太陽の日差しが部屋に差し込む。重い体を起こして、洗面所に向かう。
おもむろに歯ブラシに歯磨き粉をつけて歯を磨く。
目をこすって、あくびをした。
泡が想像以上に広がった。咳をして、むせた。
「うわ、洗顔フォームだし!! 最悪だ」
翔太は慌ててうがいをして、口の中に入った洗顔フォームを洗い流した。
「翔ちゃん、どうしたの?」
後ろから、寝起きの莉華が声をかけた。
「あのさ!! 歯磨き粉の隣に洗顔フォームをおかないでくれない? 間違って歯ブラシつけちゃったよ」
「えー、だって、それはつけた人の責任でしょう。私、関係なくない?」
「……」
何だか腑に落ちない。複雑な気持ちだ。今すぐ逃げ出したい。本当ならば、夜のうちに帰る予定が濃いお酒をすすめられて、そのまま寝ついてしまった。買い物帰りに送ったまま莉華の家に泊まってしまった。そして、寝起きで歯磨きでこの有様。踏んだり蹴ったり。
翔太はハンガーにかけさせてもらっていたベージュのジャケットを着て、帰る支度をした。
「もう、帰るの? まだいてもいいんだよ。朝ごはんも作る」
「いや、いい。ちょっと用事あったから。帰るわ。泊まって悪かったな」
玄関で靴を履いていると、横に立つ莉華がボソっとつぶやく。
「……翔ちゃん。私は、いつでも待ってるから。過去のことは気にしないで」
翔太は、玄関のドアを触れて、後ろ向きのまま話し出す。
「……俺はもう、ここには来ない。連絡はこれっきりにしてくれないか。
もう、迷惑なんだ」
莉華はハッと息をのむ。静かに涙を流した。何度も言ってる。何度も振られてる。わかっていたことなのに、聞くのは辛い。返事を待たずに、翔太は立ち去った。
コテコテのこってりラーメンのように莉華はしつこかった。何度も断っても連絡をしてくる。会社の上司の親戚ということもあり、断りずらい状況を作られては、連絡をスルーしてもなぜか翔太にたどり着く。
(本気で転職考えようかな……)
ため息をついて、都会の喧騒の中、歩行者信号機が青になるのを待って、空を見上げた。こんなにモヤモヤしているのに、空は雲が全くない。悔しいくらいに快晴そのものだった。星矢に会いたいなと考える。
いろんなことがありすぎて、本当にしたいことやりたいことに目を向けることができなかった。
ポケットに入っていたスマホを取り出して、耳にあてる。コールが鳴り響く。
『はい』
「あ、星矢か?」
『先輩、どうかしたんですか?』
「今どこにいる?」
『え、ここは……えっと……あれ?』
街中の交差点。デパ地下のローストビーフ丼が気になって買っていた星矢が、翔太のいる横断歩道の向こう側で歩いていた。星矢はまだ翔太に気づかない。
「あ、そこにいて。今行くから」
『え?』
スマホの通話終了ボタンが押された。翔太は横断歩道を渡って、星矢のいる歩道まで駆け寄った。肩を軽くトンと触れた。
「あ!!先輩。なんだ、近くにいたんですね。びっくりしました」
「星矢……やっとゆっくりできるよ。今日、お前んち行って良い?」
星矢は一つしかないローストビーフ丼のビニール袋を後ろに隠した。本日限定品で売り切れている。A5ランクの牛肉だ。同じものを買えない。ざわざわとした。
「え、えっと、それは……」
「なんだよ、ダメなのかよ」
「そ、そういうわけじゃないですけど。あーーー、わかりました。はっきり言います。このローストビーフ丼が本日限定商品でもう売り切れなんです。だから、独占して食べたいので先輩には分けられませんよっていう……」
「……なんだよ。別にいいよ。思う存分食べればいいだろ。好きなだけ食べろよ。俺は……そうだな。牛丼屋のテイクアウトして帰るから。それでいいか?」
「……いいんですか?絶対分けませんよ? すっごい高くて分けるのが
もったいないですから」
その言葉を聞いて、ざわざわとざわつく街のど真ん中で翔太は爆笑した。
「星矢、ウケるんだけど。そこまではっきり独占されると、余計に食べたくなるなぁ」
星矢は、爆笑する翔太を見て、赤面した。ビニール袋を大事そうに抱きしめる。翔太は、星矢の耳のそばで小声で言う。
「俺は、ローストビーフよりもっと
ふーっと耳に風を送った。星矢は鳥肌が立つくらいに震えた。
頬を赤くする。
「え? え? え? それってどういう意味ですか?」
久しぶりに星矢と2人きりになれることがかなり嬉しかったようで、星矢の家に着くまでずっと鼻歌を歌っていた。
手にはしっかりとテイクアウトして買った牛丼を持っていた。
玄関に入ってすぐの壁に星矢を寄せて、翔太は首筋に顔を近づける。
「俺、やっぱ、星矢じゃないとダメかもしんない」
お互いに興奮した体はほてっていた。持っていたビニール袋は足元に落ちた。
もう牛丼よりもあんなに食べたがっていたローストビーフ丼よりも熱くなるものがあった。
翔太の想いに星矢も拒否する理由が見つからない。
気持ちがホームポジションに帰ってきた感覚に陥った。
あたたかくてほんわかする。
一つ一つからだに触れる指先が丁寧で安心した。
2人は会っていない時間を埋めるように濃密なひとときを過ごした。