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第10話 婚約者から捧げられた白亜の豪邸 2

 離れは使用人棟らしく、内装自体に華やかさはないし、美術品は見当たらない。それでも、手入れは行き届いている。チェストの白い陶器には紫色の薔薇が生けられていた。

「コランタン、てんちゃい」

 天才魔法師、と言いたかったのに舌足らず発揮。

 うぐぐぐぐ、と唸りつつ人形を抱き締めた。

「薔薇の姫、可愛い……だから、悲しませたくない。これ以上、苦しめたくないのでさっさと会ってください」

 コランタンが逃げこむように入室した部屋には白髪の目立つ女性がいた。

 ……いや、夢にまで見たばあやが立っていた。最期に会った時より、だいぶ痩せている。けれど、私を庇って背負った傷は見当たらない。あの時、両目にはそれぞれ矢が刺さっていたのに、ばあやのプルシャンブルーの瞳は開いている。耳も半分切られていたのに、傷跡さえない。どういうこと?

「……え? ……ばあや?」

 まさか、コランタンが作り出した影?

 驚愕で手から人形が滑り落ちたけど、床すれすれでイレールがキャッチ。

「……エグランティーヌ様の幼い頃にそっくり……アロイス様にお聞きしましたが……信じられませんでしたが……信じられなかったけれど、会えばわかると……あぁ……」

 私の魂に残っているばあやの声。

 アロイスは私を抱いたまま、ばあやの前に大股で進んだ。

 ほんの一瞬で、手を伸ばしたらばあやに届く距離。

「……ば、ばあや? 私のばあや?」

 たまらなくなって、私は勢いよくばあやに飛びついた。

 すぐに、ばあやも優しく抱き返してくれる。

 ばあやの匂いだ。ぬくもりも同じ。

「……あぁ、エグランティーヌ様……」

 間近で見るばあやの顔にも手にも傷は残っていない。

「ばあや? ばあや? ばあや?」

 私にとって第二の母のような存在。

 私がエグランティーヌの生まれかわりだって知っている? 信じてくれる? 信じてくれているの?

「エグランティーヌ様、お助けできず、申し訳ございませんでした。惨い……まさか、なんの罪もないお嬢様を処刑するなんて……私が代わりに処刑されたかった」

 ばあやに咽び泣きながら謝罪され、私は頬を摺り寄せた。

「ばあや、無事……無事だからいい」

「エグランティーヌ様……おいたわしい……誰よりもお優しいお嬢様が……何故……このような凶行は許されません」

「ばあや、よかった」

「私どもはソレルの悪行に気づかなかった。多くの裏切者にも気づかなかった。愚かでした」

 ばあやは城内のちょっとしたことに不信感を抱くようになっていたけど、当日になるまで領内の真実に気づかなかったという。

「ばあや、悪くない」

 ばあやに張りついていると、背中越しに懐かしい声が聞こえてきた。

「エグランティーヌ様、お守りできず、申し訳ございません」

 振り返れば、私を庇って亡くなった専属侍女がふたり、跪いている。暴徒と化した領民に滅多打ちにされて息絶えたのに。

「……クロエ? リアーヌ?」

 私の友人であり、姉でもあったふたりだ。ばあやと同じ落ち着いた金髪がクロエ、金茶色の髪がリアーヌ。

「エグランティーヌ様ーっ」

 クロエやリアーヌに続き、ダルシアク城の料理長や執事見習い、庭師たちも続々と現れた。みんな、私の盾になった人たちばかり。

 これはいったいどういうこと?

 夢じゃないよね?

 夢なら覚めないでほしい。

「……っく……リュカ……リュカ……よかったーっ」

 私は順番に抱き着きながら、声を上げて泣き続けた。目が腫れて重くなっても涙は枯れない。時間が限られているから、涙を止めたいのに止められない。

「可愛い姫様、もう大丈夫ですよ。ばあやもイレールもクロエもリュカもエマもローランもケヴィンもレナルドも……みんな、姫様をお守りします。怖いことは何もありません」

 ばあやの何度目かのキスでようやく涙の決壊は止まった。けど、目がとんでもない。首席侍女たちに見せるわけにはいかない。

 ばあやの膝でマシュマロを浮かべたショコラを飲んだ後、コランタンが回復魔法で目を回復してくれた。

「コランタン、すごい」

 王室専属魔法師でもこんな即効性のある回復魔法は使えない。当代随一、って称賛されるわけがよくわかる。

「人には得手不得手があります」

「コランタン、人なの?」

 人間だとわかっているけれど、傑出した魔法を目の当たりにしたから、つい口からポロリ。

「当たり前です」

「エグランティーヌ様のお気持ち、よ~くわかります」

 ばあやだけでなくクロエやリアーヌ、イレールたちも同意するように相槌を打つ。

 そうして、死んだと思ったみんなが生きていた理由を聞いた。ダルシアク革命の前日、アロイスが最北の魔塔に忍びこみ、籠っていたコランタンと交渉したという。

『当代随一の呼び声が高い魔法師、いずれ、父が何かすると思う。エグランティーヌ様やエドガール様を守ってくれ』

『ソレル子爵がダルシアク公爵の圧政を断罪する。そんな噂が流れきた。魔塔で回復魔法の研究をしているうちに、ダルシアク公爵の性格が変わったのか?』

 民から税金を搾り取るような暴君じゃなかったよな、とコランタンは独り言のようにブツブツ続けた。

『その件に関し、俺は何も言えない。……が、頼む。エグランティーヌ様を守ってくれ。俺には守る力がない』

『君はソレル子爵の息子だろう?』

『父にとって俺はただの道具だ。肝心なことは何も聞かされていない』

『底が知れない魔力を秘めた息子がチェスの駒?』

『そうだ。逆らえば始末されるだろう』

 コランタンは魔獣討伐を交換に引き受けたという。ただ、ダルシアク入りした時、すでに領民は蜂起していた。

 アロイスも驚き、後手に回ったという。

 ダルシアクで最も血が流れた日、私を庇ってばあややクロエ、リアーヌたちはそれぞれ致命傷を負った。けれど、命は尽きていなかった。

『こいつ、エグランティーヌの侍女だ。いつもそばにいたーっ』

『こっちには悪女を育てたが女がいる。平民じゃなくて貴族だぞ。ダルシアク傘下の男爵家出身だっ』

『雑魚はいい。どうせ、ほっておいても死ぬ。さっさと悪女を探せーっ』

『金食い虫の悪女はどこに隠れた?』

 領民たちは瀕死状態のばあやたちに止めを刺ささず、死体の山に放り投げたという。コランタンが紛れこみ、回復魔法で応急処置を施してから、安全な場所に瞬間移動魔法で避難させたらしい。ただ、私が捕まって地下牢に投獄された時、コランタンは魔力の使い過ぎで倒れたそうだ。

 イレールたちも回復魔法で命は取り留めたものの、歩ける状態ではなかったという。コランタンが意識を取り戻した時、エグランティーヌの処刑は終わっていた。

「エグランティーヌ様、お助けできずにすまない」

 コランタンに謝罪され、私は首を力の限り振った。

「ばあやたちを助けてくれました。感謝します」

「まさか、エグランティーヌ様を処刑するとは思わなかった。それもあんなに早く……異常すぎる」

 誰もが口を揃えること。

「はい。異常でした」

 エグランティーヌの処刑は異常。

 ダルシアク革命自体、異常。

 今のソレル伯爵も異常。

「アロイスも私も知らない裏があるのでしょう」

 コランタンの見解に私は全力で同意した。

「はい」

「あの日、私の魔力も半分以下になっていた。どの魔法に対していつもより二倍以上の魔力を要した。腕のいい魔法師がソレルについていたと思われますが、アロイスには心当たりがないらしい」

 コランタンが確かめるように視線を流すと、アロイスは憮然とした表情で口を挟んだ。

「父のそばに魔法師はいない」

 強力な魔力持ちと魔法師は違う。

「嫌いだった?」

 私がズバリ聞くと、アロイスは大きく頷いた。

「はい。父は魔法師が嫌いです」

 アロイスは断言したけど、コランタンは否定するように手を振った。

「この私を妨害できる魔法師がいた。それは確かだ。エグランティーヌ様、何かご存じありませんか?」

 王国ナンバーワンの魔法師と張り合う魔法師? 王室専属魔法師でもコランタンの足元にも及ばない、って聞いたことがあるよ?

 私が答える前、アロイスが遮るように言った。

「父は魔法師を寄せつけることもしない」

「どうして?」

「知らない」

 アロイスがあっさり言うと、コランタンは馬鹿らしそうに肩を竦めた。

「王宮にあれだけ食いこんでいるんだから、王室専属魔法師とは上手くやっているんだろう?」

「父と王室専属魔法師の仲は険悪だ」

 アロイスの言う通り、王宮でもソレル伯爵と王室専属魔法師のいがみ合いは聞く。首席侍女たちも嘆くように話していた。

 けど、ダルシアク革命を知っているから信じられない。……うん、ソレルには何から何まで騙された。

 その中でも領民死亡者の数、税収入関係、訴状の多さ、どれだけ偽っていたか。

「アロイス、ソレルのことだからわからない」

 表向き、ソレルと対立していた税担当者が裏では結託していた。表向き、懇意にしていたベテラン執事をソレルは真っ先に殺めた。王室専属魔法師と険悪な噂も、ソレル自身が流しているのかもしれない。

「エグランティーヌ様?」

「ソレルは大嘘つき」

 私の一言で思い当たったらしく、アロイスの上半身が揺れた。

「……あ」

「ソレルのそばに魔法師はいる。要注意」

 私が結論のように言い切ると、コランタンも神妙な面持ちで頷いた。

「……そうですね。エグランティーヌ様の仰る通りです。ソレルのそばには凄腕の魔法師がいるものとして行動しなければなりません。今後、ベルティーユ王女、もしくは姫とお呼びします」

 エグランティーヌ様呼びは禁止、とコランタンは周囲を見回した。クロエやリアーヌたちは真剣な顔で頷く。

「エドガールを助けて」

 何よりも大事な要件。

「エドガール様はかくれんぼがお上手ですね」

 稀代の魔法師が匙を投げているような気がしないでもない。アロイスやイレールは今にも剣を抜きそうだけど、風か何かのように無視している。

「通信販売の商売で探す」

 考えれば考えるほど、通信販売は今の王国で画期的な商売だと思う。平民の台頭が著しい今、受け入れられる自信があった。一部の特権階級以外、王都ではお金があっても地方の名品を手に入れることは難しい。その反面、地方にいれば王都の名品はなかなか手に入らない。地方で安価でも王都では高値なものも多い。その反面、地方で高値でも王都では安価なものもある。

「……はい? 新しい魔法ですか?」

 コランタンに不可解そうな目を向けられ、私はばあやの膝で頬を紅潮させて力説した。

「エドガールやお父様の好きなものを扱えば気づいてくれるかもしれない」

「人形より愛らしい姫、もう一杯ショコラでも飲みましょうか」

 コランタンが手を振ると、クロエがワゴンでショコラの用意をした。苺風味で美味しそうだけど、それどころじゃない。

「トロトロちてる時間ない」

 ……あ、呂律が回らなくなってきた。

 通信販売について話をしたいのに。

「……さようですね。あの時、ダルシアク革命の異常な激しさと早さに応対できなかった。通信販売というタルトについてお聞きします」

「タルト? 違う。つうちんはんば……眠い」

 凶悪な睡魔に襲われ、私は目をこすった。

「あらあら……エグラ……いえ、姫様、おねむですか?」

 ばあやが遠い日と同じ顔と手つきで私をあやす。

「……うぅ……」

 どうして、こんな時に眠くなるの?

 まだまだ話したいことはたくさんあるのよ。

 三歳児の身体が悩ましい。

「おねんねしましょうか」

 駄目だ、睡魔に勝てない。

「ばあや、お歌」

 過ぎし日のように、私は子守歌を聞きながら深い眠りに落ちた。安心して目を閉じることができたのは久しぶりだ。


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