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第44話 故郷へ

『花女郎』から出て此岸へ向かう途中、ふと自分の部屋に戻りたくなった水埜辺は、現在奴良野邸にいた。


『……本当に、これで良かったのでしょうか?』


 部屋で物を物色している水埜辺の耳に声が通る。


「頼守?」

『何も、彼女たちに私たちがまで伝えなくても良かったのではないか、と。少しだけ思いまして……』


 今彼の姿は見えないが、頼守の表情は想像すれば自ずと分かってしまう。きっと彼は今、とても申し訳なさそうに水埜辺の前に立っていることだろう。


「……いや、俺は言うべきだったのさ。だから、これから先あいつらにどう思われようと、山の者たちに『裏切者』だと言われることになっても構わないのさ。つまらない兄弟喧嘩に付き合わせてしまって悪いな、頼守」

『……いいえ。いいえ。……ところで先ほどから何をお探ししているのですか?』


 頼守は何故、水埜辺が奴良野邸に戻ったのか本当に分からなかった。いくら一心同体とはいえ、思考までは全て読むことはできない。

 いや、心を読むことは野暮である。今まで詮索してこなかったためか、彼の思考に気付けないことを頼守は少しだけ寂しく思った。


「確かこの辺りに……あった」

『何ですか? それは』


 頼守が覗き込むようにして水埜辺の手の中を見た。


「良いものだよ。ま、一種のお守りだな」

『お守り?』

「そう。これは頼守の分。これは……あの子の分だ」


 水埜辺はすんすんとお守り呼ばれるもののにおいを嗅いだ。なにせかなり年季の入った香り袋だ。変なにおいがしないことを確認すると大事そうに着物の懐にそれを仕舞った。


「これはな、彼岸の花で作った魔除けの香なんだ。本当なら、あの日お前に渡す予定だったんだがな……」

『え……?』

「……さ、行くか。お前の故郷へ」

『はい』


 見えない頼守が優しく微笑んだ気がした。



「……そう言えば、どうして此岸に行きたいと言い出したんだ。別にお前のやりたいことはこちらでもできなくはないだろうに」

『そうなのですが……どうしても、生きている間に私の両親の墓参りに行きたいのです。あそこには私の墓もあるはずですし、きっと朝凪と同時期に作った対の小太刀も兄上さまが供えてくださったはずです。朝凪は古びてしまってもう使えそうにありませんでした。あの娘に、その刀を整え渡したいのです。……いけなかったでしょうか?』


 水埜辺は珍しいこともあるものだ、と目を見開いた。

 今まで頼守が水埜辺に対して『我儘』を言ったことなど一度もなかった。だからだろうか。頼守からの我儘を聞ける時の流れに、水埜辺は少しだけ嬉しくなった。


「いいや。……約束の日まではまだ時間がある。きっと、喜んでくれるさあの子なら」

『はい。ありがとうございます、水埜辺さま』


 水埜辺の言葉は本心だった。だが、懸念もある。

 約束の日までに果たして刀は整えられるのだろうか。

 しかし今は考えたって仕方がないと思考を止めた。ただ前を向いて進むしかないのだと、心にそう言い聞かせながら。

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