俺、セシル・エルランテがマリアと初めて会ったのは九歳の時だった。
マリアは一つ歳下のランドルフ伯爵家の長女で、古くから王家の騎士として仕えるランドルフ家と、エルランテ王家の関係をより強固にするために国王である俺の父と、その友人であり騎士団長を務める彼女の父ロックとの間で決まった縁談だった。
初めて見た彼女の印象は美しく、そして愛らしかった。
父親譲りの白銀の髪を靡かせ、ニコリと微笑みかけ挨拶する姿は男女問わず魅了し初めて城に訪れた時は天使がやってきたなどと囁かれた。
ただ、俺からすればそんなことはどうでも良かった。
生まれた時から王位に着くのは兄であるアルフと決まっており、王になった兄を補佐する者として育てられてきた俺にとっては、結婚相手の見た目や性格に興味はなく、この婚約が国にとって有益になるかどうかが重要だった。
強いて言うなら将来自分の仕事を支えてくれる有能な人物なら好ましいと、その程度の考えだった。
マリアと会うのは月に一度か二度だったが、その日さえ俺には煩わしかった。
一日中拘束され二人っきりでお茶をしたり散歩したりして時間を過ごす。そんな暇があるなら魔法や勉強、剣の鍛錬に時間を使いたかった。
時にはそんな気持ちが態度に出た時もあった、今思えばまだ幼かったとはいえ最低な男だっただろう。しかしマリアはそんな俺に文句を言うことなく、婚約者として俺に接してしてくれていた。
それどころか、マリアはそんな俺に合わせるため、二人で過ごす時間を勉強や、剣の鍛錬の時間に使ってくれたりした。
マリアは勉強や魔法だけでなく剣の腕にも覚えがあるようで、同世代の練習相手がいない俺にとってはいい稽古相手にもなってくれた。
そしてたまに息抜きと言って二人で城下町に繰り出せば、町の情景を見ながら問題点などを二人で話し合ったりもした。
彼女が弟とよく訪れるという、支援している孤児院を訪問すれば、皆すぐさま彼女の元へ駆け寄ってくる、そして子供たちと遊ぶ彼女の姿は微笑ましく、俺はそんな彼女に惹かれていった。
しかし、それから四年が経った今、彼女との婚約破棄の話が舞い込んできた。
どうやら、アルフの婚約の話が流れたことで、アルフが新しい婚約者の相手にマリアを選んだようだった。
アルフは以前からマリアに思いを寄せていたようで、俺のマリアに対する態度に不満を持っていたとの事だ。
だからと言って、弟の婚約者を強引に奪うようなことはなく、あくまで提案の話で、俺がきっぱり断れば話は終わるはずだった。
だが俺はずっと兄を支える者として育ってきた、一緒にいたからこそわかる、マリアは王妃に相応しい能力を持っている。
国のためを思うなら、そしてマリアのためを思うなら彼女はアルフに譲ったほうがいいのだろう。
だが、その決断を俺は自分自身ではできず、彼女の家に委ねてしまった。きっと彼女に断って欲しかったんだろう。
しかしそんな俺の思いとは裏腹に彼女達はその提案を受け入れたようだった。
その話を聞いた瞬間頭が真っ白になった。彼女が他の男と親しくするなど考えたくなかった、俺に向けられていたあの笑顔が他の男に向けられるなど、例えそれが実の兄であっても考えたくなかった。
そう思ったとき俺は、自分が彼女を好きになっていたという事を初めて自覚した、そして気づけば婚約破棄を止めるため俺は父の元へと向かっていった。
――
あの日から三ヶ月、俺は今、彼女の屋敷を訪れている。
あらかじめ連絡は入れていたこともあって屋敷に着くと、使用人たちが出迎えの為に家の前で待機していたが、視線は冷たくあまり歓迎されていないのがわかる。
特に赤い髪のメイド、アンナと言ったか?マリアの専属なだけあって何度か顔を合わせることがあったが、このメイドだけは俺への敵意を隠しきれていない。
目をつぶっているように目は細く、常に涼しげな表情で感情が表に出さないアンナだが、こちらに見向きもせず淡々と案内をする態度は以前の俺がマリアに取っていた態度に似ている。
使用人としては不敬な態度だが、それだけこの家の者たちは俺の我儘にご立腹なのだろう、ここは素直に受け入れるしかないと思い、気づかない振りをした。
俺はそのまま客間に通される、するとそこにはマリアの姿はなく、来客用のソファーにはこの国の剣でありマリアの父であるロック・ランドルフが険しい顔で座っていた。
まさか王国騎士の団長である彼に迎えられるとは思ってもみず『氷の貴公子』と呼ばれる迫力に少し飲まれそうになるが、俺は平常心保ち、部屋の中へ足を踏み込む。
「王子自らご足労いただきありがとうございます、どうぞご座りください。」
「あ、ああ。」
本来ならこちらが頭を下げなければならないのだが、王子と騎士の関係上それは許されず、あくまでこちらが上からいう形になる。
「それで、今日はどういったご用件で?」
「今日は自分の我儘により、そなた達に迷惑をかけることになった事を改めて謝罪したいと思いやってきた。そして、まだこの先どうなるかわからないが、俺の意思としてはやはりマリアとの婚約を続けたいと思っていることを伝えに来た。」
「ふむ……。」
俺は俯く程度に頭を下げる、これが俺にできる精一杯の謝罪だ。それが伝わったのか、ロックが考え込むように目を瞑る。
「……王子が娘を思ってくれているのは嬉しく思います、ですが私は父親としてこれ以上娘を振り回すつもりはなく、振り回されるのも見たくありません。なので、もし私は本人に婚約の意思がないのであれば、この縁談はなかったことにするつもりです。」
「……」
「……ですので、娘が欲しければお二人が自分の力で振り向かせてください。」
「え?」
その言葉に思わず顔を上げると、ロックはマリアを呼びに部屋を出て行った。
それはつまり、俺かアルフのどちらかをマリア自身に選ばせるという事か、なら俺にも、まだチャンスがある、それだけでも嬉しかった。
確かに俺はアルフと比べると全てが劣る。
立場はアルフよりも低く、容姿に関しては髪色は互いに父親譲りの金髪だが、顔立ちはきつい釣り目をした俺より中性的で優しく見えるアルフの方が女性からすれば魅力的だろう。
アルフは俺にないものをたくさん持っている。
だが、マリアに関しては俺にもアルフの持っていないものがある、それは婚約者として過ごした四年という時間、これは大きなアドバンテージだ、十分勝てる要素はある。
それから暫くして呼びに行ったメイドがマリアを連れて戻ってくる。
「お久しぶりです、セシル様」
「あ、ああ」
三ヶ月ぶりとなるマリアの笑顔に俺は思わず眼を逸らす。
彼女は相変わらず以前のままだが、俺自身が意識し始めてしまったため、彼女の顔を見るのが恥ずかしくなり、直視できなかった。
だが、そんなこと言ってられない。
本人を前に想いを伝える方が何倍も恥ずかしいし勇気がいる、だがここで退けば彼女を手に入れられない。
「マリア!」
「はい?」
「俺は――」
俺は話を切り出すと彼女の目を見て精一杯想いを伝えた、今までの態度と騒動の謝罪と、そして自分の想いを。
彼女はそんな俺の言葉を黙って聞いてくれていた。
「……まさか、セシル様が私の事をそこまで思ったくださっているとは、とても嬉しく思います。」
「じゃ、じゃあ……」
「ですが、私自身としてはセシル様ともう一度、婚約を結ぶつもりはありません」
「え?」
その言葉に、思考が止まる。
「いえ、セシル様だけではなく、アルフ様や他の方、結婚自体するつもりはありません。」
「ど、どうしてだ?」
「夢ができたのです。」
「夢?」
「はい。」
「それはどう言う……」
「それはですね……」
そ、それは……
「うんこの聖女になる事です」
「そう、うんこ……の……」
……
……?
…………???
………………??????⁉
セシル・エルランテは混乱した