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お引っ越し2

「人を呼びつけるならまともな運転手ぐらい用意しなさいよ……」


「これでも無事故無違反ですよ?」


「無事故はともかく、無違反はバレていないだけでしょ」


 家の中に入って向かう先は、昨日訪れた道場とは違う部屋のようである。


「レイカ様をお連れしました」


 案内されたのは畳敷の大広間。

 奥のところが一段高くなっていて、そこにムサシが座っている。


 低いところの左右には十数人が直立不動で立っていた。

 あまり歓迎されているというような雰囲気でもない。


「……お久しぶりです、父さん」


「久しぶりだな、レイカ。息災そうでなによりだ」


 どちらも無表情で言葉を交わす。

 これが本当に親子の再会かと疑いたくなってしまう。


「これは一体どういうことかしら?」


「孫の頼みでな」


「孫……キズクのことでいいのかしら?」


「その通りだ」


 レイカはキズクを見る。

 明らかに怒った目をしていて、キズクは気まずそうに体を小さくする。


「キズクは直接俺のところに頼んだ。三年間でいいから自分たちを守ってほしいとな。さらにキズクは自分の力を証明してみせた。だから約束を果たすのだ」


「……キズク!」


「……母さん」


「…………キズク?」


 全部バラされてしまった。

 もはや言い訳なんてもの通じないだろう。


 ならば、正面から思いを伝えよう。

 オドオドとしていたキズクが覚悟を決めたようにレイカの目を見つめる。


 急に雰囲気が変わってレイカも少し勢いを削がれる。


「俺はまだ子供だけど……何も知らないガキじゃないんだ。母さんがいて、リッカがいて、ノアもいて……それで幸せだけど、色々と大変なことは分かってるんだ」


 家計が厳しいことも分かっている。

 だからこっそりと働いていた。


「母さん、俺たちいつまともに会話した?」


「それは……」


 女手一つで子供を育てるために、レイカが頑張ってくれていることもキズクは理解している。

 だが一方でキズクは寂しさも感じていた。


 遅くまで働く母親はいつも疲れていた。

 キズクもそれを察してか、レイカを気遣ってゆっくりとさせてあげようと声をかけることを我慢するような時もあったのである。


 子供から大人への成長の途中であり、ある種の反抗期もあったのかもしれない。

 リッカという存在がいて支えていてくれたからそれなりに耐えていたのかもしれない。


 それでもどこかに寂しさというものはあったのだ。


「先日、カナトのやつが俺のところに来たんだ。リッカを寄越せと、そんなことを言ってた」


「えっ? どうしてそんなこと……言わなかったのよ?」


「ふざけるなって追い返したから。でもその直後に……家賃の値上げなんて話出てきたよね?」


「まさか……」


 どうして急に家賃の値上げ話なんて出てきたのか不思議だった。

 しかしレイカにもようやくその理由がわかった。


「今だってギリギリなんだ。家賃が値上げされたら母さん、倒れちゃうよ」


「キズク、私は大丈夫……」


「大丈夫じゃないよ。言っただろ、俺はガキじゃないって。何も知らないわけじゃないって」


 今すぐではなくとも、結果的にレイカは体を壊すことになる。

 リッカがカナトのところに行くことを拒み、多少分からせてやった今はより強い手を打ってくる可能性がある。


 そうなると遅かれ早かれレイカはまた同じ運命を辿ることになってしまう。


「まだ子供だから……俺にできることは少ない。でも俺にも頭を下げることぐらいはできる。助けてくれる人がいるなら頭だって下げてみせる。たとえ母さんが嫌でも、たとえ母さんが怒っても……俺は母さんを守りたい」


「キズク……」


 思いを打ち明けていると胸の中から込み上げてくるものがあって、思わず泣いてしまいそうにもなる。

 涙を堪えて少し赤くなったキズクの目はただ真っ直ぐにレイカを見つめていた。


「三年……俺が働けるようになったら頑張るからさ。そしたらまた元のように暮らしていこう」


 三年経てば働いてもおかしくない年齢になる。

 三年間で力を蓄えて、キズクも稼げるようになればレイカの負担も小さくなるだろう。


 上手くやれればレイカに楽もさせてあげられるかもしれない。


「母さんが怒るかもしれないことは分かってた。それでもこれは俺の覚悟なんだ。俺にできること……これぐらいだから」


 もし助けを得られなかったら多少ブラックなこともやるつもりだった。

 でも北形家が助けてくれるなら、利用できるものは利用させてもらう。


「フグゥ!」


 大広間にいた誰かが嗚咽する声を漏らした。

 キズクの覚悟に感動を耐えきれなかった高齢の男性が口元を押さえて後ろを振り向いていた。


 その場にいた誰もが今はお前じゃないと思ったが、キズクとレイカは二人の会話に集中していて気づかなかった。


「……キズク、こっちに来なさい」


 思いは吐き出した。

 あとはレイカがどうしようとキズクは受け入れるしかない。


 言われた通りにキズクはレイカのそばに寄る。


「いでっ!?」


 スッと手を上げたレイカはキズクの額を指で弾いた。

 いわゆるデコピンというやつである。


 バチンと大きな音が鳴り響いて、キズクは頭を駆け抜けるような痛みを感じた。

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