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第9話 婚約者から捧げられた白亜の豪邸 1

 一国の王女ともなれば、そう簡単に王宮から出ることはできない。三歳児ならばなおさらだ。けれど、アロイスと婚約したから以前より動ける。首席侍女たちもアロイス関係ならば外出に反対しない。嬉しそうに準備してくれる。ベビーピンクのフリフリ三割増しドレスにあわせた帽子や靴を身に着けた。化粧はしないし、香水もつけないけれど、リボンの首飾りや腕飾りがヤバい。自分で言うのもなんだけど、マジ人形。

 エグランティーヌとそっくり、と私は大きな姿見に映る自分を眺めた。

『私の姫様、なんて可愛い。美の女神と花の女神の祝福を受けたのでしょう。旦那様がお嫁に出したくなくて、求婚書を叩き返しても仕方がありません』

 私を庇って亡くなったばあやの言葉が脳内に響き、振り切るように姿見から離れた。ここで泣いたら外出中止になりかねない。

『エグランティーヌ様、絶世の美女だからといって幸せにはなれない。気をつけましょう』

 家庭教師に何度もリピートされたデュクロの格言を思い出し、平常心をキープ。

 ……あれ? 

 侍女たちの化粧がいつもより濃い?

「アロイス様は素敵ですが、秘書官も素敵ですわね」

「アロイス様の副官も素敵ですわ」

「ソレル騎士団の副団長も連れて歩きたいと思いません?」

 ……あぁ、首席侍女たちはアロイスのそばにいるイケメンに興味があるのかな? 愛人候補でも探しているの?

 ……まぁ、私が動けたらなんでもいい。

 本日、アロイスが私のために買った貴族街の邸宅に初めて行くことができた。

 王宮の荘厳な門を出たら、瀟洒な貴族街が広がっている。近いなんてものじゃない。なのに、王太子殿下が昨夜から寝込んでいるせいか、護衛の近衛騎士たちは神経を尖らせている。私の警備は王太女レベルみたい。

 王家の紋入りの馬車からアロイスのエスコートで下りた後、恭しく跪かれる。今日も悔しいぐらいイケメンだ。黒い騎士姿がよく似合っている。宮廷服も似合っていたけれど、アロイスにはやっぱり騎士姿がしっくり馴染む感じ。

「デュクロの煌めく星、ベルティーユ王女にこの屋敷を捧げます」

 魂に焼きついているダルシアク貴族街邸に比べたら塔の数も少ないし、中心の棟は小さいし、正門から建物までの距離も短いけれど、白亜の豪邸だ。王都の貴族街でこれだけの大邸宅を持つ高位貴族は少ない。

「アロイス、ありがとう」

 お礼はきっちり言うこと。

 ばあやの教え。

「本当はダルシアク貴族街邸を捧げたかったのですが、父の承諾が得られず、申し訳ございません」

 アロイスに顰めっ面で詫びられ、私は首を大きく振った。

 今現在、ソレル伯爵がダルシアク貴族街邸を所有している。正直、亡きお父様が使っていた部屋で寝たり、寛いだり、仕事する神経が信じられない。けど、それがソレル・クオリティ。

 王宮にも部屋を賜ったけれど、生活の中心はダルシアク貴族街邸だ。第四王女への贈り物に差し出すとは思えない。

「素敵よ」

 白と金をベースにした建物は、ダルシアク貴族街邸やダルシアク城を連想させる。主塔の窓に刻まれている風や花の女神の彫刻も同じ。

「……気に入ってくれましたか?」

 アロイスの表情はこれといって変わらないけど、不安で揺れていることは伝わってくる。

「アロイスが選んでくれたの?」

「俺はこういうのはわからなくて……ほかにも候補はあったのですが、ダルシアク貴族街邸に一番似ていると思って……すみません……」

 アロイスは視線を屋根に向けながら、歯切れの悪い口調で語った。背後に控えている秘書官が苦笑を漏らしている。

「アロイス、ありがとう」

 あのアロイスが……あのアロイスが私のために選んでくれた?

 それだけでも嬉しくなった。

 エグランティーヌ時代、アロイスは私に贈る花でさえ自分では選ばずに、母親や侍女たちに選ばせていたよね?

 ニノンに選ばれた花は嬉しくなかった。……まぁ、淑女スマイルで受け取ったけど、嫌みのひとつも言いたかった。

 花を選ぶことさえいやな婚約者なのか、ってね。

 後でばあやからアロイスは薔薇と菫の区別もつかない無骨な男だと教えてもらった。

『アロイス様はエグランティーヌ様が大事だから、どんな花を贈ったらよいのか、見当もつかないのでしょう』

 今でもばあやの言葉が耳に残っている。決して私をいやがっているわけじゃない、って慰められた。

『アロイス様は麗しいエグランティーヌ様を意識しすぎているのです。好きすぎて、どうしたらいいのか、わからないのでしょう。ばあやの目を疑いますな』

 アロイスの私に対する態度は恋する不器用な男そのものだ、って。

 信じられない。

 けど、信じたい。

 信じたいのに信じられなくて。

 信じられなくても信じたくて。

 しょっちゅう、グルグルしていた。

「屋敷内、いかようにも手を入れます。仰せになってください」

 アロイスに促され、正面玄関から建物に入る。吹き抜けにダルシアク城で飾られていた四季の女神像があったから、私のテンションは一気に高くなった。白い壁に飾られている絵画やさりげなく置かれている大きな飾り花瓶にも見覚えがある。

「……こ、これ、これ……」

 私の言いたいことが、アロイスはわかったみたい。

「父から奪い……譲り受けました」

 父子関係が垣間見えたけど、スルースキルを発揮するね。

「ありがとう……あ?」

 お父様やお母様と一緒に座った猫脚の長椅子を見た瞬間、泣きそうになった。……けど、すんでのところで涙を止めた。

例によって、首席侍女たちがぞろぞろついている。それでも、ソレル伯爵夫妻やセレスタンがいないからいい。……いや、アロイスが意味深な視線を送ってきた?

「紫色の薔薇が咲く風が吹いているような気がします」

 ……それ、そのセリフの意味は覚えている。

『保存の魔導具が設置されているから言動に気をつけろ』

かつて私が、エグランティーヌの私がアロイスに教えた合図だ。王宮の一角では監視カメラのような保存の魔導具が、それとわからないように設置されている。国王陛下の姪であるエグランティーヌは知っていたけれど、婚約者になった子爵家の次男は知らなかった。

 もし、保存の魔導具に気づかず、王宮で問題のある言葉を漏らしたり、行動してしまったりしたらアウト。

『アロイス、保存の魔導具が設置されている場所は日によって違うの。私が知らないところにも設置されているかもしれないわ』

 王宮の各所に潜んでいる保存の魔導具により、陰謀が未然に防げたケースがあったという。冤罪も晴らすこともできたみたい。

『保存の魔導具ですか?』

『気づいたら、合図を送ります……合図の言葉を口にするわ』

 お父様から王宮で設置されている保存の魔導具の種類はレクチャーされていた。照明の魔導具に見えたり、彫刻に見えたり、地球儀に見えたり、様々。

『合図の言葉? 女神が我らに微笑んだ、とか?』

『それはダルシアク騎士団の出陣の合図でしょう』

『保存の魔導具に撮られても構わない言動を常に心がけます』

『紫色の薔薇が咲く風が吹いている気がします……これが合図よ。アロイスも保存の魔導具に気づいたら教えてちょうだい』

 あれは婚約して間もない頃、国王陛下に婚約を許可してくださったお礼のために王宮に上がることになった時。

 つまり、私に捧げられた屋敷にも保存の魔導具が設置されているの? アロイスの意思じゃなくて父親のソレル伯爵の意思ね? アロイスは拒めなかった? ……もしかして、あえて拒まなかったのかもしれない?

 どちらにせよ、大切な会話はできない。けど、このチャンスを逃したら会話できない。ふたりで並んで歩いている場合じゃない。三歳児の必殺技を使うしかない。

 私は左右の手をアロイスに向かって伸ばした。

「アロイス、だっこ」

 私の真意がわかったらしく、アロイスは恭しい態度で跪いた。

「失礼します」

 逞しい腕に私は軽々と抱き上げられる。固い筋肉に密着して、ドキドキしたから困った。こんなことぐらいで情けない。……って、しょうがないじゃん。

「うわぁ、高い」

 全力を傾けて無邪気な子供を装う。視線が変って周囲が一望できた。首席侍女たちは淑女仮面を被っている。

 これもすべてソレル伯爵に報告するのかな?

 私の家庭教師も全員、ソレル派で揃える気だよね?

 いつの間にか、私の専属騎士だったアルチュールの乳母の甥はいなくなっていた。真っ直ぐで優しい騎士だったのに。

 自分の意思で何もできないことが悔しい。

「アロイス、あっち」

 保存の魔導具がないところに連れて行け、と私は心の中で訴えた。

 アロイスには通じたらしく、私を抱っこしながら天井の高い廊下をゆっくり進みだした。芸術の女神像の前も悠然と通り過ぎる。当然、首席侍女たちも一定の間隔を取ってついてきた。どうやったら振り切れるのかな? アロイスとふたりきりになりたい、って恋する乙女の顔で言っても無駄かな?

「あちらですね」

「こっち」

 安全なところに連れて行け、という気持ちをこめて私は闇雲に人差し指で指した。きちんとアロイスには通じたみたい。指さなかった方向に進んだ。

「こちらですね」

「こっちなの」

「御意」

 安全区域に入ったらしく、紅色を基調にした部屋で立ち止まった。繊細なレースがふんだんに使われ、猫脚のテーブルや花柄のソファーも乙女系だ。広い部屋ではないから、首席侍女たちは入室しない。

「おうち、可愛い。ありがとう」

 天井の高さや広さは比べようもないけれど、あちこちにダルシアク城の雰囲気が流れている。この部屋はエグランティーヌが使っていた部屋そのものだ。出窓には亡きお母様からもらった人形とよく似た人形が座っている。無意識のうちに、手が伸びていた。

「ベルティーユ様?」

 アロイスに怪訝そうな目で聞かれ、私は慌てて手を引っ込めた。

「……なんでもない」

 私とアロイスのやりとりを見ていた秘書官が出窓の人形を手にした。

「こちらですか?」

 スッ、と私のほうに差しだす。

「……あ」

「ベルティーユ王女のため、アロイス様がご用意された人形です」

 ……いや、アロイスの前で人形は恥ずかしい。……なのに、私の手は意思を裏切って人形を抱いていた。これ、精神年齢が身体に引きずられているのかな? よくあるのよ。

「お気に召されたのなら幸いです」

 アロイスが安堵の息を吐いたので、私の中で何かが弾けた。

「あのね」

「はい?」

 私は甘えるようにアロイスの首に抱きつき、耳元に小声で囁いた。

「お願い」

「なんでも仰せになってください」

「侍女たち、みんな、ソレルの手先。いや」

 アロイスもわかっているらしく、沈痛な面持ちで謝罪した。

「……申し訳ございません」

「交替させて」

「できる限りの手を打ちます」

 曖昧な返事にムカつく。

「どんな手を使ってもいいから」

 私は悪女。

 手段は選ばない。

 邪悪な表情を浮かべると、アロイスは伏し目がちに答えた。

「御意」

 やった。

 勝った。

 心の中でガッツポーズを取ると、アロイスは窓の外に目を向けた。優雅な噴水の向こう側には薔薇園が広がっている。

「薔薇?」

「ご覧になりますか?」

 部屋から庭に出ると、薄い紫色の薔薇から濃い紫色の薔薇まで綺麗に咲いている。王室の紋のモチーフになった品種の薔薇もあった。亡きお母様やエグランティーヌが紫色の薔薇に喩えられたから、ダルシアク城や貴族街邸でも紫色の薔薇を絶やさなかった。

 イレールなど、つる薔薇のアーチのそばでは懐かしい顔が並んでいる。

「イレール」

 相変わらず、男泣きしている。

 私はアロイスに抱っこされたまま、イレールの顔をぺちぺちした。

「イレール、ばあやに会いたい。お墓参りちたい」

 ……あ、舌が回らなくなってきた。

 けど、ちゃんとイレールには通じた。

「……う……うぅ……」

「ばあやの好きなお花、あげるでち」

「……うぅぅぅぅぅぅぅ……」

「クロエにもお花、パルミエあげゆ。ごめんなちゃい、ちゅる」

 クロエはばあやの娘でイレールの姉だ。私の専属侍女だったけれど、友人というか、姉みたいな存在だった。大好物が『ヤシの木』という意味のパイ。

「……うぅ……」

 クロエも私を守るため、命を落とした。

「リアーヌにもお花、カヌレあげゆ。ごめんなちゃい、ちゅる」

 リアーヌはイレールの恋人で結婚式を控えていた。私の専属侍女だったけれど、クロエと同じように友人とも姉とも言うべき存在だった。

「……うぅぅぅぅぅぅぅ」

 リアーヌも私を庇って、荒れ狂う領民の前に身を投げだした。あんなにイレールとの結婚式を楽しみにしていたのに。

 イレール、苦しいよね?

 私もずっと苦しかった。

 断頭台で処刑されるなら、お父様と一緒に撲殺されてしまえばよかった。そうすれば、クロエやリアーヌまで命を奪われることはなかったよね?

 ごめんなさい。

 言葉にして謝罪したいのに言葉にならない。

「ベルティーユ様……………………………………エグランティーヌ様、泣かないでください」

 アロイスに切なそうに言われ、私はしゃくりあげながら言った。

「……っく……ばあやが歌ったお歌、歌って。……ひっくっひっくっ……クロエが踊った。踊って」

 イレールの男泣きがバージョンアップすると、アロイスは眉を顰めながら顎を杓った。合図だったらしく、トピアリーの後ろから黒いローブ姿の男が現れた。

「麗しの姫君、涙を止める魔法はありません。勘弁してください」

 黒いローブ姿でも秀麗な美貌は隠せない。一度でも見れば忘れることはないだろう。かつての私のように。

「……っく……コランタン? 魔法師コランタン?」

 私は手を伸ばし、コランタンのチェリーブロンドに触れた。オッドアイの威力も尋常じゃない。幻想ではなく本物だ。

「第四王女とは一度もお目にかかったことはございませんが、エグランティーヌ様とは何度かお目にかかったことがございます」

 アロイスから聞いたのか、聞かなくてもわかるのか、不明だけど、確実にコランタンは私がエグランティーヌの生まれかわりだと知っている。

「どちてここ、いるの?」

「アロイスに脅されたからです……あ、完了」

 パチン、とコランタンが指を鳴らすと、アロイスは私を抱いたまま、プラタナスに囲まれた離れに向かって歩き出した。イレールも嗚咽を零しながらついてくる。

 けれど、首席侍女たちは微動だにしない。王宮からついてきた近衛騎士たちにしてもそうだ。

「……あ、あれ? わたくちとアロチ」

 一瞬、見間違いだと思った。

 けど、錯覚じゃない。

 心地よい風が吹く中、アロイスに抱かれた私が薔薇のベンチに腰を下ろしている。傍らではイレールが控えていた。

「王家の色を受け継ぐ姫も惑わせたら完璧です。自画自賛させてください」

 コランタンが妖艶な微笑を浮かべたから、私は思い当たった。

「……あ、魔法師コランタンの魔法?」

「幻覚魔法の一種、影人形。首席侍女たちをまくため、姫やアロイスの人形を作りました。話しかけられなければバレないでしょう」

 こんなに完璧な幻覚魔法の使い手は聞いたことがない。

「ちゅごい」

 さすが、王室専属の名誉を蹴り飛ばした天才魔法師だ。お母様やお父様に請われてダルシアク城に滞在したこともあった。それでも、ダルシアクの魔法師にはなってくれなかった。どこにも属さず、主義もなく、自由に生きている魔法師……うん、変人と評判の魔法師。

「お褒めに預かり、恐悦至極」

 芝居がかったポーズもやけに絵になる。

「弟、どこ?」

 コランタンならエドガールの行方がわかるはず、と私は勢いこんだ。

「それがわからないから、アロイスが怖い」

 コランタンが大袈裟に肩を竦めると、アロイスの鋭い双眸がさらに鋭くなった。イレールも涙目で睨んでいる。

「どちて、わからないでち?」

 王室専属魔法師を凌駕するコランタンなら打つ手はあるはず。

「魔法には限りがあります」

 できることとできないことがある、と美麗な魔法師は言外に匂わせた。離れに入る足取りが早くなる。

 こら、逃さないよ。


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