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6-1


 水の中に居るかのようだった。

 音が歪んで、遠くに聞こえいる。


「俺コイツ知ってますよ。おんなじ施設でよくいじめられてたヤツっすわ。ずっとわけわかんねぇ歌歌ってて、キ××イじゃねぇかって思ってたけど……コイツの歌がバズるとか世の中ってマジワケわかんねぇっすね」

「歌がウケたわけじゃなくて、リュウのやり方が上手いんだ。あいつにかかれば、音痴な子どももミリオンセラーのシンガーになる。なんせバックに上条グループがついてるからな」

「勝ち組ってヤツですよね~。あ~うらやまし」

「だがそのお坊ちゃんが俺たちの金づるになるんだ。そうだろ、比内」

「ハイ! リュウがこいつに入れ込んでるのは確かですよ。元々あいつはプロデュースする相手をめちゃくちゃだいじにするって有名ですからね。まさに掌中の珠」

「龍玉か」

「そうです。中でもこいつは特別目をかけられてる」

「こんな、警戒心もない頭も足りない奴がねぇ」

「そいつ、施設ではノウって呼ばれてましたよ。ノウナシのノウ。そう呼ばれて喜んでんだから、マジ頭悪いっしょ」

「まぁノウナシなりに役には立ったさ。リュウじゃなくて俺たちのな」

「あんな、誰が聞いてるかわからないような場所で、リュウのためならなんでもする、なんて言っちゃうから悪い大人に利用されるんだぜ? 恨むならノウナシの自分を恨めよ」


 ぎゃはははは。


 笑い声が響いて、それを聞いている聡也まで楽しくなった。

 ひとの笑い声は好きだ。

 笑っていて。

 そうやって、ずっと笑っていて。

 そうしたら悪いことなんてひとつも起きていないような気になるから。

 いつまでもずっと、笑っていてほしい。



 いつのまにか眠ってしまっていたようで、目が覚めたとき、聡也の周りには誰も居なかった。


 聡也は硬い床に転がっていて、体を起こすとあちこちが痛んだ。衣類はきちんと身に着けている。昨夜、服を脱ぎ捨てたと思ったけれどあれは夢だったのだろうか。よくわからない。

 周囲を見渡すと、傍らにポンと放置されている自分のバッグが目に入った。


 記憶がなんだか曖昧で、聡也は座ったままでしばらくぼんやりとしていた。


 そういえば比内はどうしたのだろう。先に帰ってしまったのか。

 聡也は上手く振る舞えたのか、『えらいひと』にちゃんと気に入ってもらうことができたのか確認したかったけれど、比内の姿はどこにもなかった。


 あのレコーディングスタジオへ行けば会えるだろうか。

 いまから行ってみようかと考えた聡也だったが、なんだか体がだるくて行動に移すのが億劫だ。


 這い上るようにしてソファへと場所を移し、クッションのやわらかさにホッと息を吐く。

 まぶたを閉じるとなんだかぐるぐると眩暈がして、聡也はそのまままた眠った。



 次に目を開けたときも聡也はひとりだった。


 誰も居ない小部屋を出て、ガランとしているフロアを抜け、地上へ続く階段を上って外へ出たら、夕焼け空が広がっていて驚いた。昼までどころか夕方まで寝てしまっていたのか。


 ふらふらと歩く道すがら、買い物帰りのひとや制服姿の子どもたちとすれ違う。みんな家に帰るのだろうか。そう思うと急に琉斗が恋しくなって、聡也もできる限り早く足を動かした。


 見慣れた門構えが見えるとホッとして、乱れた息を整える。そんなにたくさん歩いた気はしないのに、体が異様に疲れていた。

 空は茜色から紺色へとグラデーションを作っている。もうすぐ夜がくる。


 玄関のドアを引くと、抵抗もなく開いた。鍵が掛かってないということは、琉斗が家に居るということだ。

 聡也は嬉しくなって、靴をポイと脱いでリビングを覗いた。


「リュート」


 発した声はガラガラで、思わず喉を抑える。

 リビングに琉斗は居なかった。とすると作業部屋だ。


 聡也はそちらへ向かう前に水道水を飲んだ。ひと口飲むと喉が渇いていたことを唐突に自覚して、ゴクゴクとコップ三杯も立て続けに飲んでしまう。

 ふぅ、と吐息して、コップを洗ってから、聡也は琉斗の姿を求めて作業部屋を覗いた。


「リュート」


 ドアに背を向ける形で琉斗が立っていた。

 聡也が呼びかけると彼がゆっくりと振り向いた。手にスマホを持っている。また『バズった』と言いだすのかな、と聡也は嬉しそうな琉斗の顔を思い出して笑った。


「聡也」


 いつになく硬い声で名を呼ばれた。琉斗に近寄ろうとしていた聡也は思わず足を止めた。なんだろう。琉斗がピリピリしている気がする。


「聡也、昨日からいままで……どこに居たの?」


 琉斗に質問されて、聡也は口を開きかけ、言いよどんだ。

 どこ、と言われると説明に困ってしまう。あれはどこで、なんという場所だったのだろう。


「わからないの? それとも答えたくない?」

「わ、から、ない」


 聡也の返事に、琉斗が嘆息を漏らす。


「聡也、比内さんから連絡があってね」


 話しながら、琉斗がスマホを片手で操作した。

 彼の口から出た比内の名前に、聡也はホッとする。比内はちゃんと昨夜のことを琉斗に伝えてくれていたのだ。


 ああでもどんなふうに報告が行ったのだろうか。聡也は上手くできましたよ、だろうか。それとも全然ダメでしたよと言われてしまったか……。


 不安になりかけた聡也の耳に、

「聡也、これ、どういうこと?」

 ひんやりとした琉斗の声が落ちてきた。


 彼を見上げた聡也の前に、スマホの画面が向けられている。


 そこには、聡也の姿が映っていた。


 聡也が自分でゴムチューブを腕に巻き、注射をしようとしている動画だ。


 昨夜の記憶は曖昧だが、ここは覚えている。

 たどたどしい動きだが、教えられた通りに上手くできているように見えるけど……。


「聡也、これ、誰かにやらされたの?」


 琉斗に問われて、聡也はスマホから彼の顔へと視線を上げた。

 琉斗の唇の端が引きつっていた。


「無理やり、やらされた?」


 問いを重ねられ、聡也は首を横に振った。


「ううん。僕、自分でやったよ」


 最初は注射が怖くてやりたくないと言ったことは秘密にしておいたほうがいいだろう。

 はじめからちゃんとできたという方が、琉斗は喜ぶのではないかと思えた。


「上手くできてる? 僕、あのね、」

「聡也が! やりたいって言ったの?」


 聡也の話す語尾に被って、半ば怒鳴るような琉斗の声が響いた。

 聡也は驚いて思わず全身を強張らせた。

 硬直した聡也は、「答えて」と促されて、ぎくしゃくと頷いた。


「僕が、やりたいって言った」


 聡也の答えを聞いた琉斗が、ゆっくりと目を見開いていった。

 彼の頬は色を失くして、唇がこまかく震えていた。


「なんで……こんな、こんなこと、なんでこんなことしたがったんだっ!」


 苛烈な怒声が響いた。


 琉斗がこぶしでスマホの画面を叩いた。その音につられて目線を向けると、画面の中の聡也は全裸になっていた。

 裸の自分に、同じく裸の男のひとと……女のひとが群がっている。

 なんだこれは。

 聡也は驚いて首をぶんぶんと動かした。


「し、知らない、これ、知らない」

「いまさら誤魔化すなっ! きみが! 自分で! やりたいからしたって言ったんだろっ!」


 ガシャン! と大きな音が響いた。


 フローリングの床に、琉斗がスマホを叩きつけた音だった。

 彼はそのままの勢いで両手を伸ばし、聡也の胸倉を掴んできた。


「この動画、比内さんのスタジオに送られてきたって。動画を消す代わりに金を寄越せって脅されてるって! 注目株のSOUの醜聞は金になるって思われてるんだ! こんな動画撮られて! きみは自分がなにをしたかわかってるのかっ!」


 強い力で揺さぶられ、足がもつれた。胸元が引き絞られて苦しかった。


「なんできみが! よりによってきみが! 僕の計画の邪魔をするんだっ!」


 激しい咆哮とともに、琉斗が腕を大きく動かした。

 振り回された聡也の体は、琉斗が手を離すと同時にそのまま勢いよく倒れ込んだ。


 横倒しになった聡也に琉斗が背を向ける。そのまま彼は、うずくまった。膝を抱えて背中を丸め、小さくなって、嗚咽をこぼした。


 聡也は呆然とその様を見た。


 ぶつけられた言葉の意味は、半分も理解できなかった。

 けれど、自分が琉斗の『計画』の邪魔をしたのだということだけは、わかった。








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