩ましげな表情を浮かべる。
手はある、と言い切ったものの確実な手ではない。
回帰前にはなかった出来事なのだから、よほどのことがない限り確実だとは言えない。
そしてキズクが考えている手とは手助けを得られればしばらく安泰だろうけど、失敗する可能性も大いにあるものであった。
「祖父に会いに行くんだ」
「祖父? 君を追い出した家のか?」
ノアは険しい目をする。
自分を追い出した家の祖父に会ってどうするのだと思った。
「そんな怖い顔するなよ。おじいちゃんも悪い人じゃない。俺を追い出したわけじゃないからな」
キズクを追い出した王親家の祖父は存命で、現当主である。
しかし現在の実質的な当主はキズクの父であり、キズクたちを追い出したのはカナトの母親にたぶらかされた父親の方だ。
「それに会おうと思ってるのはそっちの祖父じゃない。会おうと思ってもほとんど家にはいなくて無理だろうしな」
「ということは……」
「母さんの方の祖父に会いに行くんだ」
キズクが会いに行こうと思っていたのは母方の祖父であった。
「おおっ! 確かにそれなら助けてくれるやもしれないな!」
キズクを追い出した王親家は信用できないが、母方の家ならば希望があるかもしれない。
ノアの顔がパッと明るくなる。
「そう簡単に行くは分からないけどな……」
「むっ? なんだ?」
「いや、なんでもない」
キズクの小さな呟きはノアには聞こえていなかった。
笑顔を浮かべつつキズクは歩いていく。
「どうやっていくのだ? 歩いていけるところにあるのか?」
「んーん、歩いては厳しいかな」
「こやつに乗っていくのか?」
こやつとはリッカのことである。
回帰した最初の時に泉ギルドに行くためにリッカに乗って移動した。
あれ以来乗っていないが多少の距離ならリッカに乗っていけば速い。
「何回か行ってる知ってる場所ならそれもありかもだけど……今回は一回も行ったことないところだからな」
「ふーむ、住所は分かっているのか?」
「もちろん、だから今回はタクシーで行くつもりだ」
「ふおー、なるほどな」
普段から働いて貯めたお金がある。
こういう時こそ使うべきだ。
「まずは魔獣オッケータクシー呼ばなきゃな」
これから先魔獣は必須の存在になっていく。
しかし悲しいかな、今現在は魔獣はまだまだ一般的存在とは言い難い。
公共交通機関において都心部の鉄道会社は魔獣も追加料金を払えば一緒に乗れるなんてルールを作ってくれたが、バスは魔獣と一緒に乗れない。
ノアサイズなら隠して乗れそうな気はするけれど、リッカは無理である。
鉄道やバス以外にもキズクが利用できる移動手段がある。
それはタクシーだ。
ただしタクシーも魔獣が乗れるものは多くない。
魔獣が乗れるタクシーもあるという話である。