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雑音 4-2


 『木洩れ日』卿に手を引かれて彼の屋敷を訪れた『雑音』を待っていたのは、同い年の少年だった。


「息子だよ」

 と紹介され、これまで同年代どころか自分以外の子どもを見たことがなかった『雑音』は戸惑った。

 しかし金髪の子どもは臆することなく『雑音』の両手を握り、顔全体で笑って「よろしくな」と言った。


 それが、琉斗だった。


 聡也は自分の内側に流れ込んでくる『雑音』の記憶に目を眩ませながらも、子ども時代の琉斗との思い出を辿った。



 『木洩れ日』卿の屋敷での生活は、敷地から出てはいけないという意味では『祝福』卿のところと大差なかったが、地下室に軟禁されていたこれまでの生活に比べると、その自由度は格段に上だった。

 というのも、『木洩れ日』卿の屋敷の背後には森が広がっており、基本的にそこは領民たちが立ち入る場所ではなかったから、屋敷が見える範囲であれば森に出かけることもゆるされたのである。


 『雑音』は琉斗と毎日のように森へ入った。木登りや川遊びを、『雑音』は彼から教わった。時にはお弁当を持っていき、森で食べたりもした。

 それまでひとりでお留守番をし、精霊相手に歌を歌うぐらいしか楽しみのなかった『雑音』は、この世にこんな楽しいことがあったのかと感動し、すぐに琉斗との遊びに夢中になった。


 『木洩れ日』卿からは勉強を教わった。彼は『祝福』卿と同じくらいやさしかった。琉斗のお母さんは最初、『雑音』の扱いに戸惑っていたようだが、そのうちに笑顔を向けてくれるようになった。彼女の作る甘いふわふわのケーキは、『雑音』を虜にした。そして、ケーキに添えられた果物のジャムも。

 木苺や山葡萄のジャムを頬張る『雑音』の、ベトベトに汚れた口元を、琉斗のお母さんが白いハンカチで拭いてくれることもあった。


 『木洩れ日』卿にまもられて『雑音』の生活は平穏に過ぎていったが、良いことばかりが続いたわけではなかった。


 『雑音』がここへ来てちょうどひと月後に、『祝福』卿が処刑された、という報せがもたらされた。


 『祝福』卿と、他数名の領民の処刑は、彼の屋敷の前の広場で衆人環視の下、実施されたという。

 『木洩れ日』卿は妻を伴い、処刑場に列席した。王命で、配偶者及び成人以上の子を同伴させなければならなかったのだ。


 このときの処刑の様子について、『木洩れ日』卿は『雑音』に多くは語らなかった。ただ、『祝福』卿の死と、『雑音』の両親と思われる者たちの死が伝えられただけだった。

 しかし『木洩れ日』卿やその妻の憔悴しきった様子から、凄惨な光景が広がっていたことは、想像に難くなかった。


 『雑音』は一週間寝込んだ。

 実際に見たわけではないから、父や母、『祝福』卿の死、というものは朧げだった。

 けれど、言いようのない罪悪感が胸を焼いていた。


 自分は生きていていいのだろうか、という問いが頭から離れない。

 怖い王さまに皆処刑されてしまったのに、自分だけが、魔女である自分だけが、こうして生き延びていていいのだろうか。


 布団の中で泣いていると、どこからか風の精霊が飛んできて、大丈夫? というように『雑音』の頬をころころと転がった。その内に他の精霊たちも寄ってきて、気づけば布団をかぶっていても眩しいほどになっていた。


 自由に跳ねまわる、きれいなきれいな色とりどりの光の玉。

 精霊たちの姿が見えなければ……『雑音』が、魔力のない、ただの人間であったなら、誰も殺されずにすんだのだろうか。

 そう思うとますます涙があふれてきて、『雑音』は歌うこともできずに精霊たちを追い払い、ひとりふさぎ込んだ。


 そんな『雑音』を布団から引きはがしたのは、琉斗だった。

 彼はいつものように明るい笑顔で、悪いことなどなにも起こっていないかのように、

「森へ行こうぜ」

 と『雑音』を誘ってきた。


 このときの琉斗はまだ、『雑音』が魔女だということを知らなかった。

 『雑音』の両親と『祝福』卿が魔女狩りに遭って死んだことも知らなかった。

 それでも『雑音』になにかかなしいことがあったことを理解して、元気づけるために敢えて普段通りに振る舞ってくれたのだった。


 あまりに熱心に誘ってくる琉斗に根負けして、『雑音』はベッドから這い出た。


 二人で手を繋いで森へ入る。

 琉斗と向かったのは背の高い木が真っ直ぐに幾本も林立する場所で。

 頭上から降り注ぐ陽光が青い草の上にいくつもの陽だまりを作っていた。


 『雑音』は、ここの風景が好きで、好きで、好きで。

 しずけさに満ちたうつくしさに胸を打たれ、『雑音』は泣いた。

 琉斗は陽だまりの中へ雑音を座らせると、その隣に腰を下ろして、草の葉をたわむれにむしっていた。


 木の精霊のかけらが、琉斗の行動に抗議するように彼の手元でぽんぽんと跳ねている。琉斗には見えない光だ。

 『雑音』はそっと、琉斗の手にてのひらを重ねた。


「あんまり毟ると、かわいそう」


 そう言った『雑音』へ琉斗は肩を竦めて、それから素直に草から手を離した。彼の指には草の汁がついていて、その緑の指先を見るともなく目線を落していると、琉斗が『雑音』の手をぎゅっと握ってきた。


「父さんが、おまえのことまもってやれって」

「……え?」

「この世界で生きてゆくのは、きっと大変だから、一緒に居てあげなさい、って」


 微妙な口真似を交えながら、父親からの言葉を伝えて。

 ひとつ呼吸する間を挟んでから、琉斗は、顔全体でニッと笑った。


「おまえを泣かせた奴はおれがぶっとばしてやるから、いつまでも泣くなよ」


 琉斗の手の熱が、『雑音』の肌にじわりと伝わってきた。


「おれが味方だ。おまえのことは、おれがまもってやる」


 なんの事情も知らないのに、子どもらしい視野の狭さでそう言い切った琉斗に、『雑音』の胸は甘苦しく締め付けられた。


 琉斗の笑顔があんまり眩しかったから、思わずうつむいたら、やわらかな唇がふにっとひたいにぶつかってきた。


 びっくりして顔を上げたら、琉斗が笑っていて。


「かなしいことが飛んでくおまじない。母さんが前にしてくれたんだ」

 と、言った。


 『雑音』は琉斗の唇が触れたところをてのひらで押さえ、風で感触が、ぬくもりが消えてしまわないようにと庇いながら、じゃあ彼のことは自分がまもろうと、こころに誓った。


 『雑音』のたったひとりの友達。

 たったひとりの味方。

 たったひとりの……好きなひと。


 ぜったいにぜったいに、まもろうと、誓った。







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