目を覚ました時、私は王宮にある第四王女の寝室で寝ていた。呼び鈴を鳴らす間もなく、若い専属侍女が近寄ってくる。
「ベルティーユ王女様、お目覚めですか?」
「……ん?」
天蓋付きの寝台の中、私はもぞもぞと上体を起こした。
「おはようございます。朝陽が麗しき姫を祝福しています。緑の大地と清き風が姫をお待ちでございますよ」
貴族辞書で要約・朝だからさっさと起きろ。予定が狂ったら私たちが怒られるのよ。
「おはよう」
姫生活に二度寝やパジャマでだらだらは許されない。
「よくお眠りでしたね。昨日のことを覚えていらっしゃいますか?」
昨日はばあややクロエたちに会った、と言いかけたけどすんでのところで止められた。夢じゃないよね?
枕元には昨日、抱いた人形がある。傍らの椅子にはばあやが私のためを思って編んだというレースのショールも。
夢じゃなかった証拠だ。
「アロイスと会った」
「さようでございます。アロイス様から捧げられた貴族街邸を訪問されました。ショコラをお飲みになった後、お眠りされたそうです」
アロイス様からの贈り物です、と枕元の人形や椅子のショールを差した。
「……ん」
目をこすろうとすると、専属侍女にやんわり止められる。目の前に用意された陶器に注がれたお湯で顔や手を洗った。口もゆすぎ、髪をとかされる。
基本、私は寝台の中にいるだけ。
すべて専属侍女に任せていればいい。
このお目覚めはエグランティーヌ時代と一緒だ。例外はあるらしいけれど、基本、どこでも貴族は寝台で朝の準備をするという。飲み物とパンなどの軽い朝食もベッドの中ですませる。
昨日はばあやの子守歌で寝落ちした後、私は寝台に運ばれた。その後、コランタンの魔法により、首席侍女たちを寝台で眠る私まで巧みに誘導できたみたい。
改めて考えても、コランタンはすごい。人間だけど、常軌を逸している。けど、そのコランタンに匹敵する魔法師がソレル伯爵のそばにいる、ってこと? 王室専属魔法師じゃないよね? そんなすごい王室専属魔法師がいたら、亡くなった王女や王子たちは助かっていたんじゃないかな?
……あ、コランタンなら助けられた……いや、病気は苦手だ、って言っていた。病気の回復魔法が使えたら、お母様も助かっていたよね?
コランタン自身、そんな魔法師に心当たりがないみたいだし。第一、魔法師自体、少ないし。デュクロでも数えるぐらいしかいないよね?
う~ん、と私がタオル代わりの絹を手に唸っていると、専属侍女に真っ青な顔で取り上げられた。
「お腹が空いても召し上がってはいけません」
お腹が空いて絹を食べようとした、って勘違いしたの?
私、食い意地の張った王女?
「……え?」
「少しお待ちください」
誤解を解くのも面倒でスルー。
銀のワゴンには朝食が用意されている。パン籠には何種類もの焼き立てのパンが盛られていた。コンフィチュールは木苺とマルメロの二種類。
手早く、ベッドに朝食が準備された。
「王女様、お召し上がりください」
今日の朝食はアーモンドミルクで割ったショコラとパリパリのクロワッサン。追いバターはせず、ショコラにクロワッサンをつけて食べる。
マジ飛ぶ。
列強でも傑出した美食の国だから、何を食べても美味しい。パンひとつでも味が違うの。素材自体がいいんだと思う。酪農大国だからバターもチーズも美味しいし。
「おかわりは如何ですか?」
ブリオッシュもカンパーニュもフーガスも美味しそう。ナッツを混ぜたチーズは間違いなく美味しい。
「もういい」
昼食にご馳走が並ぶから、朝食で限りある胃袋をパンパンにしたくない。令和の日本の残念な人生を未だに引きずっている。
私は絹で口を拭いた後、天蓋付きの寝台から下りた。
ここでほかの専属侍女たちもわらわらと入室してくる。
「デュクロの煌めく星、よい朝でございます」
朝の挨拶の後、ドアの向こう側に移動した。衣裳部屋で身なりを整える。基本、私は立っているだけでいい。あっという間に、私は絹の寝間着から花柄のドレス姿だ。子供だからまだドレス丈はそんなに長くない。ただ、フリルとリボンは半端ない。それにしても、防犯用の魔石のアクセサリーが重い。
「ベルティーユ王女様、鏡をご覧ください。美の女神がいますよ」
口の上手い侍女に言われ、私は鏡を覗きこんだ。
自分の顔を見るたびに思うけど、マジ可愛い。……可愛いっていうより幼いのに美人顔だよね。これ、エグランティーヌそっくり。
「髪の毛と瞳の色は違いますが、王太后陛下の子供の頃にそっくりです」
年嵩の専属侍女に懐かしそうに言われ、私は瞬きを三回。
「……お祖母様?」
フレデリク八世と王妃の間に第一王子が誕生した後、王太后は自ら離宮に下がった。控えめな淑女だ。表舞台から遠ざかっても国母を慕う人々は多い。
エグランティーヌ時代、亡きお母様と一緒に何度も会った。可愛がってもらったけれど、ダルシアク革命に関し、沈黙を貫き通している。フレデリク八世同様、ダルシアクを見捨てたんだ。
チクリ、と胸が痛む。
お祖母様が好きだったからね。
お父様とお母様が仲睦まじいことをとっても喜んでくれた。
「ハーニッシュ帝国随一の美貌と謳われた皇女様がフレデリク七世の正妃になり、リュディヴィーヌ王女様とフレデリク八世をお産みになられました」
……あ、人差し指を立てている。
これ、教育しているつもりなのかな?
ちょっと違うよ。
成婚した時、まだフレデリク七世は王太子だった。当時の宰相はダルシアク公爵、つまりエグランティーヌのお祖父様。
「はい」
フレデリク六世の御世、終わりの見えない戦争を止めるため、デュクロ王国の王太子とハーニッシュ帝国の皇女の縁談がまとめられた。すでに王太子には意中の令嬢がいたのに。
「美貌はそのままそっくり、リュディヴィーヌ王女様が受け継ぎました」
うん、エグランティーヌはお母様のリュディヴィーヌ王女にそっくり。つまり、お祖母様から脈々と受け継がれた美女ルート?
「はい」
「ベルティーユ王女様はお父様を経て、王太后陛下から美貌を受け取られたのでしょう」
……あれ?
エグランティーヌをすっ飛ばした?
「……はい」
「王家の紫色の瞳はお父様から、美貌はお祖母様から、素晴らしいです」
「……う、うん」
意図的にエグランティーヌをすっ飛ばした? そういえば、ほかの侍女たちもエグランティーヌの名前を出さなくなったよね? 陰では出ているのかな?
「ベルティーユ王女様はお祖母様にそっくりです。よろしいですね?」
「伯母様やエグランティーヌ様に似ている。聞いた」
「リュディヴィーヌ様にも似ていらっしゃいますが、元々、その美貌は王太后陛下から受け継いだもの。ベルティーユ王女様はお祖母様似です。よろしいですね?」
これ、逆らったらあかんやつ。
「はい」
「王太后陛下は王女様のご成長を楽しみにしていらっしゃいます。少しでも気分が悪くなったら教えてくださいましね」
その言い回し、引っかかっる。
もしかして、とうとう王太子殿下が?
「……ま、まさか、お兄様?」
寝台で寝込んでいる姿しか見たことがない。それでも、お見舞いに行けば優しい言葉をかけてくれた。
「……王太子殿下は体調が優れず、臥せっておられます。お見舞いは控えましょう」
やっぱり、悪いんだ。
「まじゅちち」
魔法師と言いたいのに言えない悔しさ。
けど、通じたみたい?
「……魔法師と仰せになったのですか?」
「お兄様、元気」
宮医の領域じゃないよね?
王室専属魔法師は何をしているの?
「なんてお優しい姫様なんでしょう。国王陛下も王太后陛下も当代随一の魔法師を探している最中です」
「そうですわ。魔法師のトップ……コランタン様ならばきっと王太子殿下を救ってくれるはず」
コランタンの名前が出たからドキッ、としたけれど顔には出さない。ギリセーフ。
「コランタン様、気まぐれだとお聞きしていますが、いったいどこにいるのでしょう?」
「最北の魔塔に籠っていると聞きましたが、再三の陛下のお召しも無視されて……」
「魔法師に不敬罪は適用されませんもの」
魔力と魔法は違う。
私もエグランティーヌも火と風という二種の魔力を持っていたから、手から火を出して風に飛ばすことができた。庭の枯れ葉を燃やすには便利だった。不埒な輩を退散させたこともある。けれど、それぐらい。
どんな強力な魔力を持っていても、回復魔法や浄化魔法など、魔法として使えるのは魔塔で厳しい修行を積んだ魔法師だけだ。魔法を悪用しない、という魂の誓いを立てている。それ故、不敬罪は免除されていた。
コランタンがばあやたちを助けてくれたし、エドガールの捜索にも協力してくれる。それはアロイスが交渉したから。
ちゃんとアロイスは私やエドガールを助けようとしていたんだ。それは嘘じゃなかったんだ。本当だったんだ。今も守ろうとしてくれているんだ。
……って、喜んでいる場合じゃない。
ソレル伯爵のそばにコランタンに匹敵する魔法師がいるから危ない。一日も早くエドガールを探すためにも、通信販売をスタートしたい。
なのに、今日もソレルに買収された侍女たちに囲まれて身動きできない。
家庭教師もソレルに買収された伯爵夫人じゃん。
「ベルティーユ様、よくお聞きください。デュクロの平和はソレル伯爵によって守られています。ソレル伯爵がいなければ、クグロフもショコラのムースも木苺のタルトもビスキュイもお召し上がりになることができません。人形も持てません。おわかりですね?」
これ、淑女教育じゃなくて洗脳じゃね?
ソレル伯爵礼賛を叩きこもうとしている?
「お父様より偉いの?」
「お父様には内緒ですよ。ソレル伯爵はお父様より偉いのです。けれども、言ってはいけません。言ったら鞭で打たれます。おいやでしょう?」
鞭打ちで脅迫?
どうしたらいいの?
リアル三歳児だったら、洗脳されていたかもしれない。
ようやく洗脳授業を終えた時、私は疲れ果てていた。
けど、ぐったりしている暇はないの。