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第13話 イシュタルとは不本意です。

 そも、イシュタルとは――


 なぜかこの世界の主神として崇め奉られている女神である。

 そのイシュタルの概念は前世で認識していたものと大差ないらしくーーそのため、リズは不満なのである。

 大変美しい女神の名であるのは結構なのだが、性愛や多産、豊穣の女神であり慈悲深かったといわれる反面、一度愛した男性は、深く激しく愛する苛烈な激情家でもあったという。極めつけに、この世界のイシュタルは軍神としても激しくあがめ奉られている。なんでも、美貌で兵士を魅了してまとめあげ、本来の負けん気と激情でもって敵を蹴散らして連戦連勝無傷だったとかいう伝承がある。

 そして、イシュタルのその勇ましさと苛烈さは、恋愛方面においても発揮される。そのときは、自分に靡かなかった男や興味のない男を冷酷に蹴散らかし、恋敵たちを容赦なく蹴り落として再起不能にしていくという。人々は言う。ピッタリじゃないか、と。


「あんまりですわ! わたくし、そこまで過激でもないし好戦的でもないのに!」


 あまりありがたくない噂が流れると男性から避けられてしまう。ゆえにリズ本人は嫌がりライバルは嬉々として噂を流すのである。そして噂とは尾鰭背鰭がついて広まって行くものである。


「んもう! いい迷惑だわっ!」


 しかしなぜリズがそう呼ばれるようになったのか。

 べつにリズにあまた恋人がいるわけではない。夜会という戦場で、獲物めがけて軍神イシュタルのごとくまっしぐらに切り込んでいくからである。

 そして、性愛の神イシュタルのごとく激しく愛情を注ぐ。興味のない男は失礼にならない程度にあしらわれマナー違反にならない程度に退けられるが、そこに一切の妥協はない。

「だからってイシュタルに喩えるなんて……ひどいわね……」

「おやおや、レディ・リズがこんなところで指を咥えてみているだけとは……珍しいじゃないか」

 離れたところにぽつんと立つリズに声をかけてきたのは、レオだった。相変わらず貴公子然とした立ち姿である。

「あ、レオさま」

 優雅に膝を折って挨拶をする。レオもそれに応える。美男美女が並んで挨拶する、それだけでため息が出るほど美しく、お手本のような完璧な動きである。周囲の人たちが思わず見とれる。

「ときにレディ・リズ、お目付け役はどうしたんだい? レディがひとりで夜会に来るとは普通じゃないぞ」

「あ、ええ。ちょっと用事を頼みましたので、あとからくると思いますわ……」

 付き添い……黒服の彼らのことであるが、今頃、リズの妨害工作で泥だらけになった気の毒な令嬢たちの対応に追われていることだろう。だがそれを、レオに言うわけにはいかない。

「ふうん、じゃあ、お目付け役が戻ってくるまで、俺がお目付け役を務めさせていただこう」

 ぴたり、と絶妙な位置にレオが立つ。威圧感とも違うオーラが出るのがわかる。それでリズははっとした。


ーーこの方、何者かしら? ただの放蕩息子ではないわね……


「きみは美人で有名なのに不用心だよ、気を付けないと」

 耳元でそっと囁かれる。心地よいテノールである。

「え?」

「ほら、彼ら」

 下衆な視線を向けていた男たちが散っていったのがわかる。ありがとうございます、と、言いながらリズはレオを見た。斜め上にあるレオの顔を仰ぎ見るようになった。


「……え」


 どちらかというとのんびり朗らかなイメージだったのだが、妙に凛々しい。角度の問題もあると思い、そっと体をずらしてみるが、精悍さは気のせいではなかったらしい。


ーーあら、思いの外いい男?


 エメラルドグリーンの瞳が、油断なくリズと周囲を見ている。良家のおぼっちゃまだと思いろくに素性を確認していなかったが、彼は何者なのだろうか。少なくとも、ただの遊びまわっている貴族の子弟ではなく、武術の心得がありそうである。

「あ、そうだ。忘れないうちに。朗報だよ。シュテファンの件で」

 にぱっ、と音がしそうなほどに明るい笑顔が浮かんでいた。あらなにかしら? と、優雅に応じるリズ……に、傍目には見えるだろうが、その目はギラギラと戦闘意欲に燃えている。

「シュテファンさまがどうかなさったの?」

 レオが噴き出すのを堪えながら、

「あのね、シュテファンが剣の手合わせをご希望だよ。来週、うちの別宅で舞踏会をやるから、そのときにどうだい?」

 と、招待状を手渡してくれた。珍しい招待の仕方である。しかし、別宅とは。彼の親は相当なお金持ちなのだろう。

 リズはそれをありがたく受け取って、ハンドバッグへとしまった。

「それから、きみの参加を知らせた途端にダンスの申し込みが殺到したから、こちらで適当に組ませていただいた」

「ちょっと、わたくしまだ、参加とは……」

 シュテファンが参加するのに、来ないのかい? と、レオが楽しそうに囁く。

「さ、参加いたしますわ! 当然でしょう」

「そうだろう? 勇しくて結構。さすがイシュタル」

「レオさまもその呼び名をご存知ですの?」

「当然さ!」

 ふん、と思わず鼻息が荒くなってしまう。なにせ、目線の先ではシュテファンが令嬢たちに囲まれて楽しそうにしているのだ。

「負けていられないのです!」

「うんうん。使える手段はなんだって使わないとね」


 しかしなぜレオは、ここまでリズに協力的なのだろう。何か考えがあってのことだとは思うが。

「レオさま、あなたさまの方はどうなの? 誰か気になるレディはいらして?」

 なんならご紹介するわよ、と、言外に告げる。が、レオはこれ見よがしにため息をついた。

「俺の理想どおりの完璧なレディがなかなかいなくてねぇ……」


 む、と思わずリズは頬を膨らませた。


「完璧な令嬢は、わたくしとレディ・アンナベルがいるでしょう?」

 そうだけど、と、レオは言う。

「きみ、ねぇ……」

 ため息と微妙な間があり、それがまたリズの神経に触った。思わず、

「なによ、わたくしでは不服なの?」

 と言い返してしまった。

 レディらしからぬ振る舞いだが、言ってしまったものは仕方がない。だがありがたいことに、レオはそのようなことには頓着しないらしかった。変わっている、といって良いだろう。

「そりゃ、うん、悪くないんだけど……俺は将来有望なシュテファンに早く身を固めて欲しいという気持ちもあってだな……そのためには、きみの恋路を応援するのが最短かな、と」

 想定外の回答に、きょとんとしたリズは、ぱちぱちと瞬きしながらレオを見つめた。

 レオはぽりぽりと頬を掻きながらどこか困ったような表情でもある。


 これは大変なお人よしなのか、そういうお仲人さん的なものを生業としているのか。よくわからない御仁である。


「よくわからないけれど……あなたがわたくしの味方だというのは、わかったわ」

 よろしくねレオさま、と、リズは自然な笑顔を見せた。

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