窓からは、雨が降ってきたのが見えた。まるで、柚羽の心がないているみたいに。
「今回のはいつもより上出来じゃない。まぁ、見た目だけかもしれないけど」
担当のネチネチおばさんは、嫌味っぽく言った。
「是非、ご試食を……」
「食べないわよ、私は見ただけで分かるんだから。馬鹿にしないでちょうだい」
柚羽が試食を促そうとしたが、完全にお断りムードが漂っていた。
「なら、これはいかがでしょうか?」
柚羽が前に出て話を進めていたのだが、いても経っても居られなくなったのか、千隼が話に混ざってきた。
「あら、私なら卵とじも良いけど、ソースカツ丼にしたり、味噌味にしちゃうかも」
千隼が提案した商品説明に耳を傾けたネチネチおばさん。千隼は更に続けた。
「なら、唐揚げはどうですか? ひと手間加えたら、冷食っぽさも感じさせないと思うんです」
担当は頷きながら、「そうね、油淋鶏は定番かしら? 酢豚みたいに甘酸っぱいソースを絡めても良いわね」と、興味を示した。
「私はどちらも美味しいと思います」
そのやり取りを見ていた柚羽は、心の中でどう反応すべきか迷っていた。千隼と話している本部長は、とてもにこやかに笑っている。彼女の表情が柔らかく変わり、即OKの返事が返ってきた。
千隼は新商品のアレンジについて、巧みに本部長に聞き出し、取り入れられたようだった。その結果、全国店舗で展開してくれるという嬉しい知らせを得た。
千隼はその成功に満足し、にこやかに笑っていた。
柚羽はその姿を見て思った。
(こいつ、笑うこと出来るんじゃないの……!)
柚羽は思わず千隼の可愛さを感じ、心が少し温かくなった。
「商談成立、おめでとう!」
商談が終わってビルの外に出た、柚羽は軽い気持ちで千隼に声をかけた。通り雨だったのか、既に止んでいた。
そして、「笑えるなら、いつも笑っててよ」と、少し冗談めかして言った。しかし、千隼の返事は冷たかった。
「何でですか? 疲れるから無理ですよ」
千隼はあっさりとした口調で答えた。その言葉に、柚羽の心は凍りついた。彼の反応は予想外で、どこか思わず傷つけられたような気持ちになった。
千隼は続けて、「良かったですね、俺と組めて。これで三塚さんも社内でもお荷物じゃなくなりますね」と、クスクスと笑った。その瞬間、柚羽の頭に血が昇るのを感じた。彼の言葉はまるで冷たい水のように、彼女のプライドを打ちのめした。
(な、何なのよ! 今までは猫被っていただけなのかな? 性格が悪すぎる!)
柚羽は最高潮にイライラが止まらなくなってしまう。
「辞めてやるんだから! こんな会社!」
柚羽は、千隼に言い返すように言い放った。彼女はぷんぷんしながら歩き去るが、すぐに後悔の念が湧いてくる。どこかで千隼と仲良くしたいと思っていたのに、つい感情的になってしまった自分が情けなかった。
しかし、その時、雨上がりの水溜まりに足を取られ、滑りそうになった。咄嗟に助けてくれたのは千隼だった。千隼の手が自分を支えてくれようと伸びた瞬間、柚羽は彼の綺麗な顔が真正面に迫ってくるのを見た。驚きと恥ずかしさが交錯し、柚羽の心臓は高鳴る。
普段の千隼への苛立ちが、一瞬で吹き飛んでしまった。
千隼の優しさが、意外にも彼女の中に新たな感情を呼び起こしていた。彼の目が自分を見つめるその瞬間、柚羽は何も言えず、ただその場に立ち尽くしてしまった。
「危なっかしいんだから、高いヒールなんて履かないで」と、千隼はうろたえながら柚羽に言った。
「か、関係ないでしょ、貴方には!」
柚羽は、自分の声が少し強い口調になっていることに気づく。
「関係なくありません。危ないですから」
千隼は冷静に反応した。
「怪我をしたら大変です」
「別に大丈夫だから」と、心配してくれた千隼を柚羽の言葉をあしらう。
「関係なくないですよ、忘れちゃったの? 俺のこと?」と、少し挑発的に言った千隼の言葉に、柚羽は戸惑い、頭の中が「?」でいっぱいになった。彼が何を考えているのか全く分からない。
千隼はにやりと笑い、「思い出すまでずっと、俺のことを考えてて」と、柚羽に向かって言った。その言葉はまるで彼女を捕らえる魔法のようで、柚羽は顔がまだ真っ赤なままで、何も言えずにいた。
千隼の言葉に、柚羽の心の中でざわめきが広がった。まさか彼がそんなことを言うなんて。
自分が思い描いていた千隼とは、まるで違う側面を見せられた気がした。千隼の笑顔の裏にある真剣さ、そのギャップに戸惑いながら、柚羽は彼の言葉を反芻し、胸の高鳴りを感じていた。
自宅に帰ってからも、柚羽は千隼に言われたことを思い出してしまっては一人で赤面してしまう。
千隼の言葉が頭の中を巡るたびに、心がざわつく。あの後は、いつもの愛想がなく口数の少ない千隼に戻っていたが、その冷静な姿が逆に柚羽の心を掻き乱していた。果たして、これが彼との新たな関係の始まりなのか、柚羽は自問自答する日々が続いた──