ー コンコン ー
ドアをノックする夏目さんの後ろからコーヒーを持って入る。
「し、失礼します……お待たせ、し、ました」
手の震えでカップがカチャカチャと音を
「ん、じゃあ頂くか」
ー ゴクッ ー
コーヒーを飲む以外の音がない静寂の中、永遠とも思える時間をひたすらじっと過ごす。
「うん、うまい」
「っ……あ、ありがとうございます。うわっ、あ、すいません……色々びっくりして腰が」
淹れたコーヒーをうまいと言われ、ホッと胸を撫で下ろしたのと同時に、緊張が少し和らいだ俺は腰が抜けて立ってられへんくなって、床にヘタリと座りこんだ。
「だ、大丈夫? 想」
多部ちゃんが屈んで心配そうに聞いてくれるけど、俺はとにかく頭が真っ白になっていたので返事も
「ははは、腰抜けたの?」
「すいません、すぐ立ちます」
「あ~そのままでいいよ」
何とか立ち上がろうとしている俺の姿を見て、クスクスと笑いながら九条さんは残りのコーヒーを口へと運んでいた。
「想、店をどうしても守りたいんだったよな?」
「は、はい! 店はホンマに大切なんです! 店以外やったら何を持ってってもいいです……何でもします……一生懸命働きますから! おねがいします」
「ふ〜ん、何でもね……」
そう呟き、急にジッと時が止まったようにしばらく動かなくなった九条さんの姿に、恐怖からか背中に一筋の汗が伝う。
(怖っ! あかん、また泣いてしまいそうや)
……
「なんでもするんだよな?」
「は、はいっ」
「じゃあまずは……とりあえず、俺が想の借金を肩代わりして買ってやるよ」
何て言った? 肩代わり?
「……えっ?」
「は?」
「うそでしょ?」
俺が驚くのはともかく、俺以上に驚いている多部ちゃんも夏目さんも、イケメン台無しの顔でぽっかりと口を開けたままフリーズしていた。
全く思ってもなかった提案に、俺も衝撃を隠せない。
(何でやろ? なんかあるん?)
「ただし、条件がある」
「条件……ですか?」
「毎日、俺にコーヒーを淹れること。そうだな〜まあ、一杯五十万で買ってやる」
「えっ……?」
(いやいやいや、一杯五十万? 高すぎやろ? 店で出すコーヒーの何倍の値段やねん! 高すぎるって……一体、何が目的やこの人)
「いやいや、流石に高すぎます」
「? 高くはないだろ? 後は……そうだな、九条さんじゃなくて
(金銭感覚どないなってんねん! ってか全然俺の話を聞いてくれず、訳のわからん要求までされてるんやけど、無理に決まってるからな?)
「いやいやいや、おかし過ぎますって……そんなん、九条さんになんのメリットもないですよ?」
「……」
(えっ? なんか俺がおかしいことでも言ってる?)
じっと俺を九条さんは見つめてくるけど、返事が無い。どうにかこの状況から助けて欲しくて隣に立っている多部ちゃんと夏目さんを見ても、二人とも完全にまだフリーズしてた。
「想、連夜って呼んでみろ? 敬語もいらない」
「や、それはおかしいですって」
「……」
(全く九条さんの意図している話がわからへん! なんやこのカオスな状況は)
わけがわからなくなった俺は、また涙が溢れてくるのを感じた。
「……想?ほら、早く」
「いや、その」
(どうしたらいいんや……)
ただ、なんとなくやけど呼ぶまで許してはもらえないような、無言の圧力が伝わってくるので、とりあえず意を決して呼んでみることにした。
「れ、れ、連夜…さん、わ、わ、わかりました」
「連夜」
「それは、無理です」
「……まあ今はその呼び方でいいけど、敬語はやめろよ?」
「……っ、わ、わかった」
「ははは」
その瞬間、ふわりと笑顔になった九条さん……いや、連夜さんの顔を見て心拍数がドクンと跳ね上がったのがわかる。
男でもドキッとする笑顔に顔が熱くなるのを感じながら、改めて真正面からじっくり凝視したけど、なんやねんこのイケメン!
「よし、詳しい契約書は多部ちゃんに作ってもらうとして。とりあえず今日からこの家に住んでね?」
「えっ?」
「逃げたら困るから」
「……」
(えっ? 住む……一緒に? 今から? 冗談やんな? たしかに、借金もあるけど! 拒否権はないんかな? あ、無さそうな雰囲気やわ)
「……っは、はい」
「違う」
「う、うん、わかった」
「ははは、それじゃあ今日は解散。多部ちゃんはまだ固まってるし……夏目さん、想に部屋案内してやって」
「はいはい、わかったよ」
さっきまでフリーズしてた夏目さんに支えてもらい困惑でいっぱいの俺は応接室を後にした。
(と、とにかく毎日コーヒー入れたらええんかな?)
この時の俺はそんなふうにしか思ってなかった。
◇◇◇◇
「ここを使うといいよ。しかし、連夜に凄く気に入られてしまったね? 今まであんなに何かに執着する連夜は初めて見たよ……ふふふ、これからよろしくね?」
「は、はい」
「想、我が
「う、うん……」
「ふふ、ありがとう。じゃあ今日はゆっくりおやすみなさい」
「うん……」
夏目さんに別れを告げ、一人で今日の出来事を整理するが、多すぎる情報量と精神的疲労から頭の中は限界だった。
こうして広すぎるベッドに横になった途端、俺は意識を飛ばした。