「キズク、起きるのだ」
「んん……」
「ええい! 起きろぉ!」
「いでぇっ!?」
気持ちよく寝ていたキズクのこめかみにノアのくちばしが突き刺さる。
痛みにキズクは飛び起きる。
「なんだよ?」
「なんかあやつの様子がおかしいのだ!」
「あやつ……? リッカ?」
いつも近くにいるはずのリッカがいないとキズクは気づいた。
「中庭じゃ!」
「一体なんだ……?」
チラリと壁にかけられた時計を見るとまだ日が昇ったばかりの時間である。
先に飛んでいくノアの後を追いかけて行くと縁側があって、塀に囲まれた結構な広さの中庭がある。
空は今にも雨が降りそうな黒い雲が重たく垂れ込めている。
中庭の真ん中にリッカが座っている。
真っ直ぐに空を見上げていて、キズクが来たのにも気づいていないようだ。
「リッカ?」
声をかけるとリッカはようやく視線をキズクに向けた。
リッカが何を考えているのか分からない。
キズクにもリッカの全てのことが分かるわけではない。
付き合いは長いので、ある程度のことなら分かる自信があった。
しかし今はリッカが何を考えているのか分からない。
「行かねばならぬ……」
リッカが鳴いて、ノアがそれを通訳してくれた。
「行かねばならぬ? どこにだ?」
「さあ……僕には分からない……」
「リッカ!」
突如としてリッカが走り出した。
塀に向かっていき、そのまま高く跳躍して飛び越えてしまった。
「お、追いかけなきゃ!」
「でもどうするのだ?」
リッカの足の速さはキズクも知るところだ。
走って追いかけたところで追いつけなどしない。
「……追いかけることはできる」
キズクは走り出した。
けれども向かう先はリッカが走って行った方じゃない。
「サカモトさん!」
「おはようございます、キズク様」
キズクはサカモトのところに向かった。
車庫にいるサカモトは毎朝キズクを送り迎えする車のチェックを欠かさない。
「今すぐ車を出してください!」
「今すぐに?」
「そうです!」
キズクの態度を見れば冗談でないことはサカモトにも分かった。
「……分かりました。すぐに出発……といきたいところですがせめてお召し物はお着替えなさった方がよろしいでしょう」
「あっ……」
キズクは寝る時のラフな格好のままだった。
外に出られないほどの姿をしているつもりはないが、着替えた方がいいことは間違いない。
「急ぐことは必要かもしれませんが、焦ることはあってはなりません」
「……着替えてきます」
「その間に車を出せるようにしておきます」
サカモトのことを噛み締めるようにキズクは頷いた。
なんの準備もなく飛び出すところだった。
キズクは自分の部屋に走り出した。
「ふむ……天気が悪い……一雨くるかもしれませんね」
サカモトは窓から空を見上げる。
「今度はお約束違わぬようにしなければなりませんね」
サカモトはいつも運転する時に身につけている白い手袋をはめる。
「傘の用意もしておきましょうか」
ーーーーー
「町の中心の方に向かってください」
追いかけることそのものは難しくない。
なぜならキズクとリッカは繋がっているから。
カナトのところに行ってさえキズクとリッカの繋がりは切れなかった。
今回の人生ではカナトにリッカを奪われることもなかった。
むしろその事件を乗り越えてリッカとの絆が深まったぐらいである。
だからリッカがどの方向にいるのかおおよそのことは分かる。
多分カナトのところに行ったのではないことも分かっている。
ならばどこなのか。
それは分からない。
「休校のお知らせ……」
スマホを見ると、ある連絡が入っていた。
学校が休みになったというものだった。
「近隣にゲートが発生……」
学校が休みになった理由はゲートが発生したからであった。
「…………何かあるのか?」
今向かっている方向は学校ともそれほど離れていない。
なんだか嫌な予感がする。
「こんなこと……あったか?」
カナトの存在やリッカが去るという出来事はあったが、回帰前キズクは学校を卒業はした。
キズク自身に大きな出来事はあったものの、ゲートが出現して学校が休みになるなんてことなかったはずだ。
行動を起こせば未来は変わる。
この出来事はキズクが行動を起こした結果に発生したものなのではないかと感じる。
「キズク……」
不安げな顔をするキズクの頬を、抱きしめるようにしてノアがそっと翼を押し当てる。
「大丈夫だよ、ノア」
不安はある。
しかし後悔はしていない。
行動を起こせば変化が訪れることはわかっていた。
その結果を受け止めて、前に進む。
まずはリッカがなぜ走っていったのかを知るところからだ。
「おっと!?」
車が急停車した。
「サカモトさん?」
「申し訳ありません。この先は通行止めのようです」
キズクが前を見ると道路に規制線が張られている。
休校の連絡が回ってくるぐらいなのだから、現場に近いところではすでにゲートに対処を始めていてもおかしくない。
「どうなさいますか?」
「決まってるだろ」
キズクは車を降りる。
手にはブラックアントアギトを持っている。
いつの間にか鞘が部屋に置いてあったので布で包むのはやめてある。
「この先にリッカがいるなら俺は行く」
「でしたらお供いたします」
「いいんですか?」
「今度もまたお約束破ると、ご当主様に私の首が切り落とされてしまいます」
サカモトも剣を片手に車を降りる。
まるで買い物の付き添いにでも行くような軽やかな口調からは、緊張すら感じられない。