リズがじーっとレオを観察していると、舞踏会の開始を知らせる主催者からの挨拶があった。
「誰も彼も似たような挨拶よね。この後の流れも似たり寄ったりだし、面白味に欠けるわ」
とんでもない言い草だが、隣の貴公子はプッ、と笑った。
「だったらきみが見るべきは、主催者ではなくあっちだね。シュテファンはいい男だろ……って……あちゃー……」
リズはレオに言われるがままにシュテファンを見たのだが――。
「レオさま! そちらのレディは……噂のイシュタルさま、いや、エリザベス嬢では」
と、若い男たちがドタドタと近寄ってきたのだ。デビューしたての貴公子だろうか、明らかに鼻の下が伸びている。
リズは表情こそ変えないが、さすがに緊張する。それを察したレオが、すっと前に出てさりげなくリズを守りながらも、男たちを牽制する。
「こらこら、今宵のシャペロンは俺だよ。シャペロンの許可なくレディに接触することはできないことくらい、君らもしっているだろう? さ、礼儀正しくしたまえ」
はい、と、慌てた貴公子たちが、レオに向かって何やら頼みごとをする。するとレオがもっともらしくリズに「彼らを紹介したいのだが……いや、社交界デビューしたばかりの連中で、どうにも無作法だが悪気はないんだ」などという。
リズはそこで察した。
レオがどうしたわけか、年若い彼らに社交界の正式なマナーを体験させようとしている。ならばリズもそれに応えなくてはならない。
「よろしくお願いいたしますわ」
この時代の社交界のエチケット・ブックを思い出しながらレオに向かって挨拶をする。
「ありがとう、察しがよくて助かるよ」
わたくしだって今はデビュタントですけれど……と、内心つぶやくのも忘れないが。
そしてぎこちない若者たちの挨拶と紹介を次々に受けているうちに、楽団が音楽を奏で始めてしまった。
しまった、と、リズとレオがそちらを見る。
「シュテファンさまは、どこ!?」
「おっと、レディ、あっちだ。急いだほうがいい……みたいだな」
ええっ、とリズが慌てたような声をあげる。シュテファンは、大広間の対角線、リズたちから最も遠い場所にいた。イントロが始まってしまったいま、ここから走って行っても間に合わないだろう。そもそもレディが大広間を走るなどあってはならないことだが。
「一曲目はきみと踊る手はずになっていると聞いているが……勝手に予定が変更されたようだねぇ……」
レオが困ったような声で言う。シュテファンの腕に見たことのない令嬢がぶら下がっているのだ。思わずリスの声が上ずる。
「だ、誰よ、あのレディは!? なんでわたくしをすっ飛ばしてシュテファンさまと! どういうことよっ!」
「お、俺に怒っても仕方ないだろ……」
今から駆け引きをして令嬢を引き離すのは無理だろう。ああ、わたくしのばか、と、リズは唇を噛む。
「しかし予定外の立ち話をして、きみがシュテファンと踊る機会を逃したのは俺のせいでもあるな。まて、いい案がある。シュテファンのところへ連れて行ってやる」
「え?」
おいで、とレオがリズの腕を取った。そのままダンスフロアへと滑らかに出ていく。
「ちょ、ちょっと、レオさま!?」
「任せろ」
にっ、と笑うレオは、楽しそうですらある。
「いいかい、今から踊りながらフロアを突っ切ってシュテファンの傍へいく。一曲目が終わったら、あいつの手に引き渡してやるからちゃんと捕まえろ」
落ち込みかけていたリズの気持ちが、ぱあっと明るくなった。
「名案だろ? それに楽しいと思うぞ」
「ええ、ありがとう! ああ、レオさま、なんと御礼を言ったらいいのか……」
と、リズはレオに心からのお礼を述べる。その瞬間、周囲の男たちがどよめいた。無理はない。イシュタルとあだ名される完璧だが苛烈な性格の令嬢の、心からの、しかも極めて自然な満面の笑みなど、目にすることなどないのだから。
「……いやぁ? こっちこそ、例を見ない快感を味わえて感謝したいくらいだ」
「え?」
「さ、突っ切るぞ! ついてこいよ!」
「はいっ!」
リズは全く気付いていない。レオに向けられる人々の強烈な眼差しに――。
一曲目が終わり、レオが巧みなリードでシュテファンの横につく。若干スピードが速いが、ついていけない速さではないし、レオがサポートしてくれる。
「シュテファン、探したぞ」
「レオ……と、レディ・リズ」
シュテファンの腕にかじりついた令嬢が、イシュタル! と、憎々し気に呟く。このお方はわたさなくってよ、と、刺々しいオーラが出ている。
リズは困ったような表情で立ち尽くしている。応戦したいがシュテファンの前で、はしたない真似はしたくない。こういう時にどう振舞うのがベストなのか。何度転生していても、わかるようでわからないことは、多々あるのだ。
「転生しても、過去の記憶があっても、こんな時はあんまり役に立たないわね……」
「ん? 何か言ったかい?」
「レオさま、恋愛は何度やってもままならないものね」
「そうだねぇ。恋愛って言っても、所詮は人間関係だからね。これは、なかなか自分の思い通りにならないものさ」
苦笑したレオが、そのレディに向かって、「次のワルツ、一緒に踊っていただけませんか? レディ・シンディー」
と、告げた。そのレディの目が、まん丸になった。
「レオさま、わたくしをご存知なのですか!」
もちろん、と、レオが頷けばシンディーの目はハートになる。
「リーディ伯爵家の長女シンディーにございます」
「伯爵にはチェスで二連敗していてね。お父上に、次こそは負けないから、とお伝えください」
見事にレディの関心を自分に惹きつけてしまった。
「見事だわ……レオさまって何者なのかしら……」
さりげなくレディ・シンディーをシュテファンから引きはがす。すかさずリズがシュテファンに寄り添えば、ちょうどいいタイミングで二曲目が流れ始めた。
「レディ・エリザベス、次の曲を一緒に――」
「よろこんで」
差し出されたシュテファンの手を取れば、それだけでリズの心臓はドキドキと高鳴る。剣だこのあるシュテファンの手だが、手入は行き届いている。使用人が隙なく磨いているのだろう。腕も程よく筋肉がついているし、足腰の運びもしっかりしている。相当な剣の使い手なのだとわかる。
と、二人が組んで踊り出したところで――勢いよくシュテファンにぶつかってくる男があった。
「お前がイシュタルさまと……くそっ!」
あらら、と思いながら気付かぬふりでダンスをはじめる。
と、また別の男がぶつかってきた。今度はシュテファンに男がぶつかった拍子に、衝撃がリズにも伝わってよろけてしまう。
「おっと! あぶない!」
素早く抱きとめてもらい、ぴったりと密着する。
(きゃーっ、ステファンさまに抱きしめられてっ……)
それだけでリズの心臓は破裂しそうだが、お礼を言おうとしたリズは、シュテファンの表情が思いのほか険しいことに気付いた。逃げていく男の背中に向かって、
「レディに体当たりをしようとするなんて、危ないじゃないか!」
と、叫ぶ。
「え?」
今度はわたくしが狙われたの? と、リズはそっと辺りを見る。ひそひそ、という感じではっきりとした声は聞こえない。が、リズを狙ったのは間違いないだろう。
「そう、嫉妬、ってことね……」
すっと背筋をのばしたリズは、シュテファンの手を取った。驚いたようにシュテファンがリズを見る。リズは、あえてゆったりと微笑んで見せた。
「曲は続いてますわ。踊りましょう」
「そうだね……うん、そうしよう」