熱い。
熱い。
パチパチと
一番最初に目に飛び込んできたのは、月の光を溶かし込んだかのような金髪だった。
コハクが居る、と聡也は思った。
コハクの金髪はいつもキラキラ光ってとてもきれいで、聡也は彼のきれいな顔と一緒にいつも金色の髪に見惚れていたから、金髪を見てすぐに思い浮かぶのもやはり、コハクだった。
けれど金髪を揺らしてこちらを覗き込んだ男の顔は、琉斗のもので。
聡也は混乱して、脳内にハテナをいっぱい散らしながら、ゆっくりと上体を起こした。
「動くな」
金髪の琉斗がそう言った。
リュート、その髪はどうしたの、と問いかけようと口を開きかけた聡也の頬に、突然琉斗の平手が飛んできた。
バシっと叩かれて、痛みよりも驚きに唖然となる。
「口を開くな」
冷たい声で命じられ、聡也は叩かれた左頬を抑えながら男を見上げた。
彼の背後では赤い火が燃え盛っている。火事だ。聡也の目の前で火事が起きている。
水を持ってこなければ、と俄かに焦って立ち上がろうとした聡也の耳に、慌ただしい足音とひとの声が飛び込んできた。
「伯爵、ご無事ですか!」
「伯爵、この火事はなにごとです」
「伯爵、どうなさいましたか!」
口々に問いかけてくるひとびとを金髪の琉斗が一瞥し、
「
と、落ち着き払った声音で告げた。
男たちが「水だ、水を持ってこい」と叫び、喧騒が辺りを包む。
爆ぜた炎が深く暗い夜空を舐めるように踊る。
それを背景に、琉斗がこちらを見下ろしてきた。
「いつまで座っている。おまえのせいで起こった火事だ。水を運ぶぐらいしろ」
横柄に命じられ、聡也はせわしないまばたきを繰り返した。
わけがわからなかった。
言葉の意味は、わかる。なぜかいつもよりよく理解できる。
わからないのは状況だ。聡也のせいで火事が起きたというのはどういうことだろう。そして、なぜ琉斗は金髪になっていて……ふだん着ないような、ひらひらとフリルのついたシャツや長いマントのようなものを纏っているのだろう。
ポカンと琉斗を見上げていたら、形の良い眉をくいと歪めて、琉斗が睨みつけてきた。
そんな琉斗の横に駆け寄ってきた男が、同じように聡也をじろりとねめつけて、
「伯爵、火事がこいつのせいっていうのはまさか」
と口にした。
「違う」
きっぱりとした口調で琉斗が否定する。
「これを殺そうとした誰かが、火をつけたんだ。恐らく先日の崖の崩落で家族を亡くした者の仕業だろう」
「…………本当ですか?」
男が疑わしげに琉斗を見た。
琉斗が小さく鼻を鳴らし、冷たい視線で男を射た。
「俺がこれを庇っているとでも?」
「いや、そういうわけでは」
「貴様は俺の両親がこれのおぞましい呪いで殺されたことを知っているだろう。俺が復讐のためにこれを生かしていることも」
琉斗の言葉に、男がへどもどと頭を下げた。
「も、もちろんです」
「こいつが火をつけた犯人ならば、俺がこの手で首を撥ねている。魔法の気配はなかった。この火事は人為的なものだ。わかったらさっさと消火を手伝え」
「は、はいっ!」
ばね仕掛けの人形のように男が飛び上がり、ごうごうと燃える小屋の方へと走って行った。
聡也は彼らの交わす会話の内容のすべてが、理解できていた。こんな早口で交わされる言葉の数々を、ふだんの聡也が理解するのは難しい。それなのに、いまはとてもクリアに把握できていた。
おまけに彼らが使っている言語が、日本語ではないということも同時にわかっていた。
違う国の、聡也のまるきり知らない言葉なのに、意味はわかる。それが不思議でわけがわからなくて唖然としていたら、琉斗の足が動いて、太ももを蹴られた。
「怪我をしたわけでもないんだろう。さっさと立て。立って手伝え」
見下ろしてくる琉斗の顔があまりに険しくて、聡也は慌てて立ち上がった。
膝に手をついたときに、ごわごわとした服のあちこちが焼け焦げていることに気づいた。
もしかして聡也は、あの燃えている小屋の中に居たのだろうか?
だからこんなに服が焼けていて……皮膚もピリピリと痛いのだろうか。
その段になって聡也はようやく、あれ? と首を傾げた。
自分は川に流されたはずではなかった。
あの河川敷で。なぜだか妙に体が熱くなって疼いていたから、その火照りを冷まそうと、川に入って……そのまま押し流されてしまったのではなかったのか。
けれどどこも濡れていないし、服装もぜんぜん違っている。
それになぜ、火事の現場に居るのかまったくわからない。
そして、この金髪の琉斗は……。
「さっさと働け」
立ち上がった聡也へと叱咤するような琉斗の声が飛んでくる。
と同時に、
「やめてくださいよ」
先ほどの男が慌てて口を挟んできた。
「そんな奴に手を出されちゃ、消えるものも消えないですよ。一切関わらせないでください」
顔を歪ませてそう言った彼へと、琉斗が小さく鼻を鳴らす。
「本当に、どこに居てもなにをしていても邪魔者だな」
冷たい呟きが聡也へと向けられて。
琉斗がくいと顎を動かした。
「来い」
歩き出した琉斗の背を、聡也は慌てて追った。歩みに合わせて琉斗のまとう外套の裾がひらめき、その細かな刺繍が火事の炎で照らされてきれいだった。
ひらひらと動くそれを見つめながら歩いていると、ふと、足元になにかがじゃれついてくるのが見えた。
それはうっすらと発光した、小指の先ほどの小さな球体だった。
色はさながら緑のビー玉のようで、きらきらと光りながら聡也の裸足の足の甲の上でポンポンと跳ねている。
ひとつやふたつじゃない。
十……いや、二十は居るだろうか。もしかしたらもっとたくさん居るのかもと思い地面を見渡すと、あちこちで光がまたたくのが見えた。
光の球体がさざめくように揺れて、聡也の元へと集まってくる。
ひのせいれいがおこってる。
うたって、うたって。
うたでしずめて。
みずをよんで。
ひのせいれいがあばれるから、きのせいれいがないてるよ。
うたって、うたって。
あついのはいやだよ。
はやくしずめて。
おねがい、おねがい。
光の玉が聡也に群がりながらきゃいきゃいと騒いでいる。
飛び跳ねる様がかわいくて、聡也は思わずうふふと笑ってしまった。
歌って、歌って、とねだられている。
それがわかって、聡也は息を吸い込んだ。
「あ」
降りてくるメロディを声に乗せようと、声帯を震わせた直後。
聡也の体は地面に横倒しになっていた。
口の中に
左頬が痛い。熱くて、痛い。
聡也は肘をつき、なんとか上体を起こした。目の前にすらりとした足があった。そのラインを辿って視線を持ち上げると、にぎりこぶしを震わせている琉斗の顔があった。恐ろしいほどに険しい表情をしている。
「いまなにをしようとした!」
鞭のようにしなる怒声が、ぴしゃりと聡也に叩けつけられた。それに驚いたのか光の球体たちはきゃーと悲鳴を上げてどこかへ散っていった。
待って、行かないで、と呼び止めようとした聡也の頬に、またこぶしが叩きつけられた。
あまりの衝撃に火花が爆ぜる。
「けがらわしい口を開くなと、俺になんど言わせる!」
金髪の琉斗が地面に倒れた琉斗の体を、ドンと蹴ってきた。痛みはさほどではなかった。蹴られたところよりも頬の方が痛い。それ以上に、視界がぐらぐらとして定まらず、徐々にまぶたが重くなってきた。
「おまえは二度と声を発することを禁じる。わかったか、『雑音』」
薄れゆく意識の中で聡也は、自分が『雑音』と呼ばれるのを聞いた。
『雑音』。
そうだ、僕は『雑音』だ、と、聡也は突然に思い出した。
僕は『雑音』で。
歌うことはおろか、声を出すことすら禁じられた存在だった。
『
暗くぼやけてゆく視界の中で、金の髪がうつくしく輝くのが見える。
琉斗と同じ顔をしたこの『伯爵』の名前はなんだったろうか、と考えたところで聡也の意識は完全に途絶えた。