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第8話 元婚約者と婚約式 2

 裏切者、ってブチまけたい。

 ソレルの悪行を晒したい。

 けど、まだ駄目。

 今日は我慢。

 婚約式、正装したアロイスにエスコートされ、私はヨチヨチ進む。婚約の立会人は年齢差の大きなふたりに戸惑っている。

 六十歳の高位貴族の後妻が十六歳の令嬢とか、八十歳の有力貴族に十八歳の令嬢が嫁ぐケースもあった。けど、私とアロイスはとんでもなく異様みたい。

 王室専属魔法師の立会いの下、アロイスに続き、私も婚約魔法契約書にサインしようとして止められた。

「ベルティーユよ」

「……あ」

 ……うん、私はまだ字が書けないことになっている。国王陛下が代理でサインした。ピカーッ、と婚約魔法契約書が光る。

 これで晴れて婚約成立。

 終始、アロイスは渋面で無言。

 エグランティーヌとの時よりひどい……いや、前よりマシ……そうでもないか……どっちにしろ、ひどい。

 ちょっと、その態度だけでも不敬罪じゃね?

「アロイス、顔」

 私がムカついて咎めると、アロイスは虚を突かれたような表情を浮かべた。

「……は?」

「顔よ」

「……はい?」

「婚約式にその顔は何?」

 婚約式にそんな顔をしていたら、幼馴染みが嬉々として騒ぎ立てるね。『可哀相なアロイス様』って。

 エグランティーヌの時にも、その仏頂面のせいでさんざん言われたのよ。『意に染まぬ婚約を強いられて可哀相なアロイス様』って。

「……は、はい」

「不敬罪で処刑されたい?」

 ……うわ、勝手に口が動いた。

「申し訳ございません」

「王室との縁を望んだのはソレルよ。忘れないで」

 私の口は止まらず、さらに嫌みを飛ばす。

「……は、はい」

「もうちょっと嬉しそうな顔をして」

「……はい」

 言ってるそばからそれ?

 その表情は何?

「せめて、前の婚約式より嬉しそうな顔をして」

「……は?」

「エグランティーヌとの婚約式、そんなに不本意だった?」

 駄目だ、心が勝手に口を動かすから止まらない。

「……ベルティーユ殿下?」

「エグランティーヌとの縁談もソレルの策略で成立したのよ。忘れたの? ダルシアクを乗っ取るため、必要な婚約だったんでしょう?」

 今、私は何を言った?

「……え?」

 私の馬鹿。

 これ以上は駄目。

 なのに、いてもたってもいられない。

 こいつ、こいつ、こいつのせいだ。

 こいつのせいでこんなに苦しい。

 こいつがいなければここまで苦しむこともなかった……うん、ただ単純にソレルを恨めたのに……こいつが一番悪い。

 悔しい。悔しい。悔しい。もうとんでもなく悔しい。これ以上ないというくらい悔しい。悔しすぎておかしくなりそう。

「アロイス、めっ」

 ペチッ。

 無意識のうちに、アロイスのブーツを叩いていた。……うん、なんのダメージも与えられないけれどね。

「ベルティーユ殿下、お疲れですか?」

 アロイスに心配そうに顔を覗かれ、いっぱいいっぱいの心が破裂寸前。

「そうじゃないの」

「乳母を呼んで乳を飲みますか?」

 こいつ、お腹が空いたと思っているの?

 まさか、まだ乳母にお乳をもらっていると思っている?

「それはもう卒業したわ。ショコラもカフェ・オ・レも飲めるわよ。ビスキュイもゴーフルもモグモグできるわよ」

ペチッ、ペチペチペチペチッ。

 精悍な顔をぺちぺち攻撃したけれど、名前の付けられない感情に流される。……もう……もう……もう……。

 こいつ、どうしてくれよう。

 頬に嚙みつこうとした寸前、我に返った。

 ガブリ、とここでやっても誤解されるだけ。

 ソレル伯爵夫妻はやけに嬉しそうだった。私の本来の婚約者候補のレオンスはここでも恥ずかしそうにもじもじして、嫡男のセレスタン夫妻は苛立っているみたい。……あらら、イライラしているの? ここでこそ、演技力を発揮するところじゃない?

「アロイスにはすぐ花嫁が必要であろうが、余の姫はまだまだ青い。待て」

 国王陛下がやんわり言うと、アロイスは恭しく頭を下げた。

「御意」

「十年後でも十三ぞ。よいな」

「仰せのままに」

「愛人は認めぬ」

「御意」

 アロイスは国王陛下に絶対服従、決して逆らわない。……うん、エグランティーヌにも亡きお父様に対してもそうだった。

「ベルティーユ、挙式は成人してからぞ」

 成人は男女ともに十五歳だ。政略結婚が常の貴族社会では結婚は三歳でもできるけど、夫婦の儀と呼ばれる初夜は十三歳から。

「お父様、結婚式前に殺されるからいやよ。また革命されたらどうするの?」

 いくらソレル伯爵でも玉座は狙っていない……狙えないよね?

 せいぜい外戚として権力を握ること?

 もっと違うもの?

 ソレル伯爵の目的はわからないけれど、同じ轍は踏まない。

 国王陛下、ちゃんと聞こえたよね?

「……ベルティーユ、それはどういう意味ぞ?」

 感情を顔に出さない教育を叩きこまれている君主が動揺した。叔父上を恨んでいないといえば嘘になるけど、統治者としては尊敬している。王宮で侍女や騎士たちの会話を聞くたびに痛感したもの。あの時、介入しなかった陛下は正しかった。

「婚約期間が長かったら、裏工作の時間を与えるだけ。さっさと結婚したほうがいいわ」

 アロイスとエグランティーヌが婚約してから、ソレル伯爵の裏行動に拍車がかかった。婚約期間は短いほうがいい。

「ベルティーユ、しっかりしろ。そなたは余の娘ぞ」

 陛下に顔を覗きこまれ、私は頬を紅潮させて力んだ。

「アロイスと結婚式を挙げて。アロイスと一緒に暮らす。革命になっても王女ではなくアロイスの妻なら処刑されないはずよ」

 あの時、私がアロイスの妻だったならばダルシアク革命の幕引きは変わっていた。二度、挙式を延期した理由はソレル一門の喪だ。もしかしたら、挙式を延期するために、親戚の誰かを暗殺したのかもしれない。あの野心家なら平気でやるだろう。

「……エグランティーヌ?」

 国王陛下は愕然とした面持ちで見殺しにした姪の名をポツリ。

 聞き耳を立てているソレル伯爵に追い討ちをかけるため、私は淑女の笑みを浮かべ、今後について言った。

「明日、結婚でちゅ。花婿といっちょにぶりおち、モグモグ」

 ……あれ、舌が思うように動かなくなってきた?

 私はイラついたけど、国王陛下はほっとしたようだ。

「アロイスをそんなに気に入ったのか……確かに、いつもの騎士姿と違うな。吟遊詩人に歌われる理由がわかる」

 国王陛下が苦笑を漏らすと、正妃も優艶に微笑んだ。私は第四妃に宥めるように諭される。結婚式はまだまだ先、と。

 なんにせよ、婚約式は終幕。

 一分刻みのタイムスケジュールで動いている国王陛下は、正妃を連れて大切な謁見に向かう。……なんか、足取りが重い? そりゃ、重いよね?

「アロイス、おてて」

 私は元婚約者兼今婚約者に手を差しだした。

 悔しさが募るから、まだ開放したくないの。けど、悔しさがアプデされ続けているから、さっさと別れたいの。なのに、手を繋ぎたいの。……私、マジおかしい。誰か、今の私の状態を説明してほしい。

「……は」

「おっきい」

「……は」

 私はアロイスの手を握り、庭園目指してヨチヨチ歩きだした。第四妃やソレル伯爵一同は笑いながら下がり、私の専属侍女や護衛騎士たちが一定の距離を取ってついてくる。

 頼りになるのは筋肉だけ。

 私の筋肉で辛くなったら、他人の筋肉に頼るしかない。

「アロイス、だっこ」

 手を伸ばせば、婚約者は怯えたように目を見開く。

「……は、失礼します」

 怖々と私を抱き上げる手が切ない。密着した身体から伝わるぬくもりも切ない。幼い自分と凛々しい青年の大きな差も切ない。何事もなければ、ふたりで夫婦として庭園を散歩していたかもしれないのに。

 ……そう、さっきまでの悔しさが薄れた。切ないんだ。

 切なさを振り切るように、アロイスのシャープな頬に触れた。

 ビクッ、とソードマスターが身体を竦ませる。

「アロイス」

 名を呼んでも切ない。

「……はい」

 返事を聞いても切ない。

「名前、呼んで」

「ベルティーユ様」

 こんなことで切なくなる自分がいや。

 悪女になったんだから、いい加減にしろ、私。

 結局、アロイスも私を騙した。

 ソレルの手先となって、ダルシアク家を潰したんだ。

 父の仇。

 エグランティーヌの私の仇。

 ばあやや侍女、私を庇って亡くなった者たちの仇。

 たとえ、私を助けるために陛下に縋ったとしても許せない。

 許せるわけがない。

 自分で自分に叱責した時、広大な庭園の一角、私たちに騎士の礼を払っている騎士団が見えた。靡く旗に刻まれた家紋はソレル伯爵の黒い獅子。

「……あれは?」

「俺が率いるソレル騎士団です。ベルティーユ王女に忠誠を誓います」

 ソレル騎士団長の婚約式にあたり、相手が王女だったから騎士団員も揃ったみたい。革命時、先頭を切ってエグランティーヌたちを追い詰めた騎士たち。

 当時の騎士団長や主要騎士たちはいない?

「……あ、あれ? あっち?」

 ソレル騎士団とはだいぶ毛色の違う騎士たちがいた。……や、見覚えがある騎士がいた。魂に刻まれているイレール。

「あっち、行って」

 私が人差し指で指した先にアロイスは進む。

 あの時、狂暴な領民から私を守って亡くなった専属騎士のひとり。……亡くなったと思ったけれど生きていたの?

『エグランティーヌ様、お逃げくださいーっ』

 身を呈して私を庇ったイレールの絶叫は今でも覚えている。

 別れた時とはまるで違うぽかぽか陽気の中、私はアロイスの腕から下り、イレールの前に立った。

「イレール」

 私が名を呼ぶと、イレールだけではなくアロイスも驚いた。

「……え?」

 イレールは私を間近で見て、魂がどこかに飛んで行ったみたい。彼は私の……って、エグランティーヌのばあやの孫だ。子供の頃を知っているから驚いたのかな?

「だっこ」

 私が手を伸ばすと、イレールは崩れ落ちた。

「……っ……くっ……」

 王女がだっこを求めたのに泣くなんてありえない。……あ、そういえば、腕は立つし、イケメンなのに涙もろかった。

「イレール、泣き虫。ばあやに笑われるよ」

 私がイレールの耳元にそっと囁く。

 その途端、イレールが野獣のように声を上げて泣きだした。私に対してひれ伏し、ただただ涙を流す。

 こうなったら駄目だ。

 ばあやが全力でくすぐっても、イレールは泣きやまない。

「彼はイレール、エーチャ傭兵団の団長です」

 アロイスはイレールの肩を叩きながら、切々とした調子で言った。

「傭兵?」

「ダルシアク騎士団で武名を轟かせた騎士です。お守りする姫を亡くした後、誰にも仕えず、傭兵になりました。今回、俺が個人的に傭いました」

 アロイスがエグランティーヌの元専属騎士の傭兵を傭った?

 いったいどういうこと?

 よくよく見れば、イレールのほかにも見覚えのある傭兵がいた。……や、もしかして、元ダルシアク騎士団の騎士じゃない?

「……エーチャ様……エーチャ様に生き写し……」

 イレールの背後で感極まったように零した騎士には、よく散歩につき合ってもらった。私がヨチヨチ近寄ると、彼も野獣のように泣きだす。

 ……エーチャ様?

 ……って、私のことじゃん。

『エグランティーヌ』と幼い私は自分の名前が言えず、『エーチャ』って言っていた。専属騎士たちは『エーチャ様』って呼んだ。エーチャ傭兵団のエーチャはそこから? 

「えんえんちてる。タルトあげゆからえんえんちないで」

 そうじゃない、私。

 どうして、ここで幼児言葉が飛びだす?

「……エ、エーチャ様……エーチャ様そのもの……エーチャ様……エグランティーヌ様……」

 私の言葉を聞き、エーチャ傭兵団の傭兵たちが全員、男泣き。

「……ふ……ふぇっ……」

 私も泣きそうになった瞬間。

「失礼します」

 アロイスは慌てたように私を抱き上げて、男泣き集団から引き離した。

 瞬く間に大男たちが遠くなる。

 生きていてくれて嬉しい。

 どうして、アロイスがイレールたちを傭ったの?

 ……いや、イレールたちがどうしてアロイスに傭われたの?

 国王陛下が言った通り、アロイスがエグランティーヌを救おうとしていたのならば、イレールたちがこの場にいる理由がわかる。

 ……ちょっと……ほんのちょっとだけ信じてもいいのかな? 

 許したわけじゃない。

 ……けどね。

「アロイス、最期の最期まで大嘘をついたわね」

 知らず識らずのうちに、口から思いが飛びだしていた。こういう時に限り、舌の呂律がきっちり回る。

 アロイスは雷が落とされたように固まった。

 言葉は風の如く、一瞬で行ってしまう。

「………………………………………………………………………っ……まさか?」

 ヤバい。

 まだバレるのは早い。

「……あのね。大嘘をついた騎士がいたの。侍女もいたの。カスタードタルトにホイップとミントを添えたの」

 自分でも何を言っているのか、わからなくなってきた。けど、子供はこういうもんだよね?

「……っ……ひょっとして」

 ……ちょっと、その顔は何?

「お空が青いね。アロイスのおめめはウサギちゃんね。一緒にぴょんぴょんしたらいいのに」

 これでどうだ?

 ウサギちゃんで誤魔化されてちょうだい。

「エグランティーヌ様?」

 ……ど、どうして?

 そんな顔でその名前を口にするの?

 落ち着け。

 誤魔化せ。

 悪女スマイルで誤魔化すわよ。

 ……って、思ったのに。

「……っ……裏切者ーっ」

 ぶわっ、と涙が溢れた。

 感情が爆発し、自分でコントロールできない。

 淑女としても悪女としても失格。

「エグランティーヌ様?」

 信じられない、といった魂から迸るような叫びがアロイスから伝わってくる。

「……っ……っく……騙した……裏切者……私を……騙した……よくも……」

 涙が止められない。淑女じゃないからいいよね。悪女だから泣いてもいいよね。顔を涙でぐしゃぐしゃにして罵ってもいいよね。

「……エグランティーヌ様」

「信じていたのに騙したーっ」

 駄目だ。

 もう止められない。

 ポカポカポカポカッ、と固く握った拳を感情とともにアロイスにぶつけた。

「……申し訳ありません」

 悲痛な顔つきで謝罪されても、爆発した感情は鎮まらない。

「……っく……許せると思う?」

「許さないでください。俺も自分が許せません」

「断頭台からどんなに探してもあなたはいなかった。どこに隠れていたの?」

 最期、呪いの言葉を向ける相手はソレル当主ではなく次男坊がよかった。

「申し訳ございません」

「私、生まれ変わる前の記憶があるの」

 腹を括って、明かした。

「……はい」

「ふたつ年下の婚約者と結婚する日を楽しみにしていたの」

「……はい」

「婚約者が初恋相手だったの」

 感情が昂り、明かすつもりのない秘密まで口から飛び出した。

「…………え?」

 その顔は何?

 どうして、驚いているの?

 エグランティーヌの気持ち、知っていたんじゃないの?

「初恋相手に裏切られ続けた人生だったわ」

 私は自分の唇に人差し指で触れてから、アロイスの薄い唇に触れた。これはよそよそしいアロイスに対するエグランティーヌの精一杯のキス。

「エグランティーヌ様?」

 剣みたいに鋭い深紅の目が切なそうに細められる。

 ……あ、この目の細め方は以前と同じ。

 好きだったな。

 ……うん、本当に好きだった。

 今でも好き。

 認めたくないけど、今でも好きなんだ。

「そんなに私のことが嫌いだった?」

 聞くのが怖いけれど、聞かずにはいられなかった。

「……ち、違うっ」

 否定してくれてほっとした。

「ニノンのことを愛していたの?」

「違うっ」

 さらにほっとした。

「ニノンと真実の愛」

 私が嫌みっぽく言うと、アロイスは険しい顔つきで首を振った。

「全然、違うっ」

 アロイスからニノンへの気持ちは感じない。……けど、騙され続けたからわからない。けど、今は信じたい。

「ニノンはどういう存在?」

「単なる幼馴染み」

 アロイスは吐き捨てるように言った。

「幼馴染みにしては親密ね」

「親密に見えるだけです」

「私のことは?」

 今だから、この姿だから、聞くことができる。

 エグランティーヌを好きだった?

 嫌いだった?

「……も、申し訳ございません。……ち、父に背いてお救いするつもりが、魔力拘束具をつけられて監禁されていました……」

 アロイスの赤い目が凄絶な後悔の色に染まる。希有なソードマスターの慟哭を帯びたオーラに触れたような気がした。

 そうじゃない。

 エグランティーヌへの気持ちを聞いたのに。

「守る、って誓ったくせに大嘘つき」

 私と結婚したくなかった?

 私と結婚してもいいと思っていた?

 ダルシアク革命がなかったら結婚していたよね?

 心が震えて、聞きたいのにもう聞くことができない。

「死んでお詫びします」

 真摯な目で言われたけど、馬鹿馬鹿しくてたまらない。死んだら終わり。なんの謝罪にもならない。

「死んでも謝罪にならない」

「……っ……」

「最期の約束、忘れたとは言わせないわよ」

 最期の約束は覚えているらしく、アロイスは苦しそうに瞠目した。

「……エドガール様の行方は掴めませんが、ご無事だと思います。腕の立つ専属騎士と魔法師が付添い、守っていると推測されます」

「エドガールはすでに亡くなったという噂が飛び交っているわ。ソレル伯爵も亡くなったと考えているような態度よ」

「俺がイレールたちと協力し、エドガール様と専属騎士によく似た遺体を並べました。騙された……と思いたいのですが、父のことですからわかりません」

 やり手のソレル伯爵ならば、エドガールを見つけたら遺体にして公開していたはず。アロイスの工作に引っかかってはいないと思う。それでも、表向きには死んだことにしておきたいんだ。

「アロイスは私を守れず、誓いを破った。エドガールは守ってちょうだい」

「命、ある限り」

「二度も処刑される気はないわ」

 あの恐怖と屈辱、思い出したくもない。

「二度と同じ過ちは犯しません」

「通販……商売を始めたら、疑われずにエドガールを探せる。イレールたちを使って、商売を始めるわ」

 車や電車の代わりに馬車が走る世界だけど、魔力持ちの魔法師が作ったさまざまな魔導具があるから不便さは感じない。冷蔵庫やオーブン、暖房器具に変わる魔導具もある。飲食店や衣料店も充実しているけれど、令和を知っているから物足りなかった。王国のみならず大陸中を探しても、通信販売は聞いたことがない。商機はあると踏んでいた。何より、疑われずに弟を探す手段。

「……商売?」

 アロイスの切れ長の目が宙に浮く。

「私も同じ過ちは繰り返さない。明日にも私と一緒に暮らせる屋敷を用意して。イレールたちも一緒よ」

 王女として商売に乗りだしてもいい。けれど、エドガールを見つけ、保護するためにも、誰かに任せたほうがいい。イレールたちが生存していたから実現できる。

「……商売とはドレスか髪飾りの一種ですか?」

 アロイスは冗談を言うような男じゃないから本気だよね?

「何を言っているの。ソレル伯爵もソレル商団を設立したでしょう」

「俺の知る商売ですよね?」

 貴族社会において商売は卑しいもの。商売人もずっと侮辱されてきた。けれど、商人の台頭により、無視できなくなっている。昨今、商売に乗り出す有力貴族も珍しくない。商売の成功はソレルが絶大な権力を持つ原因のひとつ。

「そうよ。ただあくまで目的はエドガールの捜索」

 弟を探すのも、匿うのも、名誉を回復させるのも、お金が必要だと思い知った。

「…………」

「すぐに私のための屋敷を用意して。まず、それだけでいいわ」

「……御意」

 私が指示した通り、アロイスは王都の貴族街に建つ瀟洒な屋敷を買い取った。そうして、三歳の婚約者に捧げた。

 ベルティーユがエグランティーヌの生まれ変わり、という噂に拍車がついた感じ。


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